Menkhibー6ー
最初こそ怯えを見せた老夫婦だったが、相手が小さな子供でしかも怪我をしているのに気付き――顔を見合わせた後、徐に農作業用の鉈を手に取り……。
にんまりと笑った。
まるで、魔除けに使われるゴルゴネイオンの怪物のような、醜く、残忍で、人間らしい感情に溢れた笑みだった。
心の表面を乱していた、不安や迷いの漣が消えた。気持ちが――心が、おそろしく澄んでいく。
槍を握っていた手から、余計な力が抜けた。
ふ、はは、と、可笑しかったわけじゃないのに、腹が引き攣って自然と俺も笑ってしまっていた。もしかしなくても、この悪そうな顔をした二人に、つられたのかも。
――なあんだ、殺して悪い人間なんて、この世界にはいないんだ。腐っていない人間なんていやしない。
全ての物事が、はっきりと見えるようになった気がした。と、いうか、これまで掛かっていた靄が、急に晴れたような気がする。
これが、世界の真実だったんだ。
今までの俺は、なんて愚かで鈍かったんだろう。この世界に、善良な弱者なんていない。弱者は、より弱いものを食うものだ。結局は、人は、そういうふうにつくられているんだろう。最初から、誰かを蹴落とし、誰かから奪い、自分以外の人間を不幸にしようという怪物が、心の中に住んでいる。誰一人として、例外は、無い!
どうしようもなくて……。ひもじさや怒りを原動力に、今日村を襲うと決めたのだが……。ついさっきまで感じていた、略奪に対する心理的な抵抗は、もうひと欠片も残っていなかった。緊張も無い。恐れさえも。
俺なら、出来ると思った。
ヤっちまっていいんだと、世界が背中を押しているようだった。
敵を殺せという強い衝動が胸にある。殺したいという欲求が、腹を突き上げて登ってくる。
早まる鼓動は、さっきとはまるで別の意思を俺に伝えていた。
窓の板を蹴り飛ばし、家の中に飛び込み、背後から突きかかる。
「はぁああッツ!」
男の方ではなく、鉈を持った女の腹を突く。
窓から三人目が襲ってくるとは考えていなかったのか、老夫婦は俺の登場に、振り返って硬直していた。
鋭くは無い適当な木の槍だったが、緩んだバアさんの腹の皮と肉ぐらいは貫くことが出来た。とはいえ、完全に貫通し、即死させられるような代物でもなく……。痛みで混乱したバアさんが滅茶苦茶に転げまわると、俺の手からすり抜けてしまい、そのまま自然と折れて、突き刺さったままだった先端がより深くバアさんの腹の中に抉りこまれていった。
ジイさんは、呆気に捕られているようだったが、あまり猶予は無い。
ジイさんを押しのけ、少し大人しくなったバアさんの頭を踏みつける。顔を踏みつけた瞬間、凄い形相で睨まれたが、あの怪物の笑みを先に見ていたからか、もうなにも感じなかった。そのまま踵に体重を掛けバアさんを押さえ込み、手から鉈を奪い取って首目掛けて振り下ろした。
大振りの一撃では首は落ちず、しかし、吹き上がる血しぶきが下顎から左肩を濡らし、二撃目で骨が砕けたのが分かり、念のために最後の一撃を見舞う。
牛かなにかが吼えるような、重い悲鳴が消えて、急に辺りが静かになり……濃く血の臭いが立ち上ってきた。
さっきまでの、嗜虐的な笑みはどこえやら、俺たち三人に壁の隅に追い詰められたジイさんは、尻餅をつき――。
「……待ってくれ。違うんだ、そう、キミ達が怪我をしていたから、治療しようと、……そう、滋養のつくものを出そうと、あ、鳥でもしめようかな、なんて、はは……鉈は、そのためにもっていただけで、決して……」
右手を俺達の方に向け、宥めようとしながらも、後退りしている。
ジイさんの背が、壁にぶつかった。
ヒッと、息を大きく飲むような短い悲鳴が上がる。
バアさんに刺さったままの槍の先端を引き抜いたのはエーリヒで、言い訳している口に、投げるつもりでもっていた拳大の石を、四つん這いになって追いすがって突っ込んだのはクルト。続いて、恐怖を感じさせられた腹いせなのか、その目玉をエーリヒが、折れて短くなった木の槍で突いた。
ジイさんの声にならない悲鳴が、大きく開かれた口を戦慄かせている。
エーリヒに刺された目玉を押さえ、這い蹲り……恐怖に歪んだジイさんの顔が、俺を見上げた瞬間、なんともいえない充足感が、背骨を駆け上って突き抜けていった。
「ははん」
自分が、笑っていることに気付いた。
その笑みのままに、俺はジイさんの頭を割った。
その初めての勝利に――。吼えようとした俺の口を、エーリヒが押さえている。しぃ、と、人差し指を口に当てて。
ああ、そうだな、村の他の連中を呼び寄せるわけにも行かない。
改めてジイさんが絶命しているのを確認し、村人の気配を地面に耳を当てて探ってみるが、近付いてくる足音は聞こえなかった。ばれていないのかどうか怪しい部分はあるが、ともかくも邪魔ははいらなそうだ。
顔を見合わせる。
自らの意思で始めて人を殺した――既に訓練では人を殺していた――直後で、家の中には二つの死体が転がっていたが、俺達は、お互いの顔を見合わせて、笑った。
そう……。
この時は、クルトもエーリヒも、屈託の無い、無邪気な笑顔だったように思う。
それから俺達は、家中の食い物を手当たり次第に食い散らかした。
燕麦や、小魚を干した物、やや臭い干し肉、干したイチジクが少々に、塩に漬け込んだアシタバ。後は、醗酵途中の羊の乳ぐらいしかなかったが、それでも、毎日、前日の夜に焼いたパンをふやかしたのぐらいしか食っていない俺達にとっては――。
そうだ、俺にとっては、屋敷を追い出されて初めてのまともな食事だったな。
「あぁああぁ!」
「うめぇ!」
クルトとエーリヒにとっても、それは久しぶり、もしくは、初めてのまともな食い物だったのか、さっき俺が叫ぶのを抑えたのはなんだったのかというぐらい騒ぎながら、手近な食い物を片っ端から頬張っている。
頼りにならねぇ相棒だったが、終わってみると、なんだか少しぐらいは愛着がわいた。誘ったのは、他に当てが無いってだけの理由だったが、そう、悪いものでもないのかもな。
ふと、竈から少し遠い、棚の上に、なにか小さな瓶が収まっているのを見つけ、手字かな箱を踏み台にして引っ張り出してみる。
蓋を開けると、ドロッとした液体が入っていた。軽く指先を浸して舐めてみる。
甘い。
身体中に染み渡るような、漲るような、そんな力強い味。瓶の中は、ハチミツだった。量は、あまりない。少し、結晶化もしているようだったが、傷んではいない。
「クルト」
「?」
「やるよ。お前が、一番酷い状態だ」
食ってちっとはマシになってきているが、それでも喘ぐような息のクルトにハチミツの瓶を渡す。ハチミツなら、活力剤として申し分ない。消化にも悪くないしな。
ちょっと不服そうに頬を膨らませたエーリヒに、意地悪く笑いかけながら俺は続ける。
「俺等は次だな。まぁ? エーリヒが嫌だってんなら、今日で最後なんだがなァ?」
なんだかんだと、慎重ってか臆病で腰が引けていた様子を揶揄して見せれば、エーリヒは赤い顔で言い返してきた。
「き、きんちょうしてた、だけだし。ヨユウ、だったし」
はん。
鼻で笑い返すと、エーリヒは拗ねたように顔をそらし――俺の分まで食い尽くそうとでもいうのか、口にモノを突っ込む手の動きを早めた。
負けじと俺も、近くにあった干し肉を齧るが、なにぶん、久しぶりのまともな食事だったこともあり、クルトがハチミツを舐め終えることには、俺とエーリヒの遅めの夕食も終了していた。
焦っていたので、雑に食い散らかしてしまい、無駄に床にこぼしてしまったのも多かったが、それでもまだかなりの量の食物が家には残っている。今日明日で食いきれる量じゃない。
……いや、それも当然か。
この家の連中は、冬を越さなきゃならなかったんだし。そのために秋の実りはしっかりと蓄えておく必要がある。
「共同倉庫に持って帰るか?」
エーリヒが、燕麦の袋を抱えて、裏のなさそうな顔で訊ねてきた。俺はまだ使っていないし、使ったところを見つかると面倒なことになるんだろうが、少年隊の寝床の近くには、掘り込み式の共同倉庫がある。
一応、私物の所有を禁止されている少年隊ではあったが、奪ったものはそこに保管して構わないことになっている。だが――。
「いや、まだダメだ。少年隊の筆頭のジシスのグループを皆殺しにしない限り、意味はない。どこか、他の場所に俺達だけの隠し倉庫を作るんだ」
ごくりとクルトが唾を飲んでいる。エーリヒは、やっぱりどこか不安そうな顔をしていた。
そう、今そこに保管すれば、他の連中の餌にしかならない。戦ったのは俺達なのに、その取り分は、きっと皆無だ。
俺達が、共同倉庫を使うためには、先にするべきことがある。
「そう、俺達が、アイツ等を殺して成り代わるまで、な」
「俺達で、ヤれる、かな」
「殺さなければ、死ぬのはこっちだ」
顔に生気が戻りつつあるクルト、そして、少し気の弱そうなエーリヒの瞳をしっかりと見詰める。
少年隊の年期ではこの二人の方が上ではあるが、リーダーの器じゃない。俺が、頭だ。
二人がそこまでのことを察せたのかは不明だが、特に俺に逆らうことも無く頷き返してきた。
今日の一件で、俺達は頭の使い方を覚えた。身の振りを考えられるようになった。戦うために、なにが必要なのかも。
自分に出来ないことはもう無いと、強く確信していた。
どんな手段でも、使っていいとはっきりしたんだから。
今日得た食料を、俺達ほどではないとはいえ、虐められている連中に配り、味方を増やし――。すぐじゃなくてもいい、ただ、絶対に、あの少年隊の訓練所にいる敵を一掃すると決めた。
まずは、この地を奪って、地歩を固める。
ここからが始まりだ。
玉座を奪い返すための、闘争の。
今日まで、この俺に舐めたまねしあがった同期のクズも、監督官も、アクロポリスにのさばるクズ共も、いつか絶対に殺してやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます