Menkhibー4ー
二つの王家と中央監督官。その三権の独立と相互監視体制を維持するため、切れ者……だったらしいジジイが暗殺された。その後、愚直な親父は、国家に命じられるまま、小勢を率いて国境戦の援軍へと向かうも、数日と経たずに戦死し――。
最後の直系の子孫である俺は、信じていたレオの手でアクロポリスから離れた辺境の少年隊の寝床の前に捨てられた。
訓練は、その日の夜明けに始まった。
怪我なんてお構いなし。
それどころか、ここがどこで、これからなにをするのか、一切説明がなかった。
一応、周囲の同い年ぐらいの連中の後を付いていけば、昨日焼いたらしい無醗酵の固くなったパンをお湯でふやかしただけの朝食にはありつけた。が、それだけだ。食事後に近くにいた大人に、話を訊こうとしたら、こっちが口を開いた時点でぶん殴られた。
子供には市民権がないらしい。なので、監督官や青年隊相手に口を利いてはいけない。言われたことに従うだけでいい。
そんな内容を、聞くに堪えない下品な口調で告げられた。
最初は、奴隷身分に落とされたのかと思ったが、他の子供達を見ていると、どうもそういうわけでもないらしい。
戸惑う俺を、俺と同じぐらいの歳の子供が、せせら笑っていた。
そう……。
屋敷に住んでいた頃の俺は、ずっと昔にメタセニアを攻め滅ぼし、併呑したことも、そのメタセニア人の奴隷が反乱を起こしたことも、反乱の鎮圧後にヘロット――国有の農奴――管理のため国民皆兵が導入されたことも……。全ての自由市民が軍人となるために、私財の保有を禁じ、子供をまとめて一箇所で教育するようになったことも、常在戦場を合言葉に、その少年隊によるヘロットからの略奪が推奨されるようになったことも……。
なにもかも、知っていた。
レオを家庭教師に、次期王位継承者としての教育が始まっていたから、知識として、確かにその現状を俺は知っていた。
が、それが、どんな社会なのかを理解してはいなかった。まして、実感なんて……。
結局、全部、自分とは関係のない遠い世界の出来事のように、考えていて――。
身体が弱くて殺される子供や、略奪の結果として出た農奴の死者数は、ただの数字であり――そもそも、少年隊の教育が始まる七歳になるまでに、二割程度の子供が死ぬのは普通の事なので、少年隊の選別で何人死んだか、なんて中央の誰一人として気にしていなかった――治世は上手くいっていると、妄信的に信じていた。
自分が王になれば、もっと強い国にしたいとか安易に考えていた。
食事後に、散々殴られ、蹴られた後、放り投げるようにして渡されたのは、穂先の錆びた、正規軍払い下げの槍だった。
「整列!」
アクロポリスからは随分と遠い場所なのか、そこは、ただ、だだっ広いだけの野原だった。
さっきまで居た町も粗末なもので、アゴラもなにもあったものではない。統一感の無い建物の群れが、混沌と並んでいるだけで。建造の際に計画書があったのかも怪しい。少し遠くに、山がそびえているが、それだけでここの位置を推察することは出来なかった。
エノコログサが揺れる、秋が始まったばかりの野原だった。
「遅い! なにしてんだ、てめーは、よ!」
節をつけるように、『なにしてんだ』で一発、『てめーは』で二発目、最後の『よ』で三発目の蹴りを入れられ、乾いた土の上に転がされた。
「どこに、並べ、ばっツ!」
配置もなにも指示されていなかったので、それを訊こうとしたら、ふって来たのは四発目の蹴りで、蹴られた後に頭を掴まれ、引き摺り起こされた。
「戦場じゃ、テメーみてえな、グズが軍を危険にさらすんだ。ボケ! 空いてる場所を埋めるんだよ。常識だろ、クズが」
みせしめの意図もあったのか、頭を掴んで引き起こされた後は、耳元でそう怒鳴られ、投げ捨てられただけだった。
そして、駆け足でなければまた蹴られると察せる程度の思考力は残っていたので、俺はすぐさま列の隙間へと――。
「ッツ」
潜り込んだ際に、少年隊の隣のヤツから肘を入れられたが、ここで声を上げれば、また蹴られる。
味方はいない。これまでとは、全く違う世界にいる。
少なくともそれだけは理解し、向けられる肉体的な暴力から逃げたい一心で、必死に隣のヤツと同じ動きをした。
笛の音に合わせ、右足、左足と前進する。遅れても、前に出ても殴られる。それは、周囲の怒鳴り声と、殴打の音で理解した。
「第一列、穂先、降ろせ!」
前進中は、掲げるようにして持っていた槍を胸の高さで保持し――。
「突撃!」
地面に立てた木の案山子目掛けて突きかかる。
固い木を突くと、槍に掛けた体重や力の反動がそのまま腕に返ってきて……。
「槍を放すな!」
怒鳴り声は、鳩尾に蹴りがめり込むのと同時に聞こえて来た。
「そんな突きで人が殺せるか!」
転がされた後には、脇腹、肩、顔と踏みつけるような蹴りが振ってきている。
吐きそうになったが、朝食後の段階で既にたっぷりと腹を蹴られ、野原に出るまでに何度も吐いて胃になにも入っていなかったので、酸っぱい水だけが……吐き出すだけの力もなく、喉の奥を焼いた。
「グ、ッゴ……だって、他の」
転がされたことで気付いたが、俺だけじゃなく、他にも取り落とされた槍は視界に入っていた。それなのに、俺に対する罰だけが他よりも厳しかった。
そして、そんな反論を許すような教官はここにはいないらしく。
「口答えをするな!」
もう、何度目かも分からない蹴りに、ついに意識を失った。
目覚めたのは、第二列の連中が、突撃訓練の際に“しっかりと”俺を踏みつけたから。転がって、横に逃れれば監督官に蹴られ。立ち上がって、再び列に並ぶと、次の突撃の突きは、槍を放さないように手を抜いたとかでまた散々蹴られた。
結局、夕刻までそんな訓練が続き、俺は不甲斐ない結果の罰ということで、夕食を抜かれた。
いや、そもそも、訓練後に足取りが覚束無い俺は、根性が無いとかでぶん殴られ、小汚いとかで井戸で水をぶっ掛けられ、そのまま箱みたいな、なにもない寝床に捨てられ――。そこでまた、意識を失ったので、飯を食いそびれたということを認識さえできていなかったが。
同じ少年隊の連中も監督官も、新参者をただいたぶりたいだけだって気付いたのは八日目だったが、バカ正直に受け答えていた七日間のおかげで、既に訓練についていけるような状態じゃなかった。
一応、朝と昼の飯は出ていたが――夜は、訓練の不出来や、規律違反を理由に、ここに来て一度も出されなかった――、腹がもうなにも受け付けてくれなかった。
吐き気は、食事の直後から襲ってくる。
後は、ここに来る以前に蓄積された体内の栄養が尽きれば、死ぬだけだと感じていた。
元々はラケルデモンの王族という出自だからか、ある監督官は嫌い、ある監督官は意図的に避け、また、直接なにかくれたりはしなかったが、言葉だけで実は味方だと嘯く監督官もいた。
後者のふたつは、特に助けにはならなかったが、害にもならなかった。しかし、俺を嫌っている監督官は、積極的に俺を狙って暴力をふるった。
そう、少年隊への食料の供給は、不足するように計算されている。だが、入隊したての時点――いや、相手が大人で、かつ集団であることを鑑みれば、身体のしっかりとしてくる四年目以前。約十歳未満での略奪は、返り討ちに遭う危険性が極めて高かった。
そのため、足りない食い物を得る手段は、規律違反の密告による褒賞ぐらいしかなく、新参者の俺は、その格好の餌食であり、また、貴種を嫌ううだつのあがらない辺境の監督官にとっては、格好の憂さ晴らしの的でもあった。
九日目の今日は、素直に従っても反抗しても殴られるんだから、どうせなら手傷のひとつでも負わせてやろうと、密告を理由に、裏も取らず、教育的指導とかで殴りつけてきた監督官を、床に転がりながらも蹴り返してみた。
もしかしたら、やられたらやり返すという基本概念を守っていると、少しぐらいなら褒められるかな、なんて甘い期待もしていたが――。
結果は、応援を呼ばれ、三人の監督官に立ち上がれなくなるまで木剣で打ち据えられただけだった。
この頃には、もう既に、子供相手に数を集めなきゃならねえようなクズが、偉そうにしてんじゃねえ、とか思い始めてたっけ。
動けない俺を、半自由人――同族の犯罪者や、戦争時の臆病な振る舞いを理由に市民権を奪われた、小間使いや職工――が、引き摺って寝床に放り込んだ。
さすがに、そろそろ死ぬな。
きっと、命は、もう、あまり残されてはいない。抽象的ではあるが、それは、確かな実感でもあった。
昔は、死ぬ時は、物凄く痛くて辛いようなイメージがあったが、実際は、痛覚なんてとっくに麻痺してて、つらいってのも、ぼやけたような思考では、はっきりと認識できなかった。
恐怖はあまり感じていない。
数日前に、訓練で殺したバルバロイ――言葉の通じない異邦人の戦争奴隷――が、盛大に泣き叫んでいた姿が、どこか滑稽に思えて……。
「死ぬのが、嬉しいのか?」
つい、こぼれてしまった笑みに、乾いた声が問いかけて来た。
半分は自嘲でもあったが。いや、だからこそ嬉しいはずなんて無いだろうがよ。
睨むように暗がりに目を凝らせば、俺の他にも今夜のメシを奪われた連中がいたようで、飯の時間の鉦が鳴ってるってのに、放り投げられた寝床には、二人ほど先客が居た。
声を掛けてきたのは、膝を立てて座っている、比較的ましな、細長い顔の男のようだ。軽く首を傾げると、ソイツがどこか馴れ馴れしく話し掛けてきた。
「エーリヒだ、よろしく。そして、あっちのがクルトさ」
クルトと呼ばれた方は、返事する余力も無さそうで――いや、うつ伏せでピクリともしていない所を見るに、死んでんじゃねえかと思うんだが……。
俺の視線の意味するところを察したのか、ははは、と、力なく笑ったエーリヒは「これでも、アンタには、感謝してるんだぜ」と、言いながらエーリヒが立ち上がり、うつ伏せになっていたクルトを仰向けにした。
クルトの胸が小さく上下に動いている。呼吸はしているようだ。
仰向けになったことでわかったんだが、クルトと呼ばれたヤツは、瞼の上が大きく張れていて、多分、古傷が開いたんだと思うが、左耳の上の頭が、少しはげたようになっていて、そこからも血が出ていた。
訓練で俺以上に殴られたヤツがいたような記憶はないんだが……。どうも、クルトは、俺よりも元の身体が弱いらしいな。
「なんでだ?」
ちなみに、エーリヒはさっき感謝してるとか言ってたんが、ここにきて以来、他人のためになにかすることはおろか、少年隊の人間とまともに喋ったこともなかったので、俺に心当たりはなかったんだが。
「前よりも、こっちがいたぶられる頻度が減った」
……ハン。
向こうも切実ではあるんだろうが、大した理由だな。
しかし、そう言うクルトとエーリヒの方だって、癒えていない傷や痩せさばらえている身体を見るに、とても、この冬の選別を生き延びられるようには見えなかった。
いや、それは、俺も同じで、奇跡みたいななにかが近日中に起こらなければ、選別を待たずに死んでいてもおかしくないと思う。
最近、立ち上がるのさえ辛く感じる。
動く力が残ってるのは後二~三日で、生きてられるのは良くて四~五日ってところか。
落ちぶれて、初めて、正しい事を言ったところで暴力の前に意味がないと知った。過程ではなく、結果だけが全てだった。どんなインチキも、強ければ罷り通るんだと理解した。
天罰なんてない。
そもそも、神様とやらは気紛れに罰を与えるだけで、人を助けてくれなんかしない。
この世界の人間の半分を殺そうと、本気で考え始めたのはこの頃だったように思う。
そうすれば、残りの半分は恐怖で俺に従うはずだと考えていた。
……そうでも考えなければ、とてもやっていけない――正気でいられない世界だった。
いや、そんなことを考え始めた時点で、論理的思考はあっても、正気ではなかったのかもしれないが、な。
こんなクソみたいな世界に、救いなんて降って来るはずがない。
正義なんてどこにもない。
そう。
……人倫も、なにもないんだから。
許されていない事なんて、ないはずだろう?
例えそれが、どんな非道であったとしても。
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