Argo
夜の始まりー1ー
一応――済し崩し的に分捕ったとはいえ――この集団の頭は俺なので、艦長室という名目のカーテンだけで仕切った船尾の部屋をひとりで使っている。事務仕事もここでしているので、他の主だった人間――ドクシアディスにエレオノーレ、糧食や警備その他様々な部門のリーダー等――が貰っている私室の二倍の広さがある。
もっとも、船の中なので、陸と比べたら下の下、家畜小屋よりましってレベルの環境だが。
「なに、してるんだ?」
資産目録に目を落としたまま、声だけで訊ねる。
さっきからずっと狭い部屋の中を忙しなくちょろちょろしていたエレオノーレは、声を掛けられるのを待っていたのか、喜々として返事を返してきた。
「少し、話さない?」
「なにを?」
今現在の総資産額をざっと把握し、テーブルから顔を上げる。戦場や拠点からかっぱらってきた武器と食料品はかなり余裕があるものの、村が貯め込んでた貴金属に宝石なんかのお宝は少ない。この元手でどれだけ増やせるかは……ドクシアディス達次第だな。
資金不足になったら、子供を奴隷として売るとでも言って脅すか? ……いや、まあ、エレオノーレがいる限りそんな事は出来無いんだが、な。
「……なんでも」
意識したわけじゃなかったが、自然と眉間に皺が寄ってしまう。仕事の邪魔をされると――、いや、いつもか。昔っから、余計な話題を振られるのは嫌いだった。
流石にエレオノーレも拙いと思ったのか、慌てて取り繕ってきた。
「ほら、アテーナイヱに行く前には勉強会とかもしてたし、その」
言われて、最近あんまり相手してなかったか、と、納得は出来たものの……。
「つってもな」
この船に乗っている人間の名簿を引っ張り出しながら、左手で頬杖をつく。後は、ドクシアディスにまとめさせたアヱギーナの法律と習慣の資料メモも、テーブルに載せる。
――祭りの日時? んなのは、余裕が出てからだな。後回し。次は、食習慣と、衛生習慣? ああ、まあ、船だしな。病人への対処もそうだが、予防も……。
「そもそも、アーベルは、アテーナイヱを出てからなにしてるの?」
「っぷ、ふは?」
あんまりすぎる質問に、噴出してしまった。コイツ、俺が遊んでるとでも思ってたのか?
しかもエレオノーレは、俺が笑った意図を逆に解釈したのか、したり顔で付け加えてきた。
「何回も見直しても、お金は増えないよ?」
怒る前に、脱力してしまう。本当に、なんだコイツは?
ん――、と、目を伏せて顔も俯かせる。
「んう?」
能天気な声が上から降ってきて、俺のこめかみの青筋を一~二本増やした。
怒鳴りたい。っていうか、平時の俺なら怒鳴っていたと思う。いや、怒鳴る前に殴りつけてたか。しかし、ここ数日、船の中での法の制定と明文化。税の取り決めと乗員に対する給金の算出等、事務仕事をひたすらこなしていた疲労感が、口から出ていたはずの暴言を溜息に変えてしまっていた。
「はぁ――」
きょとんとした顔で俺を見るエレオノーレ。
「もう、お前、下がってろよ。ここには、話し相手なんていくらでもいるだろ?」
「うん。村から来たコリーナちゃんに料理を教わったり、タニアさんに東方からの輸入品の高い服について聞いたり……」
俺の意を全く汲まないエレオノーレが、活き活きした顔で際限なく無駄話を始めようとしたので、手で払って会話を終わらせる。
「じゃあ、そっちへ行け」
む、と、不機嫌そうに口を噤んだエレオノーレだったが、しばし間を空け、急に真顔というか、いつもの単純な読みやすい表情とは別の顔で提案してきた。
「アーベルも、来ない?」
「あ?」
エレオノーレの狙いが分からずに訊き返す俺。
「やっぱり、皆、少しアーベルを誤解している気がするんだ、だから――」
「俺にご機嫌とりでもしろってか?」
威圧するようにエレオノーレの話を遮って睨みつける。
国にしろ船にしろ、どういった集団であってもその頭が下に媚び諂うなんて言語道断だ。機嫌をとるのは下の仕事だろうに、なんで俺が凡人風情に歩み寄ってやらなくちゃいけない?
エレオノーレは俺の態度を見て、拗ねた子供のように横を向きつつも、ちらっと一度だけ俺の顔を横目で見てから、そのまま壁に向かって話し始めた。
喧嘩したくないのと、強制的に黙らせられないための対策なのかもしれない。新しく船に乗って来た連中の入れ知恵か? まあ、ともかくも、そんな搦め手で来られては無視しきれない……筈だったんだが……。
「そういう言い方も良くないと思うんだ。だから、皆、アーベルの事を掴みかねてるって言うか……。男の子と一緒に釣りをしてみるのでも、なんでもいいから、少し一緒に遊んでみない?」
怒りが沸点を超えたのがはっきり分かった。『遊んでみない?』だと? 新興勢力としての体裁を早急になんとか整えようと慣れない作業を必死でこなしている俺に、この大切な時期に、ガキと遊べと⁉
誰のせいでこんな苦労をしてると思ってるんだ⁉
舐めあがって、この考え無しのバカが!
ダンと、テーブルを右手を握って叩いた。……積んでいる書類の事もあり、壊さないようにと無意識に手加減してしまった。だから、余計にイライラした。
「お前は、人助けして良い気分になってそれで終わりでいいんだろうが、コッチはそうはいかねえんだよ!」
中途半端な暴力で余計に気が立ってしまい、その分暴言に力が入ってしまう。
「乗ってる連中の生活どうすんだよ? 食料は全体で管理してるが、それ以外の生活必需品は? 各個人でなんとかしろって言うのか⁉ 陸で土地耕してんじゃねえんだぞ⁉ 今ある金で、ガキを育てる家庭に補助金出して、水夫の給料決めて、その他細々した仕事の再分配と報酬を決めて――! 交易後の利益の個人分配額と全体管理額決めて、犯罪と罰則に関する規定! 軍務に関する規定! 有事の際の行動規範! どれかひとつでも、お前、こなしたか?」
一通り腹の中に溜まっていたものを吐き出すと、息は荒くなったが頭は少し楽にというか冷静になった。言葉こそ乱暴だったが、こんなのはまるで弱音を吐いてるみたいじゃないか、とは思えるほどに。
……ゆるゆると首を横に振る。
なにをやってるんだ、俺は。
上手く言えないが、昔の俺だったら殺して奪う対象だった連中が食っていけるようにあれこれ手を回す、なんて皮肉の利き過ぎな今の境遇に鬱憤が溜まっていたのかな。なにせ、あの頃と今じゃなにもかもが違う。
エレオノーレはいじけたように縮こまったまま、ぐずるような鼻に掛かった声で最後に余計な抵抗をしあがった。
「だって、私、そういうの出来ない」
そんな様子が再び癇に障った。黙って部屋を出て行ってくれてたら、言わなかった言葉が喉から勢い良く飛び出て行く。
「だから、お前は勝手に他所で大人しく遊んでろっつってんだ! 得意絶頂で、気分が良いんだろ? お前は、殺さないように俺に懇願するだけで、アイツ等から命の恩人だってちやほやされてんだからな!」
出て行け、と、右腕を大きく振るってエレオノーレを追い払うと、ようやく素直に……というよりは、叱られた子供みたいな泣きそうな顔でエレオノーレは小走りに走り去っていった。
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