Alphekka Meridianaー38ー
「敗北です! 退きましょう! 一撃は与えました。無理に戦場に留まれば、この機を逃します!」
一度戦況を確認するために、一歩下がっていた俺に、周囲の兵士の声が集まる。
それを完全に無視したまま、俺は戦場の全てを視界に入れようと顔を巡らす。
ラケルデモンの戦列が大きく押されていた。それに合わせ、敵陣後衛の小方陣が俺の率いる遊撃隊へと正面を向けようとしている。まともにぶつかれば、縦隊の先端が潰れて後続が離散する。がっちりと固めた壁を細い木の棒で突いた所で折れるだけだ。
神聖隊は、元々は側面を取ろうとしていたラケルデモン軍を抑えるために突撃したのであり、ラケルデモン軍が戦列を下げ始めると足を止めてその場に留まっていた。追撃ではなく、戦場の確保を優先している。既に勝ったと判断しているのだろう。
つまり、この敵側の最精鋭と次にぶつかるのは、俺が引っ張ってきたこの寄せ集めであり、縦列側面さえも敵の攻撃が間近であり、結果は考えまでもない。
焦りもある。
悔しさのような気持ちも。
しかし、それ以上に……身体の中が空洞になったような、奇妙な虚無感がいつまでも自分を捕らえていた。
「退いてください!」
肩を掴まれ、耳元で怒鳴られる。どの都市軍の誰の言葉なのか分からない。
無造作にそれを払いのける俺。
思考は、肩を掴むヤツを捕らえてはいない。
もはや別のモノ、そう割り切っていたつもりでも……左目を失った時のような、自分の中の、不可分な心のどこかを失ったような。いや、表現するには言葉が足りない。虚無感や寂寥感、そうした気持ちをないまぜにしたような。心の中からなにかが抜け落ちていき、その空洞が周囲を吸い寄せ、苦しくさせる。
指揮者である俺が前線にいるからか、俺に続く兵士たちは周囲に展開し、戦線を維持している。口々に撤退を進言しながらも、今現在依って立つ導が他にないからか、俺の周囲に集まっている。
ただ、その技量の差は如何ともし難いようで、攻勢前面をこちらに向けた神聖隊と、奇襲をかけた俺達の側面を逆に衝くように動いている敵の後衛を前に、ばたばたと呆気なく倒れてゆく。
思考に空白が生じたのは短い間だったと思う。それでも、周囲に味方の死体が折り重なるには十分な間だったようだったが。
「ラケルデモン王は戦死した」
考えて、この感情にけりをつけるのは難しかった。だからなのか、いつのまにか呟いていた。
「は?」
「……え?」
俺の大声をさっき知ったからか、その呟きに訝しげな顔を向けたのは少数。もしかしなくても、撤退の号令と誤解したのかもしれない。
長剣を握り直すと同時に、高らかに俺は宣言した。
「ラケルデモン王は戦死した!」
「なにを……」
周囲の兵士の戸惑いを肌で感じる。これ以上指揮を挫いてどうするのか、と、非難するような視線は指揮官級の連中だろう。
突然の俺の宣言に、狂ったのかと動揺する味方を他所に、あくまでも自分自身の内なる声のまま、思考をまとめるよりも早く、浮かぶままに言葉を叫びながら、悠然と歩いて最前列へと割って入る。
「しかしそれがどうした⁉ かつての政変を忘れたか! 我は、故郷を追われし王族、ラケルデモンにより捨てられたアーベルである! 正当な王の死に眉宇を動かさなかった貴様等が、偽王の死で動揺するとは何事か!」
向かってくる槍の穂先をまとめて斬り上げる。いくつかの槍の先端は斬り落としたが、場所が悪かった数本の槍は折れるに留まり、疲労か戦傷で握りが甘かった敵の一本の槍が虚空に放り上げられ――。長剣を振り上げた勢いを殺さぬように手首を返し、敵の首を薙いだ後、トス、と、意外なほど軽い音を立てて俺の横に突き刺さった。
左手でそれを拾い上げ、ハン、と、ひとつ鼻で笑ってからラケルデモン軍と俺の遊撃隊とどちらに軸を向けるか悩んで動きが鈍っていた敵の一団目掛けて狙いもつけずに放り投げる。
いや、狙いをつける必要も無いほどに、目の前は無数の敵が蠢いていた。
ほぼほぼ反射で、右目の視界で捉え切れなかった左からの斬撃を柄で――刃の軌道上にあった左手を離して――受け流し、押さえ込みざま、柄を揺さぶられた反動で敵に向かった切っ先で突く。そのまま剣の先に敵をぶら下げ、それを敵の前列に押し付けて間を作ると、尚も声の限り叫んだ。
「ラケルデモン兵よ! これが、本当の王家を追放し、貴様達が得た現在か! ふざけるな! 意地を見せろ! 前進し敵を殲滅する以外の道は我等には無い! 前を向け、戦え、戦場の死を誇りと戦い抜け!」
聞こえていないはずは無い。が、この檄に反応するには戦線が押されすぎているのも事実で、立て直すとしても今しばらくの時間はかかるだろう。……もっとも、俺の目を抉りあがったあのクソガキが軍の掌握が出来ていれば、の話だがな。
今は同じ陣営にいるとして、アレを味方だとは思っていない。信頼もしていない。しかし、俺の目を奪った以上、その程度のことはしてもらわねば帳尻が合わん。
それはいわば、俺とアレが敵だからこそ、そうするだろうという確信だった。
仮にダメだったとして、それならこの先――マケドニコーバシオの
……ある意味では、俺らしい最後かもな。
敵将と相討つなら。
俺の声はなにも味方にしか聞こえなかったわけではない。当然の帰結として、敵の攻勢が完全に俺に向いた。
ラケルデモン王の死体を敵が確保したのかは不明だが、現時点でこのラケルデモン連合軍を率いているのは俺だ、と、敵が認識したのだ。
そうでなくては!
自然と、腹の底から笑みが湧く。
それは、自分自身の感情だったはずなのに、その意味を自分では分からない。ただ、向けられる敵意と殺意を前に、それがどこか……。
「は、ははははは、はぁ!」
戦況は、変わらない。
笑いながら、敵兵の兜の隙間から目を突き、切っ先の敵兵を力任せに敵陣にぶん投げ、出来た敵の隊列の隙間に身体を捻じ込んで、間合いが詰まって槍を取り回せない敵を手当たり次第に斬る。槍を捨てて短剣や鎌剣――ハルパー――を抜く敵を優先的に狙い、長剣の間合いを活かして敵兵の中に身を隠す。密着して俺を押し潰しに掛かる盾を肘や足で押し返し、目に付いたものをまた斬り払う。
味方は最早付いて来てはいなかった。だが、それでいい。
ファランクスの中に斬り込んでいる以上、敵は間合いの長い槍を振り回せず、周囲の味方が邪魔して十分に得物を取り回せないでいる。敵陣が整った密集陣を維持しているからこそ、そこに割って入っている俺への攻撃に、同士討ちを危惧した躊躇が混じっている。そして、その迷いを遠慮なく衝き――、殺す。
まだだ。
未だ、その時じゃない。
敵陣の中、踏み止まり続けるが、徐々に背後からの殴打が増えた。そうだ、それが正解だ。敵の群れの中にいる俺に対しては、同士討ちになる得物ではなく、素手で殺すのが最善だ。
無手の敵を虫でも払うように次々と斬り捨て、そしてそれ以上の数の敵にまた囲まれる。
この敵は強い。戦場で気が高ぶっているから気付かないだけで、あちこち殴られた痣だらけだろうし、徐々にだが芯まで鈍い痛みが響いてきている。
だが、だからこそ――。
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