夜の始まりー2ー

 簡単な荷物を入れた袋を肩に担ぎ、俺も歩き始める。

 最初はエレオノーレがはしゃぎっぱなしだった石畳の道路。両側には、真っ白な石造りの家が整然と並ぶ。ヘレネスで編み出された、火山灰と石灰で作ったコンクリートの建築だ。軒先には、食い物を売る安い屋台があり、金の無い連中や浮民はそこで木皿の冷めた粥を流し込んだり、果物を一つ二つ齧っている。

 呼び込みをする商人の声、笑う子供の声に、値切る女の声、時々聞こえるのは足を踏んだのなんのと言い争う声だ。

 昼になり、アゴラから続く目抜き通りは、一層賑やかになりつつあった。


 この街に来て数ヶ月。

 あの命を磨り減らす冒険が嘘だったかのような日々が続いていた。

 まあ、それも悪くは無いんだが……。どうしても退屈だと俺は思ってしまう。ただ、エレオノーレの方はといえば、ここに来てから随分と生き生きとしていた。

 このままここで旅を終えそうだな、アイツは。

 そんなことを――少し複雑な気持ちでひとりごちる。

 まあ、それはそれで悪くないのかもしれない。ここならラケルデモンの国情もしっかりと把握出来るし、国から逃げたり追放された連中を集めて軍閥を作ることも不可能ではないだろう。だから俺の目的にも、そう反しはしない。


 考えながら歩いているうちに、行きつけの小さな医家に辿り着いた。

 大きな窓のある、白の漆喰で煉瓦を覆った家だ。中には患者のための石の長椅子が三つ並んでいて、大きな机の上や、窓際には薬草が所狭しと並び、その刺激臭が鼻を衝く。

「よこそ、おこし、くださいました」

 片言の言葉で背の高い男が話し掛けてきた。

 異邦人というわけではなさそうなんだが、東部の出なのか、少し言葉遣いが変な男だ。

 ここは、あまり聞いたことの無い都市国家市民の医家で、しかしながら主人が対応することは無く、三名の奴隷によって小さな病院を運営していた。

 最初、個人所有の奴隷という物をいぶかしんだが、いくつかの新興都市国家では財力に物を言わせ、奴隷を村単位ではなく個人で管理する制度が出来始めているようだった。

 時代は変わるものだな。

 とはいえ、寝首を掻かれそうで怖いと思うのは俺だけなんだろうか? 国が変われば奴隷も変わるのか?

「どですか? 調子は」

 訊ねられ、左腕を預けつつ答える。

「全く問題ない」

 この男は、胡散臭そうな言葉遣いとは裏腹に、腕は確かだ。対応も丁寧だし、奴隷に甘んじている理由がいまいち分からない。主人に成り代わりたくないんだろうか?

 ふんふん、と、リズムを取るように頷きながら、腕を揉み、筋に沿って人差し指と中指を滑らせる男。

 能天気というか、なんというか。まあ、現状に不満が無いのだろうな、とは、思う。ここでの対応を見る限り。

 どうやら、人を操る術は恐怖以外にもあるらしい。ラケルデモンの国政に反映できそうな部分はあるかな?

「はい、少し握ってみてください」

 言われた通りに拳を硬く握る。

 連動して、腕の筋肉が盛り上がった。

 トントン、と、叩くように肩に指を当てた男は――。

「もう大丈夫そうですネ」

 少しだけ間を置いてそう言った。

「動いてみて、どでした?」

「平気だった。皮が引き攣れるような感覚ももう無い」

 うんうん、と、大きく頷いた医家の奴隷は、にかっと歯を見せて笑った。

「オめでとうございます。完治です」

 よし、と立ち上がる俺。

「残念だったな。上客が今日で退院で」

 診療代を渡しながら、冗談を言えば、医家の奴隷は商人然とした笑みを浮かべた。

「いえいえ、アナタのような戦士は、傷が癒えたらまた怪我をすることをなさるでしょう? 次回も、どぞ、ご利用くださいませ」

 ふん、と、口が上手い男に軽く笑みを返して、医家を後にする。

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