Maasymー7ー

 すっかり日も暮れ――屋台なんかがもう出ていないのは当然として、繁華街の方でも酒場以外は……いや、酒場もたいていのところは店仕舞いしている時間だったので、そのまま真っ直ぐに家に帰ることにした。

 腹は空いているが、まあ、ラケルデモンにいた頃には少年隊への食事は常に不足するように配給されていたしな、今更飢えをどうこう言うつもりは無い。それに、家に帰れば――……。

 いや、そうか、少年従者は、もう付かないんだったな。

 最近は料理を少年従者に任せていたせいで、家になにがあったかいまひとつ思い出せないが、適当に乾物でも齧れば良いか、と、気楽に考え、家路を急いだんだが……。


 まあ、ひとつ言うとするなら、俺がここであてがわれた家は、新造された独身者のための家であり、ミエザの学園に遠方から来た新参者は、どうしても隣近所に入ることが多い。

 どうしてここに居るのか解釈に悩むが、事実としてエレオノーレが俺の家の前で待っていた。


 ……いや、気まずいとか、では。無いわけでも無く。まあ、気まずくないといえば嘘にはなるんだが、あんまり、もう、関わるのも別に良いかな、と、思って、意図的に顔を合わせないようにしていたんだがな。そもそも、エレオノーレが来て以降は俺もかなり忙しかったし。

 しかし、どうも、エレオノーレは同じ気持ちではなかったらしい。


 ん――。

 いや、嫌っているとか、そういうわけでも無く。単に、気まずいのと、会って話す必要を感じないのとで、構いたくない。かつ、構われたくもないんだがな。俺としては。


 あの国での癖が抜け切ってはいないのか、急に足を止めたことで逆にエレオノーレにも気付かれてしまい……。

 まあ、家に帰らないわけにもいかないし、戸口で待たれては、顔を合わせざるを得ないわけだが。

「あの!」

 少なくとも、俺の顔色から良く思われてはいないことには気付いたのか、色々なことを吹き飛ばすように、大きな声を上げたエレオノーレ。

「ああ。お疲れ様……」

 挨拶をして家に入ると、当然のように俺のすぐ後からエレオノーレが俺の家に上がってきた。

 ……肩越しに振り返り、目が合うと――。

王の友ヘタイロイの人が来て、アーベルは、今日は夕飯は、食いそびれるだろうからって」

 訊いてもいないのに、エレオノーレは事情を早口で説明し、蔦で編んだ籠を掲げて見せた。多分、小麦のパンと、あと……まあ、食えないモノではないだろう。多分。昔っから料理は酷かったが、食中毒は起こさなかったし。


 ふ――、と、鼻から溜息を逃がす。

 言質は取ってるから怒るなってか?

 まあ、本人にそうした駆け引きのつもりは無いのかもしれないが、前と同じように強引なお願いじゃない分、帰れと言い難くはなった。

 つか、誰だ? コイツにそんなこと伝えたの。

 火打石で藁に火を点けながら訊ねてみる。

「爺さんか? 若いやつか?」

 夏が終わったが、まだ雨はほとんど降っていないせいで藁も枯れ木も空気さえも乾いている。火は簡単に点いたので、それを竈ではなくオイルランブに移し、順繰りと壁際の三つのオイルランプに灯りを入れる。

 部屋が橙色に照らされ、さっきよりもはっきりとエレオノーレの顔が見えた。


 エレオノーレは、迷わずに答えた。

「御爺さんって歳じゃないと思うけど、年配の方だったと思う」

 アンティゴノスか。しかし、これはなんのつもりだろう?

 先生が俺を探しているのを聞きつけ、仕事が終わってもすぐに帰れないと……。いや、でも、まさか、先生と俺が話す中身まで予想して、馴染まないならエレオノーレを連れてまた逃げちまえ、なんて当て擦れるか?

 アイツの性格上、単に、からかわれただけのような気がしなくも無いが……。事実、他のヘタイロイの色恋沙汰を賭けの対象にして、喧嘩になったことも――。

 ……ああ、いや、クソ。一番しっくりして、かつ、納得のいく理由があった。少年従者がいなくなって、家事の手間を感じただろうから、妻を取れって当て付けだ、これ。

 あのジジイ。あの歳で四人も妻がいあがる――あれ? 五人だっけ――からな。

 プトレマイオスの結婚も間近らしいし、ともかく誰でもいいから言い訳として婚約ぐらいはしておけってことかぁ⁉

 ったく……。


 独身者の家だし、そもそもが寝に帰るだけの家なので、奥の寝室以外には、客間・居間・炊事場つか諸々兼用のこの部屋しかない。人が隠れられるような広い部屋は落ち着かないから、無理を言って無産階級が入るような作りの家を借りている。

 狭い部屋の中、朝には俺の少年従者の座っていた席に、エレオノーレが座るのは、なんだか複雑な気分だった。

 まあ、これまでも正面の席に座るやつの顔は何度も変わってはいたんだが、な。

「どう? ここでの生活は」

 冷めてはいるが、ふっくらとした小麦の醗酵パンと――、ああ、ハーブを漬け込んだオリーブオイルの瓶だな。他にも、貝の干物や、塩漬けの魚、干しデーツなんかを取り出しながら、エレオノーレが訊いてきた。

「ああ、上手くやってるよ」

 エレオノーレの方も、上手くやってはいるらしい。

 小麦のパンもそうだが、南部が特産のオリーブオイルは、ここじゃちょっとした高級品だ。魚介類の加工品は、良く見るものだが……。

「あ。イオと一緒だから、お手伝いさんもいて、その人が作ったから」

 大丈夫、と、料理を並べ終え、言外に続けたエレオノーレ。

 相変わらず、調味料をケチった料理を作るのは変わっていないらしい。

 ただ、茜色の外套クラミディオンも、上等な布で作られた物だし、町の代表としての外面はしっかりと保たれている。もっとも、服は未だにラケルデモン式で、富裕層の子女がやるような足首までの長い着付けではなく、女神アルテミスの像のような、膝の少し上の丈までのキトンを身に纏っているが。

「悪いな」

「え?」

 きょとんとした顔のエレオノーレ。

 しかし、なぜそんな顔をされているのか分からずに「ん? 俺は一緒に食ったら拙いのか?」と、逆に訊き返す破目になった。

「え? ああ、違う。そう、一緒に食べようと思って持って来た」

 少し慌てたように早口で言いつくろったエレオノーレは、小さく息を吐いてから「前は、そんなこと言わなかったよね?」と、訊いてきた。

「そうだったか? まあ、奢られたら礼ぐらいは言ってたと思うが」

 ふふふ、と、少しだけ笑顔になったエレオノーレ。

「どうだったろうね」

 笑顔に対して掛ける言葉が無かった俺は、唯一言える言葉を口にした。

「頂きます」

「うん、いただきます!」

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