Maasymー5ー
「少し宜しいでしょうか?」
今日中に済ませておくべき人材の確保とその記録は終わっていたので、アゴラの閉鎖時間を告げる鉦と同時に執務室を出ると、不意に声を掛けられた。
これまでは巡察隊の指揮だけだったので、当番詰め所を同年代のヘタイロイと輪番で使っていたため、この部屋は新たに俺のために設けられたものだ。
未だに荷物の運び込みさえ済んでいないのに、人が訪ねてくるとは思っていなかったので少し油断して初動が遅れた。
誰だ? と、疑問に思っていると、嫌なことが思い出された。
今日は少年従者の問題と結婚の問題なんていう、余計な――そして厄介過ぎる問題が舞い込んだんだった。
「ん? 誰だ? ……あ!」
丁寧な口調だったので、てっきり直接俺に少年従者を取れと交渉しに誰か来たのかと思い、疲れていたこともあって乱暴な口調を返してしまったが――。
振り返った先にいたのは、先生だった。
「はい。大丈夫です」
今更遅いかもしれないが、口調と姿勢を改める。
先生は、特に怒った様子も気にした様子もなく、いつも通りの穏やかな、しかし、なにを考えているのか読み難い表情で話し始めた。
「すみません。今日は非番とのことでしたので、お部屋の方に窺ったのですが。あ、その……少年従者のエウゲンさんが荷物をまとめていらして『軍の編成に予定が変わったので、お戻りがいつになるか分からない』と」
ああ……、結局、やっぱり、昼の一件がぶりかえすのか。つか、アイツ、エウゲンって名前だったんだな。まあ、今更覚えても仕方ないが。
「すみません。お恥ずかしいところを」
嫌な顔をするわけにもいかず――まあ、それでも型通りで最低限取り繕っただけだが、挨拶を返す。
先生は、いつも通りと言えばそうなんだが、短剣を突き出せば絶対に避けられないだろう、という距離まで間合いを詰め、しっかりと俺の目を見て訊ねてきた。
「お忙しいのですか?」
「……いえ、まあ、軍の編成の方に入りましたので」
ああ、と、先生は納得した様子だったが、俺としては異常なほど近い距離を維持したまま、しきりに頷いているので、居心地の悪さをごまかすように――そして、さっさと離れてくれるように、率直に訊ねてみた。
「ええと、それで、俺になにか用でしたでしょうか?」
緊張もあって、なんか変な言葉になった。
敬語はどうも苦手だ。
少年隊に送られる前には、口調も立ち居振る舞いも、それなりには仕込まれていたような気もしたんだが、いかんせん昔過ぎて抜け落ちている。
一応、プトレマイオスに指導は受けているが、アイツは細かすぎるからな。大枠だけ先に教えてくれれば良いのに、ひとつひとつ丁寧に文句をつけられているので、進捗が他の学問と比べて悪い。だから、礼節を完全に習得した、とはいえない状況だ。
まあ、昔は礼儀なんて気にしなかったんだし、怠けず真面目に学んでいるだけ進歩した、とでも思って欲しい。
用? と、先生は少しだけ首を傾げてみせ――いや、本当に大丈夫か? この人――、しかし、すぐに傾けた首を戻し、口を開いた。
「用というわけではありませんが、少しお話をしたいと思いまして」
……なんだか、簡単のようで難しい事を言われたような、いまひとつ、こちらの理解を妨げるような言い草だと思った。
なにか訊きたいなら、それは用があることだと思うんだが……。ああ、いや、先生の議論に混ざる、と、王太子に言われ、そのままになってしまっていたから、その予備段階として俺の人となりを判断するために、目的の無い会話だが、話し合いたい、ということなのか?
まあ、お話がしたいといわれて――、いや、さすがにいきなり先生と食事に行こうとは思えずに、今出てきたばかりの俺の執務室の扉を開け、机を挟んで先生と向かい合って座ることには成功した。
これでようやく距離だけは……、と、思ったんだが、先生はやっぱり机に身を乗り出すようにして顔を近付けて喋るので、どうにも、苦笑いが浮かんでしまった。
「高速展開可能な歩兵部隊、ですか」
先生が、散らかったままの書類を口に出して読んだ。
「すみません。散らかっていて」
「いえ、もっと凄い部屋の生徒もおりますし、平均的ではないでしょうか」
冷静な分析はありがたいんだが、やっぱりどうにも調子が狂ってしまうな。
書き掛けの書類をまとめてひとつの山にして、改めて先生に向き直る。
値踏みされている、とも違う……。そう、先生は研究者でもあるので、その面が強く出ているのか、どうにも不躾な視線を向けられ、しかも、話したいという割に自分から会話してくれなくて、かなりの居心地の悪さを感じてしまう。
うん。
どうも俺は先生が苦手なのかもしれない。嫌いとかそういうのではなく、苦手。相性が悪いって言うか、近くにいると普段の半分の力が出せないって言うか……。
「あの……」
考えているのか、それとも悩んでいるのか、あごひげに手を当てて俺を見続ける先生に、これ以上ただ見られているのも限界だったので思い切って話しかけてみた。
「はい?」
恐ろしいことだが、心底不思議そうに首を傾げた先生。
確かに、顔を合わせたことはこれまで何度かあるものの、会話したことはほとんど無かった。にもかかわらず、面と向かって黙られて気まずくないわけは無いだろうに!
「俺になにか問題が?」
表情が歪んだことから見るに、当たらずとも遠からずといったところなのかもしれない。なら、これまでの態度は、不出来な生徒にその欠点を伝えるべきか否かを迷っていたが故の反応だったのかも。
災いはひとりではこない、とはよく言ったものだな。いや、運による問題ではなく、原因が俺にあるのも――昼の少年従者の一件は、俺が我を通しているから起こったことだし、これから先生に指摘されるのは、自分の至らぬ点のはずだ――、分かってはいるんだけどな。
ただ、なにも、それが軍の編成を始めた今日じゃなくても良かっただろうと思うだけで。
しかし、先生は、難しい表情に反し、はっきりと言い切った。
「能力的な意味で、というわけではありません」
が、ならば消去法で性格的なものだと推理できてしまうので……苦笑いしか浮かばなかった。
ここに来たばっかりの頃と比べれば、ましになっている、とは思うんだが、どうもそれでも不満……というか、先生としては俺の荒っぽさは確かに頭痛の種かもな。プトレマイオスでさえも、品行に関しては常に文句をつけてくるんだから。
プトレマイオスなら、まあ、いつもの事と言えばその通りで、叱られ慣れているんだが、先生には初めて怒られるので、なんというか、加減が分からない部分があり、どんな顔をすれば良いのか分からない。
つか、言動面での指摘だから、最初に振り返った際の口調をその場で指摘しなかったのかもな。
色々と身構えて考えてしまっていたが、不意に――多分、露骨に縮こまった俺を気遣ったんだと思うが――先生は少しだけ柔らかく笑って続けた。
「あの子にも欠点はあります」
あの子?
誰の事か一瞬分からなかったが、ヘタイロイの誰かと判断した場合には該当者が多くなりすぎることを鑑みれば、先生の一番の教え子の王太子のことだと思い至った。
が、王太子の欠点?
多少おふざけの度が過ぎたり、熱くなりやすい部分もあるとは思うが、他の優れた能力で充分にカバー出来ていると思う。完全な真球の真珠が無いのと同じことだ。多少の欠点は、人間らしいというか、欠点が無い人間は、最早人間ではないと思う。
真意を量りかねている俺に、先生はゆっくりとした口調で、でも、はっきりとつした声で続けた。
「ですが……いえ、だからこそ、とも言えるのですが、アナタは、あの子の悪い部分ともろに重なっているのです」
悪影響を及ぼしている、と、判断されたんだろうか?
多分、そうだと思うが、だったら、どうしようというのだろうか?
誰にも影響を及ぼさないように生きることは不可能だし、今更、ここから出て行けって話なのか?
話の行き先が見えず、ひとまず様子を窺っていたが、先生の方から質問され、答えざるを得ない状況になった。
「ご自身の評判は?」
「いえ、あまり」
目立っているらしい、とは聞いていたが、具体的になんと言われているのか、どんな評価が多いのかはよく分からない。名声も悪評も、なんというか、自分からずれたところを流れているようなもので、はっきりと俺はこうだ、と言える物でもない。
強い、とは思われていると思う。
でも、ヘタイロイには、他にも強いものは大勢いる。悔しいが、強いということだけが、特別な評価だとは思えない。
先生は、軽く顎を引いて頷き、教えてくれた。
「初期においては、戦争における狂奔の神アーレースのように感じる者が多くおりました。粗暴な破壊者と。しかし、アナタの強さに感化され、また、アナタもミエザの学園での生活で心の均衡を保つようになり、その強さは、暴力から信頼へと変わりつつあります」
くすぐったいような気分はある、が、それよりも訝しむ気持ちの方が強い。悪い部分、と先に言っておきながら、先生が中々核心に触れないせいだ。
褒められている、と、素直には喜べず、曖昧に頷くと、先生は頷き返し――更に顔を近付けて告げた。
「誤解しないでください。アナタは、無能ではありません。むしろ、非常に優秀です。だからこそ、その一石が投じる波紋をわたしは恐れているのです」
「ヘタイロイは、変わるべきではないとお考えですか?」
不安よりも、不満が勝った。
王太子の元に集う人間は、例外なく変革者だと思っている。それはなにも、軍の編成や陣形、騎兵の運用に装備開発といった部分に寄るものだけでなく、ヘレネスの統一、アカイネメシスへの逆侵攻、その先にある世界国家の樹立と、これまでに誰も実現出来なかったことを本気で成そうとしているのだから。保守的で良いはずがない。
それに……。そもそも、俺は、拒絶されることには慣れている。食い下がると決めていた。ここで強くなると、望みを果たすと。
簡単に辞めるわけにはいかないのだ、ここの最高責任者に嫌われたとしても。
真っ直ぐに視線を返すが、先生は特にそれを意識したりはしないのか、顔色ひとつ変えずに続けた。
「いえ、変化は必然です。ミエザの学園も、生徒も、不変ではありません。戦死する者、病気で故郷へと帰るもの、ここでの生活が合わずに他国へと向かう者。集団は、常に変化するものです。ですが――、人間は、変わらない」
すっと……、心臓に冷たい手が不意に差し込まれたように、人間は変わらない、という言葉が胸に突き刺さった。
だが、動揺の理由を、自分でも理解出来ずにいると、先生は少し噛み砕いて説明してくれた。
「表面ではありません。本質のプシュケーにおいて、です。プシュケーには、その目的を達成させようとする動力があるからです。アナタの目指す到達点は、どこにあるのでしょうか? それは、あの子達と同じ場所ですか?」
俺は、即答できなかった。
理想に共感している。皆を仲間だと思っているのも、本当の事だ。だが、俺が渇望しているのは……。
本当の俺は――。
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