Porrimaー12ー

 う、む。

 話し難いというよりは、出発時にあった目的と、手にして帰って来たモノが違い過ぎて、上手く話せなくなってしまっているんだけどな。

 ここでこうして先生と会う前には、それなりに、なんらかの教訓を得てきたつもりだったんだが、いざそれについて話そうとすると、言葉にならない。

 結果だけを見れば、主流派では無いにせよラケルデモンの同胞からも選ばれず、結局、自分の居場所がどこにもないということ気付かされただけ。先生が感じていた俺に対する懸念は正しく、次代を築こうとする王の友ヘタイロイに相応しくない……という幾つかの根拠がみつかった。

 なんて、口に出来ないし、したくもなかった。

 だから俺は慎重に言葉を選び、結論を自分の口からは出さないように気をつけて話し始めた。先生なら、あるいは、もっと別な解釈を示してくれるんじゃないかとも期待して。

「先生、俺は、今の俺の行動原理である動力因としての過去に触れ……しかし、目的因は見つかりませんでした」

「それは、恥ずべきことではありません。誰もその迷いの中にあります」

 先生は、驚きも哀れみも、同情も示さなかった。ただ、小さな共感だけを示した。だから、俺はつい、話し始めてしまった。上手く口に出来ずにいたことを。

「そうかもしれませんが……。その上手く言えないんですが、近付くほどに見えなくなってゆくのです。遠くに見える高い山を目指して歩いてるのに、麓に着いた途端、そこにはなにもなかったように――幻のように消えているといいますか」

 自分の中で上手く整理できていないことだったからか、一度話し始めると、言葉が次々溢れた。水のように、止め処なく。

「昔の俺は、目指す方向に迷うことはありませんでした。そして、今の俺が過去の俺に劣るとは思えません。なのに、今、どうすれば良いのかが分からないのです」

 俺が望んでいた形でラケルデモン王として即位することは、きっと、もう、ない。王太子と一緒にギリシアヘレネスを統一したとして、その座には異母弟がいる。

「昔の俺は、ラケルデモンの正統だと自分自身を思っておりました。血統は確かにそうなのですが、でも、必要とされていたのは、もはやそこではなく……そう、最初から俺が持っていたのは、幻想だったのかもしれません」

 いや、王の友ヘタイロイとして、必要性に迫られれば一時的に俺が即位するのかもしれないが、それは真の意味での王ではない。

 そもそも、皆と一緒に歩み始めた時点で、俺の目的地は変わり始めていた。

「信じていたもの、これまで生きてきた上で必死で掻き集めてきたもの、それらが全部、無価値だと気付き――。それでも俺は生きております。……いえ、ただ生きることは、他の全ての生物にも行えることでしたよね」

 先生は、軽く目を伏せ、俺の長い話を聞いていた。

 話し終えても、短くはない沈黙が流れ、不意に先生は俺に一歩近付いて訊ねた。

「『命の意味は、後付の理由ではないか』と、アナタはかつてわたしに話しましたね?」

「はい」

「今のアナタの命題を、未来のアナタならはっきりと理解できている。そうは思えませんか?」

 一呼吸の間を空け、考えてみるが――。

「分かりません。人が目的……いえ、自分自身にとっての完成形を見出し、それに至る過程の難しさを痛感した。今、俺が言えるのは、そのぐらいです。それが、命令無視をしてまで島を離れた俺が得たものでした」

 ギリシアヘレネスを統一する。アカイネメシスを征服し、世界帝国を樹立する。その夢に加担することは本意だ。

 今のまま、皆と色々な難局を乗り越えていく生き方もあり、それはきっと充足を感じる日々になるだろう。

 ただ、その中で、自分自身が磨耗していってしまうんじゃないかとも感じている。日々の業務をこなしていくだけの……代替可能な奴隷と変わらないような存在になっていくようで。

 王太子に取って代わる。

 そう考えたこともないわけじゃないが、今となっては、それは自分自身の命題とは違うように感じている。しかし、ただ無意味に戦うだけというのも――そう、いつかエレオノーレが、戦うだけだった俺を歪むだのなんだのと言っていたが、そのとおりなのかもしれないとも感じ始めている。

 ……そうだな。分散してしまいそうな思考を無理にでもまとめるなら――。

 俺にしか出来ない事はそれなりにある。と、思う。

 ただ、自分自身の人格と能力と役職が組み合った、最終到達点エンテレケイアが見えてこない、ということなのかもしれない。


「我が夫よ?」

 横でずっと静かに話を聞いていたアデアが不意に話し掛けてきたので、顔を先生からアデアへと向ける。

「なんだ?」

 アデアは最初こそ難しそうな顔をしていたが、他に表現が見つからなかったのか「真面目過ぎるのではないか?」と、少し呆れるような、でも、本当に普段通りの、普通の事を告げる顔で言った。

「無論、それが悪いと言いたいんじゃない。ただ、人はもっと無為に生きているだろう? もっと金が欲しいな、とか、なにか美味しい物を食べたいな、とか、そんな些細な目的の積み重ねだぞ? 日常なんて」

 いや、それも、分かるんだが……んん、幼いアデアには、上手く伝わらないか。

 当たり前に生きることが悪いとまではいわない。ただ、俺が俺として生まれた事には、意味があるはず。あるはずなんだ……。なくてはならない。

 そうでなければ、これまでの人生はいったいなんだったというのか。

 俺というプシュケーにしか至れない場所があり、そこに達することで……。納得、したいのかもしれない。生まれて来たことと、生き抜いてきたことを。


 苦笑いのままでいると、俺が困っていることが伝わったのか、アデアは一度きつく唇を噛み締めた後、一気に捲くし立ててきた。

「だから! その! 一歩も進めない時があってもいいじゃないか。その時は、妻であるワタシがギュッとしてやろう」

 アデアがあまりにも必死だったから――。

 つい、ハン、と、鼻で笑ってアデアの頭に手を乗せてしまった。

 アデアも歳の割に背は高いが、俺を抱きしめるというよりは、どう足掻いても俺に抱きついているようにしか見えないだろう。

 次の瞬間、真顔のアデアが俺の腹に、きちんと腰を捻った拳を真っ直ぐに打ち付けてきた。

 弱くはない。でも、やっぱりまだ少女の柔らかい拳だったので、今度はバカにする笑みではなく、自然と、少しだけ口元が緩んでしまっていた。

 痛がらない俺を見て、更に膨れたアデアの頭に二度ポンポンと軽く手を乗せ――。

「先生」

「はい?」

「アルゴリダで、俺はかつての師――そう、王太子にとっての先生のような人、そして、異母弟を助け出すことが出来ました」

 はい、と、もう一度先生は頷いた。

「ですが、それに関して、少し、王太子に孤独感を感じさせてしまったかもしれません」

 先生は、少し驚いたような間を空けたが、すぐに口元を緩め、俺が、気のせいかもしれませんが、と、口を開こうとするのを遮って言った。

「良い傾向ですね」

「はい?」

 と、今度は俺がさっきの先生のように訊き返してしまう。

「他の方の事を考え、思い遣ると言う事がです」

 楽しそうな顔の先生に、どう返事すれば良いのか分からなくて、頭を掻くとアデアに頬を抓られた。

「なんだよ」

 まあ、気遣って欲しいってアピールなんだろうが、そんな露骨にされてしまうと、気遣おうって気がなくなるな。して欲しいことをはっきりと口に出来る相手なら、こっちがあれこれ気を回す必要はないだろ。

 ……ん?

 もしかして、アデアや他の王の友ヘタイロイには、俺がそう見えてる、のか?

 どうだろうな? 分かり易かったり分かり難かったり、癖が強くて素直じゃないヤツばっかりだ。


 先生は、少しだけ穏やかに笑って、俺とアデアから一歩離れた。

「あの子の所へは、わたしも行こうと思っておりました。よろしくお伝えします」

 どうもこれから王太子に会いに行くらしいが――。

 そうじゃない! そうじゃないんだよ、先生……。

「あ! いや、よろしくお伝えではなく、俺が言っていたとお伝えせずに、上手く先生が気遣って頂ければ」

 慌ててそう付け加える俺を、先生は今度は本当に可笑しそうに笑った後で「はい」と、小さく頷き、俺が来たアゴラ側へと向き直って柱廊を歩き始めた。

 石畳に冬用の羊毛の布で脛までを覆ったサンダルの音が、コツコツと小さく柔らかく響く。


 なんとなく、その背中を言葉なく見送る。

 先生と話していると、なにか分かった気になる。自分自身の内にある問題が、解決した、とまでは言えないんだけど。

 ペシペシ、と、アデアが俺の背中を叩いてきた。

「なんだよ?」

「存外、分かっていないようで、分かっているんだと思ってな」

 視線を先生の背中の方に向けたまま、こっちを見ずにアデアが答えている。

「なにがだよ?」

 もう一度そんな風に訊いてみると、アデアは顔の向きは変えずにチラッと上目遣いに俺を見上げた後、呟くように囁いた。


「さっきみたいな顔、しても良いのだぞ? 妻の前なら、恥ずかしくはないだろう?」

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