夜の始まりー2ー

 今日の仕事は、エペイロスの要人への挨拶それで終わりのはずだった。

 とはいえ、アデアと顔合わせした後にきちんとした形での会食があったので、結局くつろげるのは夕食後になりそうだが……。


 豚と麦を中心とした食事を終え、大地の霊に感謝するために煌びやかな杯に葡萄酒を満たし、それを床へと数滴垂らし、大地の善霊への感謝の言葉を告げる。

 それが終わると、奴隷が食卓を片付け、それと同時に主菜で汚れた手――皮はパリパリに、肉は噛めば柔らかく油が滴り落ちてくる、良く肥えた豚をじっくりと炙った丸焼きだった――を洗うための水の入った器が渡され、指を清めた。

 その後、香油と――山に咲く、淡い色合いのプリムラで飾られた冠が配られ、身支度を整えると……。

 神々に対しての感謝と賛歌によって、宴は終わり、レオと異母弟は正式にエペイロス――というよりは、王太子個人の賓客となった。俺は特に大きな立場上の変化は無かったが、正式に王太子の友人という形でのエペイロスでの身分と行動の自由が保障され、あくまで名目上は王の友ヘタイロイの補助ではあるものの軍事指導及び、有事の際の軍事協力を行う権限を授かった。


 そんな、型通りの式典を終え案内された俺の部屋には――型通りではない、事態が俺を待っていた。

「……おい」

「なんだ?」

 どこか眠そうな、とろんとした目で既に寝台に横になっているアデアが俺へと視線を向けてきた。

 まあ、ガキなんだし、あまり遅くまで起きていることは少ないんだろうけどさ。

「なにしてんだよ?」

 俺も精神的には疲れていたが、広いとはいえ女が寝ている寝台に潜り込める程には無神経でないので、近くの椅子に腰掛けてアデアと向き合う。

 アデアは、眠たそうな目を、ひと擦り、ふた擦りした後――。

「喜べ夫よ、今日から、ここで一緒に寝るのだ」

 上半身だけを起こして、偉そうに言い放った。が、昼間ほどの勝気さは感じられなかった。どこか、ふわふわした年相応の甘ったるい声だ。 酒宴での雑談に――雑談とはいえ、その場にいない人間の悪口や、商売の儲け、抱えている奴隷についての話も漏れ聞こえてくるので、宮廷内の勢力図を知る上では重要な情報源だ――耳を欹てていたので、時間が早く過ぎたように感じていたが、思っているよりも遅い時刻なのかもしれない。


 ふ――、と、長い溜息を吐く。

 きょとん、とした顔が目の前に突き出された。

「俺の寝台は?」

 訊ねると、アデアは無言で毛布をめくって手招きしてきた。

「ハン」

 ので、鼻で笑ったら、伸びてきた指で鼻を抓まれた。

「ほまへの、へひゃこは?」

 鼻をつままれたので、お前の寝床は? という質問がかなり聞き取りにくかったと思うんだが、アデアは概ね正確に推理したのか、全く変わらない態度で言い返してきた。

「だから、ここがワタシと夫の部屋だと何回言わせる?」

 俺がもう一度笑い飛ばしたら、抓んだ鼻をアデアに引っ張られたので、仕方なく寝台に入り、手に持ったオイルランプを吹き消して近くのテーブルに載せた。

 部屋が暗くなる。


 寝台は、広さが充分なので二人でも不自由はないが……な。

 アデアの気配を探りながら、寝返りで蹴り飛ばされない程度も間合いで俺は仰向けで横になり、毛布を鼻まで引き上げた。

 しかし、これは、婚約ではなく、既に結婚しているという扱いではないんだろうか?

 他国では、婚姻後に妻と一緒に住んだり、国によっては家から出さないらしいと、これまでの旅でなんとなく分かっていたが。しかし、ラケルデモンでは寝所は軍事組織単位で割り当てられており、妻と一緒に睡眠をとるって習慣はない。なんというか、上手く言えないが……こういうことに慣れていない。

 だが、今日はもうなにもかもが遅い。

 この時間に、奴隷を叩き起こして、別の部屋を用意させるってのも、この国に来たばっかりの客としての振る舞いとしては問題があるだろう。

 そう……昔、エレオノーレと逃げた時だって、女の近くで寝てたんだし、今回もそういうものと思えば……。

「おい」

 不意にはっきりとした声で暗がりから呼びかけられた。

 近くに警備の兵士はいるはずだが、それを呼んでいるって雰囲気でもなかったし、俺自身、寝つけてなかったので、上半身を起こしてすぐさま答えた。

「ん? どうした?」

 だが、声を掛けてきたアデアからはすぐに返事が来なかったので、俺は寝台横のランプへと手を伸ばし、火打石でカチガチッっと……。

 火付きが悪いな。灯芯に油が滲みてないのかも知れない。新品なのか? ……もしかしなくても、急な婚約のため、慌てて部屋を整えたのかもしれない。そう思って見返せば、調度品は部屋にまだ馴染んでいないようにも感じる。


 半ば無心になって火打石を打ち合わせていると、唐突に、ポッと、オイルランプに火が点った。

 橙色の親指の第一関節ほどの炎が揺れている。

 アデアは、横になったまま、チラリと俺の顔を見て――。

「別に、ワタシは、この婚約に反対ではなかったのだ」

 でも、すぐさま俺とは逆側へと寝返りを打ち、背中でそう告げてきた。

 目が合った瞬間の表情は、どこか不貞たような、でも、ランプの炎のせいだけではない色だったような……。


 いや、その……。

 なんっつーか、驚いたので、返事が出なくなった。つか、さっきまでなに考えてて、なにをしようとしてたのかも頭から抜け落ちてた。

 あれ? 俺、なんでランプつけたんだっけ? 暗くても喋ることはできるってのに。


 しかし、アデアの方は俺が無言なのを誤解してしまったのか、少し早口で捲くし立ててきた。

「なのに……、あんなに必死な叔父殿は、初めてだったから、少し、戸惑って、それを誤解されたんだ」

「あ、ああ。……そ、そうか」

 うん。

 そうか、しか言えない。

 つか、なんで毒を盛りに王宮に入った男が婚約者で反対しないのか分からないんだが。本音の部分では、アデアも王太子派で、派閥を動くための切っ掛けを待っていたとかなのか?

「なんだ、反応が悪いな」

 アデアは、今度ははっきりと怒った様子で、弾けるように上半身を起こし、歳相応な拗ねたような顔で俺を睨んできた。

「……こういう時、どう答えればいいのか、知らないだけだ」

 少なからぬ動揺があったので、つい本音が出てしまい、……言った後で気恥ずかしくなってアデアを軽く睨んでしまう。

 アデアは、どこか不思議そうな顔でまじまじと俺を見つめ返してきたが――。

「意外と初心なんだな」

 長い沈黙の後で、軽く微笑んでそんなことを言いあがった。

「うるせえよ。大人しく寝てろ」

 怒鳴り返すのは不恰好だが、こういう台詞を上手く受け流したり切り返す台詞を俺は盛っていない。だから、芸はないがこれが精一杯の返答だった。

 だが、それが余計にアデアを調子に乗らせてしまったようで「前にも妻がいたらしいと聞いていたのに」とかなんとか、わけの分からないことを言い出されてしまう。

「あぁん?」

「違うのか?」

 アデアの顔は、嘘やからかいで言ったって雰囲気ではない。しかし、妻か……。

「……あー、あれは、そういうのではなくてだな」

 思い当たるのは一人しかいなかったし、王の友ヘタイロイの連中が先に俺の事をアデアに話しているんだとすれば、アイツのことも伝える必要はあったんだと思う。だが、それにしたって俺とコイツを婚約させるつもりが本気であるなら、もうちっとは気を使った言い回しをしろと思う。

 説明が、難しすぎる。

「浮気は身を滅ぼすぞ、夫よ」

 アデアは、やや軽蔑するように目を細めて俺を見てきたので、俺はむしろ開き直るぐらいのつもりで言い返してみた。

「マケドニコーバシオは、一夫多妻だろ?」

 しかし、アデアはそんなありきたりな返しも予想していたようで「ワタシの夫に、それが出来るのか? 出来ると思っているのか? ん?」訊ねる度に頭を左右に揺らしながら、顔を俺の方へと近付けてくる。

 額がぶつかりそうな距離。

 アデアの青い目が鏡のように俺の顔を映している。

 子供の幼さはあるものの、どこか嗜虐的な笑みだ。

 どうせ、あんまり迫ったら男がどうなるのか、なんて分かってない癖に……ったく。

 つい、と、額を押して、再びアデアを寝台に押し付ける。意外とあっさりと再び横になり、毛布を口元まで引き上げたアデア。

「ラケルデモンは、一夫一婦制だな?」

 口元は隠れているが、目の感じから楽しんでいるのがはっきりと分かったので、俺は逆に思いっきりしかめっ面を作って答えた。

「……ああ」

「ふふん」

「なんだよ?」

「教えてやらん」

 教えてやらん、とは言いつつも、今までの遣り取りの感じから、続きがありそうで暫く待ってみたんだが、沈黙が流れた後。暫くすると、寝息が聞こえてきたので、俺もランプを消して毛布を被った。

 アデアの匂いなのか、それとも香油かなにかの影響なのか、布団からは乳系の甘い香りがしていた。

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