Alphekka Meridianaー2ー

 予定では王太子が新都ペラへと戻ってから、俺に帰還の命令が来るはずだった。なので、今回の滞在は十五日程度を予定していたのだが……。

 四日目で本来は戦闘用の高速の三段櫂船が、予定とは違う古都アイガイからの伝令を乗せて来た。

 内容も非常に短く、伝令そのものに関してもアンティゴノス監督下の見習い――とはいえ、少年従者ではなく、かつての俺がプトレマイオスの下で学んでいたものと似た感じみたいだが、王の友ヘタイロイ候補ってほどではないらしい――であり詳しい情報は所持している様子はない。しかも、渡されている命令書が更に厄介だった。

 ヒラヒラと高価な羊皮紙の命令書を指で玩びながら、緊急招集された王の友ヘタイロイの面々を見つめる。

「無視は拙いだろう」

 そう口を開いたのはプトレマイオスだが「しかし、現国王とアンティゴノス兄さんの名での命令ですよ? 大兄さんの意向が書かれていないのは問題だと思います」と、ネアルコスがすぐに反論している。

「いや、アンティゴノス殿も、こういう反発があると分かっていても、現国王の名を出させているのだから、なにか事情が……」

「いったいどんな事情が? 今、この瞬間も、ミュティレアの商船はギリシアヘレネス各地を回っています。異常があれば、本国よりもこちらが先に気付くはずでは?」

 急にとばっちりでネアルコスの疑いの眼差しに射抜かれた見習いは、さっきまでよりも縮こまってしまった。多分、簡単なお使い程度に考えていたのに、仲間であるはずの王の友ヘタイロイからこんなにも追求されるとは考えていなかったんだろう。

 俺以外でこの島にいるのは、基本、追放された王の友ヘタイロイなので、かつて本国で苦楽を共にした古株ならまだしも、こうした新参者に対しては、やや溝を感じるのも分かる。

 おそらく、アンティゴノスはそのことまで伝令に説明しなかったんだろう。

 言えばこの見習いが嫌がるからなのか、大人の事情を見習いに伝えたくなかったからなのか、それとも本当に急ぎだったのかは定かじゃないが……。


 ネアルコスの視線を制し、プトレマイオスがやや柔らかく見習いに再び訪ねた。

「旧都アイガイでは、なにか、異常は無かったんだな? 例えば、兵を集め始めていたりとか、将軍を集めているとか」

 赤い顔で必死で考えている見習い。

 しかし、その態度から、そこまで注意していなかったんだろうな、とは分かる。無論、俺だけではなく、プトレマイオスもネアルコスもラオメドンもこれ以上の情報は出てこないことが分かっているが、それでもコイツに訊く以外の他に情報を得る手段が無い。

 見習いは、赤い顔のまま、最初と同じことを繰り返した。

「特に、変わった様子はありませんでした。その手紙を渡すようにと、アンティゴノスさんから言われただけで、その……態度も、いつも通りで」

 ふむ、と、頷いて再び命令書を日にかざす。

 そこには、アンティゴノスと現国王の連名で、俺が即刻あらゆる任務を中止して帰国。現国王派の都市である旧都アイガイに向かうように、とだけ書かれていた。

 帰国すべきか否か、会議での結論はまだでない。

 俺自身も、迷ってる。

 情報が少な過ぎて動きようが無い。王太子に確認しようにも、一番早い船でも数日は掛かるしな。

 それまで放置していい問題なのかも不明。


 議論がだれて来た頃、不意にプトレマイオスがなにか閃いた顔になり、俺を正面から見据えて訊ねてきた。

「……逆に、アーベル、お前、なにかしていないんだろうな?」

 嫌なことのひとつふたつ、もしくはみっつよっつ、あるいはそれ以上を思い出したのか、プトレマイオスが久々に盛大なしかめっ面で俺を追及してきた。

「なんでだよ、良い子にしてんだろ、最近は」

 予想外のとばっちりに、噴出した後、つい声を荒げてしまう俺。

「ご自分で……、しかも、最近って」

 ネアルコスが苦笑いで茶化してきたが、実際問題俺に思い当たる節はない。

「いや、そりゃ、現国王の常備軍と兵員の勧誘合戦になったこととか、トラキアへと侵攻した際には俺等が落とした後で現国王の部隊がのんびり進軍しあがるから、先に財宝をちょろまかして、勝手に身内に配ったりはしたが、その程度だぞ?」

 一応、問題行動といえば問題行動に関して素直に申告してみるが、そんなのはどこででも当たり前に行なわれていることだ。もし仮にそれを口実に呼び出したのだとしたら、必ず、別の目的があるはずだ。

 だが、それが分からない。

 ここまで来て、単に俺の命を奪うだけのことに意味は無い。懐柔を行なうんだとしたら、こんなに露骨な呼び出しはやはりおかしい。なにが話し合われたのか、必ず、島の王の友ヘタイロイは疑問に思うんだから。

 むしろ、単純にこちらを撹乱し、仲違いさせることだけが目的なのか?


 皆、悩んではいる。が、言えるべきことがもうなにもなかったので、ここらで一度休憩をいれることを――他にも処理すべき案件は多いし、結論を出すには一度頭を冷静にさせて情報を整理する必要がある――提案しようとした矢先。

 不意に会議室の扉が叩かれた。

 おた外の顔を見合わせるが、予定外の来訪なのは王の友ヘタイロイや見習いが全員ここに集合していることからも明らかだ。

 今回、会議を取り仕切っているプトレマイオスが扉に向かって入れと命じれば、対外交易の埠頭――ディグマに配されている兵士が入室した。

「失礼します。テレスアリアに向かった商船の帰還が遅れております。もっとも、天候のために帰島が数日ずれることはよくありますので、そこまで奇異な事ではございませんが、本日は一隻もテレスアリアからの船が入っておりませんので、一応、報告させて頂きます」

 沈黙は、二呼吸の間で、すぐさま俺は立ち上がって扉へと駆け出し、報告してきた兵士を押しのけ――。

「待て! 今からテレスアリアへと向かうのは得策ではない」

 同じ結論に至ったのか、プトレマイオスが大声をあげて俺を呼び止めた。

「しかし!」

 肩越しに振り返れば、焦りを感じさせる表情ではあるものの必死で考え、最良の一手を選んでいるプトレマイオスの顔が俺に向けられていて、少しだけ、熱くなった頭に冷静さが戻ってきた。

「落ち着け、アーベル、お前自身が王太子は軍勢を率いていることを確認しているな? 持ち堪えられないほどの少勢か?」

 ひとつ、深呼吸して考えてみる。

 現状、テレスアリアでなにかが起こっていると仮定する。そのため、新都ペラよりも北方の旧都アイガイで現国王が指揮をしている。

 ……どこまでが敵になっているか次第だが、城塞都市セレトルムに滞在中に事態が急変していたら、奇跡でも起きない限り既に王太子は死んでいる可能性が高い。兵力は少なくは無いが、都市内部に分散して滞在していたはずだし、そこを急襲し各個撃破されれば成すすべは無かったはずだ。

 ただ、そこを脱した後でテレスアリアにおける反乱が起こった場合、国境や街道を固められたとしても、山野に潜んで時間を稼ぐには充分な兵力がある。一番近くのこちらの軍団は……国境線の関所の統廃合に関しする協議を行っているリュシマコスだな。あの場所から兵を集めて、救援に出るには――およそ三日程度。

 リュシマコスなら、五日もあれば王太子と合流できるだろう。


 更に言えば、俺が出発して以降、それほど長く城塞都市セレトルムにいたとは考えにくい。おそらく、俺が港に着き船に乗った時点で街道まで進出していたはずだ。それなら……。

「状況次第だ、が、おそらく、マケドニコーバシオ本国にいる王の友ヘタイロイが間に合う公算は大きい」

 うむ、と、一度大きく頷いたプトレマイオスは、その場に集まった王の友ヘタイロイや見習い達へと顔を向け、威厳を持って話し始めた。

「無駄な時間は無い。結論を出そう。私は、アーベルがに取り込まれる可能性は皆無だと判断する」

 プトレマイオスは、はっきりと現国王を敵と表現した。連名のアンティゴノスをどう判断したのかはその口調からは察せなかったが……。

 今度は一転して青い顔をしている伝令はともかくとして、島にいる王太子派の人間は全員が賛同している様子だった。

「現状、情報収集が最優先だ。島の防備も固めるし、はっきりとした情報があればテレスアリアへと王太子救出部隊を送る。アーベルは、命令書通り、旧都アイガイへと向かって欲しい。その方が、結局は早いはずだ」

 言い終え、最後に俺に視線を向けたプトレマイオス。

 無論、俺も頭ではそれが正しいこととは思い始めているが、やはり昔の悪い癖なのか、なにか起こっているなら直にテレスアリアへと向かいたいという気持ちもあり、返事に淀んでしまった。

 そしてその隙に「異議なし」と、ネアルコスが即座に答え、ラオメドンも頷いている。が、それだけで終わらないのがネアルコスらしく――。

「ですが、アーベル兄さん? やり過ぎないでくださいよ? テレスアリアで騒動が起こっているなら、現国王とまで戦うのは得策ではありませんから」

 言う人間が違ったら、激昂されていただろうが、計算された態度でネアルコスがそんな軽口をたたくと、少しだけ場が和んだ。

 自然と、俺の中にあった焦りや迷いが薄れ、大人しく旧都アイガイへと向かおうと思っていた。

 ふん、と、軽く笑った後、扉に背を預けて皆と向き合う。

「分かってるよ。昔みたいに腹立ったってだけの理由で殺してないだろ、今は。それに、いずれにしても、現国王の顔をはっきり見ておきたかったしな。良い機会だ」

 基本、俺も新都ペラに居る時間も長いし、要所では王太子の直属の護衛も兼ねているので、現国王を目にする機会はあるにはあった。

 ただ、向こうとしても俺の扱いに悩んでいるのか、直に言葉を掛けられることは無かったので、なんとなく曖昧な距離感でマケドニコーバシオの将軍として振舞うことになっている。

 俺自身はそもそもがラケルデモン人だし、任官も王太子が追放されている期間中に勝手に行なったという形なので、色々追求されれば拙い部分もあるんだが、なぜか現国王派は未だにそれを行なっていない。

 もっとも、深い理由はなく、トラキア征伐やテレスアリアの刷新で使える駒はいくらでも欲しいって事だっただけなのかもしれないが。


「アーベル」

 プトレマイオスが、さっきと違ってやや不安そうに俺の名を読んだ。

「ん?」

「油断はするなよ? あくまでも現在のマケドニコーバシオの基礎を作ったのは現国王だ。上手く言えないが、会えば分かる。どこか不気味なところがあるんだ」

 プトレマイオスとは長い付き合いだが、こんな表情を見るのは初めてなので、現国王に関する評価を他にも訊いてみようとネアルコスへと視線を向けるが、あっさりと首を横に振られてしまった。

「ボクは、生まれの身分が低かったですし、数度、目にしたぐらいではっきりと言葉を交わすって程では……」

 ネアルコスの視線を向けられたラオメドンは、多少は面識があるらしかったが、プトレマイオスほどではないらしい。やや悩む素振りを見せた後、軽く首を横に振ってから、プトレマイオスを掌で指し示した。

 ふぅむ。

 判断に迷うな。

「まあ、実際に見てみてだ」

 分からないなら、ここで議論していても仕方が無いと、そう話を打ち切れば、うむ、と、プトレマイオスも納得したが、ふと、また表情を変えて俺に訊ねてきた。

「エレオノーレ殿にはどうする?」

「ほっとけ、緊急、最重要だ」

 まさかここでアイツの名前が出るとは思っていなかったので、ややぶっきらぼうに答えるも、久々に会ってもどこか余所余所しい俺達を知ってか、プトレマイオスは複雑そうな顔で頷くのを躊躇っていたが――。

「しゃあねえだろ? アイツ、バカだもん。まだ外に漏らせる情報じゃねえよ」

 と、俺が言い切れば、ん、む、と、最終的には納得した様子だった。

 他には特に意見も出なかったが、一応全員と視線を合わせ、心情を把握し。そこで、すっかり萎縮している見習いの腰を叩いて、肩をビクつかせたソイツに向かってざっくばらんに俺は声を掛けた。

「行くぞ、ほら。どこでなにが起こるか分からない、いい実体験になっただろ。常に気を配れ、次はもっとうまくやれる。だな?」

 言葉が詰まって返事ができないのか、コクコクと何度も大きく頷く見習いを伴い、俺は一度部屋に戻って最低限の準備をすると、すぐさま船を出させた。

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