Alphekka Meridianaー1ー
島の北東部への都市の拡張に関する視察のため、一夜明けてすぐにプトレマイオスとその従卒を連れて街へと視察に向かうと、ワインの瓶を抱えた女がよたよたと、俺達が今来た方向――アゴラの方へと向かって歩いてきた。
まあ、ここは既にマケドニコーバシオの法が優先されているため、アテーナイヱ式の結婚した女性は外出するなという風習は廃れつつあるが、なんだか珍しい姿だなと思った。
服装的に明らかに無産階級ってわけでもなさそうだし、そもそもアゴラ周辺は一等地で、よっぽどの富裕層か俺達のような指導部しか住んでいない。にも関わらず、奴隷を使わずに自分自身で買い物に、しかも女が一人で外出している場面は滅多に見ることは無い。肌や髪の色から見るに、異邦人ってわけでもなさそうだ。
ただ、声を掛けるほどでもないし、ま、いいかと、そのまま、プトレマイオスと話し始める。
「今回の拡張は主に港湾機能に関する部分だけなんだな?」
計画の図面は昨日すでに頭に入れているが、こういうのは現場を実際に見ないと手抜きや予定にない改変を行なわれる可能性もある。信頼していることと放任は違う。
「ああ、城壁そのものは、一度崩してから多少の余裕を持たせて広げるが、先に整備するのは対外交易区画のエンポリウムだけで、外国船のための埠頭であるディグマも新たに新設し、桟橋は二本を新設する」
「空き地にしておく部分は、予算の関係か?」
それなら、王太子から島で出た利益は島内で使い切っても構わないとも言われているので、住宅街でも厩でも訓練所でも比較的自由に建てることが出来る。それだけの経済的な余裕が、今この島にはある。
しかし、プトレマイオスははっきりと首を横に振って答えた。
「いや、単純に、遊びの部分は残しておきたいんだ。実際に交易を活性化させて、どんな問題や不足が発生するかは分からないからな。現状、住居は足りている。ただ、劇場の収容人数に不満がでているからな、新劇場をそちらに建てて、旧劇場を取り壊してアゴラを拡張する案もあるが、急ぎではない」
まあ、ここで俺が口出しして無意味な開発を行なうよりは、プトレマイオスの裁量に任せた方が効率が良いな。上手く住民の人気を取りつつ金回りを意識した都市設計をしてくれるだろう。
ふむ、と頷いたところで――先ほど目にした瓶を持った女が俺の前の前で足を止めて、おどおどした様子で、視線を泳がせながら折れそうなほどに上体を傾けて挨拶してきた。
「お、お久しぶりです」
大袈裟なお辞儀のせいで、女は持っていた瓶をも大きく傾けてしまっていたが、蝋で封がきちんとされているから中身は漏れなかった。つか、新品のワインの大瓶をこんな時間に運んでるってのも変な気もするが。
「……あん? 誰だ?」
と、言いながらも視線をプトレマイオスの方へと向けてみるが、あからさまに呆れた顔をされてしまった。
「いや、今のは、明らかにお前に向けて言ってるだろ」
それもそうなんだが、漠然と、どっかで見たかな、ぐらいの認識だったので、誰某の妻だとかそうしたことを言って欲しかった。
小さい子供がひとりぐらいはいそうな、エレオノーレと比べればまるっとした感じの女性で、ああ、ただ、太ってるんじゃなくて、筋肉がついてない感じ。歳は三十前後ぐらいに見える。
ただ、まあ、プトレマイオスの反応を見るに、プトレマイオスもこの女を知らないようだな。
「誰だ?」
一応、女の反応が俺を知っている様子だったので、疑問を放置したくなくて再度誰何してみるが、女の態度は芳しくなかった。
「ほら、あの、船で拾われた」
最初よりも声が動揺しているのか、きちんとした文章になっていない。
「いや、お前な、船にいたのは全部拾ったやつでな、そんなのどれだけいたよ。ああ、でも、まあ、未だに一等地に住めてるんだな、お前は」
そんなに優秀そうには見えないが、と、心の中で付け加え、キルクス追放――と、秘密裏の暗殺に伴い、著しく地位を低下させた船の残党にも意外と強かなのがいるものだと、感心したら、女自身にそれを否定された。
「いえ、そのウチは、他の人達みたいな水夫じゃなくて……その」
じゃあ、職工かなにかだから処分を免れたヤツで、俺に変に萎縮するのは過去を知っているからなんだろう。謎が解ければ興味はないので、適当に会話を打ち切って通り抜けようとしたが。
「ああ、いい、つか、俺達は仕事中だと見て分かれ」
「ティオフィロス=ティアです!」
なにをどう勘違いしたのか、真横で大声を出され、つい眉を顰めてしまった。
「名前だけ言われても、大身の者じゃなきゃポンと思い浮かぶか」
「嵌まって抜けなくなってたのと、その……教団の! ほら、一緒にミエザの学園ッ!」
あん……? 不意に幾つかの事実と垂れた眠そうな目が記憶を呼び起こし、全てを思い出した後、今度こそ俺はプトレマイオスと目を見合わせた。
船が襲われて遭難している所を拾った、ピュタゴラス教団の女だ。ミエザの学園に招かれたところまでは知っているが、てっきり酒で破滅したと思っていた。
教団に関する情報も、そこまで重要なことは知らないようなので、比較的初期に保護対象からも外れていたはずだし。
「なぜ、お前がここにいる?」
こちらの声色の変化に気付いたのか、ティアはビクッといつかのように大きく肩を震わせた後、俺だけでなくプトレマイオスからも向けられている視線に怯えながらも、途切れ途切れ話し出した。
「い、いえ、なんか、ミエザの学園が突然なくなっちゃったじゃないですか、それで、当てがなかったので、一先ず先生にくっついて……とりあえず、教団の人に近づけるようにとこっちまで来たのですけど、なんか、もう、見つからなくて」
まあ、この女の性格を考えれば、どの程度本気で古巣の連中を探したのかは定かじゃないが、ミエザの学園が閉園したことによる行動は一応筋が通っている。もっとも、先生の学園の責任者と言う立場もわかるが、こんなのまで連れてきたのはどうかとも思うが。
で? と、続きを促せば、慣れてきたのかさっきよりは饒舌にティアは続きを話し始めた。
「それで、最初は閉園に伴う準備金で生活していたんですけど、それも乏しくなった時、なにか、大きな事があったらしく、エレオノーレさんの側付の女官を求めてましたので、その……多少は弁論もできますから、顔見知りって言ったらすぐに住み込みにさせてくれて」
大きなことって、な。
コイツってヤツは、比較的近くであった大規模な戦闘にさえも気を配ってなかったってのか? また呑んだくれてたんだろうな、このバカの事だし。
しかし、もっとマシなヤツはいなかったのかとプトレマイオスへと視線を向けるが、ヤツはヤツでしれっとした顔でティアを見てあがる。
特に問題が起こっていないんだし、別にかまわないだろうとでも言いたいのかもしれない。後、一応は学者の端くれみたいだし、試験を通るだけの頭はあるから構わないだろうってとこか。
「ああ、いや、それはいいとして、お前、女官としていったいどんな仕事してるんだ?」
「エレオノーレさんの愚痴を聞いて、お話して、夜とかはたまに一緒に寝たりするぐらいで、三食困らずに生活させてもらってますよ」
はい、と、妙に素直に白状するティア。
まあ、エレオノーレもあんまり複雑な勉強をさせるよりは、こいつとの雑談から神話や世界についてを知っていく程度が丁度いいのかもしれないな。
ただ――。
「アイツにも呑ませてるのか?」
エレオノーレまで酒びたりになられてはかなわないので、その点だけ確認すれば、ティアは真顔で首を横に振った。
「ウチは、呑んだり、呑まなかったりですが、エレオノーレさんは殆んど呑みませんね。あ、これはウチ用のです」
瓶を守るように抱きかかえたティア。
そこまで訊いてねえよとは思ったが、それならそれで一安心か。
「そか、まあ、なんにせよ話し相手がいるのはいい事だな。アイツのことちゃんと気にかけろ? もしもがあれば、お前を殺すから」
「はぇ!?」
不意に、弾かれたようにティアが姿勢を正して俺を見た。
余程慌てていたのか、ワインの瓶の取っ手からティア手が滑りかけ、慌ててそれを抱きかかえている。
しかし、俺としてはそこまで驚かれるとは思っていなかったので、緊張を解す意味で噛み砕いて説明してやることにした。
「ん? 俺が、こういう冗談を言うと思ってるのか? 楽して食ってるなら、その分働け」
ティアはぐっと唇を噛んで見せていたが、俺がいつも通りの表情で、ん? と、首を傾げ返事を催促すれば、こてりと首を落として、二~三度頷いてから再び歩き始めた。
ティアがとぼとぼとした足取りだったのは、俺の横を通り過ぎた後の五歩までで、それですべて忘れたのか後はワインの瓶を大事そうに抱えてよたよたとアゴラの方に向かって再び歩いていった。
アイツの気楽な部分だけなら、エレオノーレにも多少影響すれば良いのにな、と、溜息を吐き――、すぐに思考を切り替え、プトレマイオスと視察地に関する部分や、今後の都市計画に関する詳しい話をしながら、街を歩き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます