夜の終わりー6ー

「アーベル兄さん」

 ミエザの学園への歓迎会以来、久しぶりに派手に遊んだ翌日。表情に少し酒が残っている感じのあるネアルコスが、俺の執務室へと顔を出した。

「どうした? また女の好みか?」

 ネアルコスは剣も持たずに、普段着の格好だったので――そもそも、ネアルコスは連休であり、今日からは俺達三人の王の友ヘタイロイが交代で休暇を取ることになっている――、仕事をしにきたというよりは、雑談か差し入れにでも来たのだと思い、そう皮肉に口を歪めて訊ねてみる俺。

「いえ……って、なんだかんだ言ってても、興味あるんじゃないですか」

 だが、こっちの意図とは逆に、目を細めたネアルコスに呆れたような声を返されてしまい――。

「あんだって?」

 少しの気まずさと気恥ずかしさを、大声で誤魔化した。

「なんでもないです! それで、どうも、アーベル兄さんに御目通りを願い出ている人がいるみたいなんですが……」

 御目通り? 随分と変な時期だな、と、思う。この都市の主だった人間は、とっくにエレオノーレに拝謁した後、俺達実務系の人間にも挨拶と贈答品の献上――まあ、半分は既得権益の維持を狙った賄賂だが――に来ていた。

 正直、戦利品の分配や、都市の修繕事業の発注、そしてメテュム攻略作戦における物資の補給と輸送の委託も済んだ今となっては、挨拶したところでなんの意味も無いだろうに。

 もっと別の売り込みなんだろうか?

 戦局に関する有益な情報なら、ぜひとも買いたいところだけどな。

「まあ、会いたいってんなら会うが」

 ネアルコスが来たので手を止めていたし、書類のきりも悪くは無かったので、詳しくは本人に語らせようとしたんだが――。

「あ、いえ、ここではなくて、円堂の方に」

「円堂? 有力者なのか?」

 円堂では、民会のような成人男子全ての参加する集会と違い、市民の代表――まあ、現在は俺達ヘタイロイの三人によって取り仕切られているが――が、政務を行う場所で、一部迎賓館としての機能も有している。

 普段は接収した神殿に住まわせているエレオノーレを、民衆の代表やドクシアディスやキルクスと合わせる場所も、そこだ。

 が、畏まりすぎる場所でもあるので、単純な商談や陳情なんかは、直接俺やネアルコス、ラオメドンの方へと向かうようにさせていたんだが……。

「そういうわけではないんですが、扱いに困っています」

「んん?」

 微妙な顔で言葉を濁したネアルコスに、せっつかれるようにして部屋を出て――、周囲の護衛の兵士……といっても、俺の方が強いのに護衛をあんまりつけておくのもどうかと思うが、ともかく、普段よりも物々しい護衛が左右に展開し――。

「って、おい、どっかの国の偉いヤツなのか?」

「それを判断してください」

 必要以上の護衛兵に、一応、きちんとした格好をしているとはいえ、外交の場に出るほど着飾ってはいないことを告げるが、ネアルコスは特に意にも介さずに、自分自身も普段着のままで円堂へと入っていった。


 まったく、いったいなにがあったってんだ?

 大方、近くまできていたといるラケルデモン艦隊から落伍した艀とか、漂流者かなんかが流れ着いたって話なんだろうな、と、あたりをつけてみるが、円堂の壇上に上がると同時に中央へと引き出されてきたのは――。

「誰だ?」

 痩せた壮年の男だった。身形は、まあ、それなり。自由市民ほどの格好ではないが、無産階級よりはましな服を着て――いや、それよりも肌が赤銅色をしている。おそらく、アカイネメシスの人間だ。

 国境付近での騒乱に、早速嘴を挟みにきあがったか?


 使者って感じでもないが、ともかくもその引き出されてきた人間は、跪き、やうやうしく口を開いた。

「………クシャーフィアー、ハ……デヒャス、……」

「…………?」

 声がしゃがれていて聞き取り難いってのもあるが、それ以上に、なにを言っているのか、全く理解できなかった。南の旧古代王国の言葉でもないな。

 アカイネメシス本国の言葉……多分、ペルシャ語だ。

 俺は、ペルシャ語は全く分からない。つか、普通、向こうの人間にはこちらの言葉を話せるのが多いんだけどな。教育を受けていないやつなのか?

「どうも、アカイネメシスの人間のようなんですが」

 ネアルコスもペルシャ語がダメなのか、困り切った様子で――ああ、この分だと、休日に町でのんびりしていたところを巡察隊に泣き付かれたってのが、発端だろうな――俺に縋るような目を向けてくる。

 が、ぶった斬れる問題でもないので、正直、俺も得意じゃないんだがな。

「支配者が変わったなら、国へ返せって話か?」

 周囲の兵士達を見回してみるが、反応は芳しくなかった。

「ちょっと、どうも」

 適当に、町の連中から通訳が出来るのを引っ張ってくるか、と、一旦ソイツを下がらせようとしたその時……。

 遅れて到着したラオメドンが、そのまま前に出て、その男に何事か耳打ちすると、いきなりソイツは饒舌に喋りだした。

 何度か頷いた後、ラオメドンは俺達に向き直ってはっきりと告げた。

「……新しい支配者への挨拶だそうだ。それと人を探しているとも言っている」

 ラオメドンが口を開くのは、初めてだった。が、その理由が、音節の切り方でなんとなく分かった。

 この島の生まれという話だったが、混血、もしくはアカイネメシスと関係のある家業をしていたのかもしれない。

「ペルシャ語が分かるのか?」

 やはり、通訳以外の事では口を開きたくないのか、ラオメドンは大きく頷くことで答えた。

 無口なのは、ペルシャ語の音節が普通に喋っている時にも出てしまうので、それを隠すために敢えて口を閉ざしていたんだろう。

「しかし、誰も分からなかったのか?」

 それならそれで準備不足だったかもしれないと幕僚や護衛の顔を見るが、それを否定したのもラオメドンだった。

「……いや、アカイネメシスは広い国だ。ペルシャ語と一口に言っても、かなり癖が違う。どうも、インド方面の方言のようだ」

 流石にそこまで離れた場所だと、仕方ないか。……いや、今後、王太子と共にヘレネスを統一した後は、それで良くは無いな。

 語学、か。

 自分でも学べる範囲で学ぶ必要があるし、もっときちんとした他国の調査も必要になってくるだろうな。今後は。


「ありがとう。感謝する」

 前起きなくそう告げると、ラオメドンは戸惑ったような顔になり――。

「その能力を使ってくれたこと、俺達の前でそれを知られても良いと信頼してくれたことだ」

 理由を続ければ、表情は然程変わってはいないものの、目や口元の動きから照れたのが分かった。

「他に、知っている仲間はいるんですか?」

 仲間外れは嫌だとばかりに割って入ってきたネアルコスに、ちょっとだけ首を傾げる仕草をしてから、ラオメドンは答えた。

「……王太子と、アンティゴノス殿は知っている」

 まあ、あの二人なら、それも当然か。アンティゴノスはヘタイロイで最年長なんだし、他の全てのヘタイロイに対してもある程度以上の情報を持っているはずだ。

「三番目は譲りますよ、アーベル兄さん」

 偉そうに言ったネアルコスだったが、容姿と相まってどこか背伸びしているようにも見えてしまい、軽く肩を竦めて苦笑いを浮べてから、俺は再び真面目な表情に戻してラオメドンとアカイネメシス人の方へと向き直った。

「で、そいつは、誰を探してるんだ? もう殺っちまったヤツだったら、どうしようもないぞ」

 ラオメドンは再び二言三言、言葉を交わしていたようだが……さっきと違い、それで内容が分からなかったのか、顎に手を当てて更に言葉を交わし――最終的には、眉間に皺を寄せ、こちらに向き直った。

「どうした?」

 厄介な話になってきているのは顔から分かるが、その内容が分からないので、焦れてラオメドンに訊ねてみる。

 が、ラオメドンから帰って来た答えは、予想とは大きく違っていて――。

「どうも、この男は、貴方――アーベル殿を探していたようだ」

「は⁉ 俺?」

 アカイネメシス人の知り合いなんて、全く心当たりが無いんだが……。

 しかし、俺の困惑を察してか、すぐさまラオメドンが続けた。

「……ラケルデモンは、アカイネメシスと秘密協定を結んだらしい。戦争に関して資金援助、そして、造船のための材木の援助も行っている」

 ハン……。

 成程、な。

 アカイネメシスとしては、海洋国家であるアテーナイヱが台頭してきた方が、直接的な脅威は増すって判断したのかもしれない。

 かつて、アカイネメシスに対して痛い目を合わせた国のひとつであるラケルデモンと手を組むぐらいだからな。いや、だからこそ、か。敵として厄介なら味方に引き込もうって魂胆かもしれない。

 もっとも、あの国がそう簡単に懐柔されるとも思えないが。

「なるほどな。人員はともかくとして、海戦で何度も負けているってのに、どうやって船を調達しているのかと思えば、そんな仕掛けがあったのか。……ってことは、お尋ね者の俺の首をとろうって魂胆だったのか?」

 吐き気を催すような、酸っぱくて苦い気持ちが込み上げて来たので、つい自嘲めいた口調になってしまった。


 俺が、どれだけあの国を欲しても、未だに俺はあの国家の敵だ。

 自分から望んでそうなったのも否定しないが、……そしてあの国の特徴として、強固な縦の支配の構図も分かっているが、もう少し……そろそろ、あの国の市民もなにが正しいのか、これから国がどうなってしまうのかを、もっと真剣に考えて欲しいものだ。

 ……ふん。

 そんな簡単に目覚められるなら、苦労はしない、か。

 俺の祖父さんではダメだった。親父は、そもそもラケルデモンの規範と戦おうともしなかった。

 あの国を目覚めさせるには、もう、荒治療しかない。

 一度、武力で叩き潰し、その武威を持って俺が王権を奪還しなければ――。


「……いや、それなら話の途中でを斬っていた。なんでも、レオという軍人から、伝言を頼まれているらしい。ラケルデモンではなく、その個人の依頼で動いているようだ」

 意図せずに眉が動いてしまい、それを見咎めたネアルコスのまとう雰囲気が変わった。


 忘れていたわけじゃない、が、まさかここに来て再び聞くことになる名前だとは思ってもみなかった。

 妙な懐かしさと、乾いた悲しみを感じる。

 あの男も、老いたんだ。

 昔のレオなら、こんな弱気な手段は使わなかっただろう。不確実な手段で接触を図ろうとは、考えなかっただろう。

「それで、なんと?」

「…………」

「ラオメドン」

 重く口を閉ざしたラオメドンに、強く促すようにその名を呼べば――。


 それでも、短くは無い時間逡巡していたようだったが、最後には仕方ないといった様子でその重い口を開いた。


「……戦争を拡大も終結も出来る、最終手段を確保した。アルゴリダにて待つ」




  ――Celestial sphere第四部【Hercules】 了――

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