夜の終わりー5ー
葬儀を終え、統治面での戦後処理が済んだ頃。丁度、ドクシアディス達が哨戒中に立ち寄った島で、ラケルデモン艦隊は接近していたものの、ミュティレア陥落の報を受けて撤退したとの情報を持ち帰ってきた。
俺達とは逆の判断をした、か。
運が良かったといえないこともないが、ここで一度叩いておいた方が海上の安全を保つ上では良かった気もするし……いや、こっちからちょっかいを出すべきじゃないな。暫くは様子見だ。一応、亡命アテーナイヱ人による新政ということで、アテーナイヱ本国も無視を決め込んでいるようだし。戦局が大きく動くまでは、態度を明確にせず、力を蓄える。どちらの勢力にも邪魔されないに、こしたことはない。
全ては、冬のもたらした小康状態の中にある。
まあ、海の様子次第――雪や雨がまだ海へと流れ込んではいないのか、船の行き来はまだ出来ている――ではプトレマイオス率いる後発組が来るかもしれないが、大きな動きはその程度だ。一応、殺した支配層の財産を接収してるので、急な出費増にも耐えられるし、長期的にな政策としても海から上げたドクシアディス達は、俺達に唆されるままメテュム侵攻の準備に入っている。
他にも、いくつか経済政策は思いついていて、余裕が出来てきたのでその指示も出し始めようとしていた。
ただ、だから、なのか――観光っていうか、なんと言えば良いんだ? 公務ではないので間違いなく視察ではないが、顔を知られているので、完全に休みって雰囲気でもなく……町に繰り出すことになってしまっていたが。
しかも、ネアルコスとラオメドンまで一緒の休日なんだから、否が応にも人目を引いているし。
区切りということで、幕僚の方で気を利かせてくれたんだろうが――。指導部の三人全員が休みなんて、良いのかと不安になってしまう。まあ、なにかあればきちんと呼び出してくれるだろうが。
ふ――、と、さっきから心底楽しんでいるネアルコスの態度に対する感想も混みで、長い溜息を吐く。
別に、俺は、休みとかいらないんだがな……。人を斬る以外の趣味なんて持ち合わせていないんだし。……つか、暇になると血が疼くから、なるべくなにかしていたいんだがな。
「え? じゃあ、アーベル兄さんは、女性のどこに魅力を感じるんですか?」
不思議そうに俺の袖を引いたネアルコス。
ちなみにネアルコスは、ついさっき、後姿が気になるとか言って、俺とラオメドンを引っ張って、目の前の通りの少し先を歩いていた女をわざわざ追い抜いて顔を確認し――、露骨に項垂れてがっかりしていた。
さっきの女も、別に、普通の顔だと思うし、ラオメドンの表情を見る限り俺と同意見だと思うが……。
……ああ、まあ、ネアルコスが面食いだったとしても、別に不思議でもなんでもないか。どうも、こいつ、男にしても女にしても、目が大きくて鼻筋の通った、堀の深い顔の美形が好みみたいだな。
まあ、その基準では、年の割りに厳つい俺や、目が細くてのっぺりとした顔のラオメドンは好みじゃなさそうだが。
「どこ? っつーか、なんつー話題だよ」
額に手を当てて返事をする俺。
いい加減、女の話題から離れろという態度だったんだが、ネアルコスは胸を張って続けた。
「ちなみにボクは、胸です。ほら、あの彫像なんて良い感じじゃないですか? 形が崩れない、理想的な大きさで」
……ここは、元々はアテーナイヱの一部だったので、守護女神の銅像も街中でよく目にするんだが。
女神像に対して素晴らしく不敬な男だな。
まあ、俺も信心深い方ではないので、別に気にもならないが。
「ん――」
どうも、どうしてもやっぱり、こういう、女なのに戦いに向かう姿、裾を短くたくし上げてペプロスを着ている姿なんかは、アイツを思い出してしまうんだよな。
今となっては、丈の長い高い服を着て、きちんと髪も頭の上で結っていることも増えたってのに。
身体つきも――。
「あ、いえ、こんな話題に、そんな真面目な顔で考えられますと。ほら、ラオメドンも」
ネアルコスの焦ったような声で、どうも俺が機嫌を損ねたんだと誤解されたことに気付き――、ラオメドンの心配そうな視線に、大きく頷いてから俺は両手で。
「こう……」
「な、なんですか、兄さん? そのはっきりとした手の動きは」
はっきりとした腰から背中にかけての曲線を表現してやったって言うのに、話題を振ってきた当のネアルコスは若干、慄いたような声を出した。
「いや、だから、こう、背中から腰に掛けてのキュッとしたくびれと、男とは違う、こう、滑らかな背中の曲線って言うか。ああ、そう、背中が――」
そう、確か、アレはラケルデモンを出る前のことで、逃避行を始めた最初の夜が空けた日に……多分、汗とか泥とかを流そうとしたエレオノーレが川で身体を洗っていて……。
うなじから、肩甲骨、少しあばらの浮かんだ背中。
慌てて前を隠していたので、見たのは短い時間だったと思うんだけどな。まあ、やっぱり、俺も男だしな。
ああ、そうだ、あの時は夏だったよな。暑い季節だった。だから川で水浴びが出来た。冬の今は、なんだかちょっと信じられないような気もしてしまうが。
「も、物凄く具体的ですね。誰か、想う人がいらっしゃるんですか?」
いやな感じの笑みで擦り寄ってくるネアルコス。
畜生! こうなることは予想できていたはずなのに、なんで油断するかな、俺は。
つか、油断する程度には気を許してるんだから、その信頼を裏切るなよ、お前は。
「いや……、んん、いや」
つか、そもそもラケルデモンじゃ、女とは完全に別で生活していたんだからいきなり女の好みと言われたって、こう、思い描けるのは身近っつーか、接した機会が多かった女の姿を思い描くしかないわけで――。
そこに、なにか特別な意図があるとか無いとか、そういうのを考えるのは邪推ってモノだと思う。
…………?
いや、そうだ。エレオノーレじゃなく、ごく最近また俺に刃を向けてきた女が居た。結局、すぐにミュティレア攻略作戦が始まってうやむやになっていたが、結局あの女が誰なのか、分からずじまいだ。
折角なので、毒を盛りにいった部分は隠して、王太子経由でちらっと見聞きしたって事で訊いてみるかな? 話題転換としても丁度良さそうだったので、まず、ラオメドンの方に向き直ってみたんだが……。
「って、なんて顔してあがるんだよ、お前等」
え? と、ネアルコスが、俺が複数形で指摘したことを疑問に思ったらしく、わざわざ俺の横からラオメドンの正面へと回り込み――。
ラオメドンが、意外なほど分かり易く顔を背けて逃げた。
が、それを見逃すネアルコスでもなく、俺としても、ようやくからかいの矛先が逸れたのに、余計なちょっかいを掛ける気もなかったので、成り行きを見守っていると……。
「なんだかんだで、好きですよね、ラオメドン兄さんもこういう話」
お、照れたな。
寡黙……ってか、未だに喋ってるところ見たことも無いんだが、最近、表情からなにを考えているのか、大体分かるようになってきた。
どうも、声が出せないってわけでもないようだが……。
まあ、人には色々な事情があるんだし、それを無理に聞き出そうとは思っていない。そもそも、お喋りが好きなネアルコスでさえ聞き出せていないことを、俺が出来るとも思えないしな。
「娼館にでも繰り出しますか? アテーナイヱの娼館は、マケドニコーバシオの物よりも華やかで、それでいて――」
俺とラオメドンをからかって満足したのか、まだ昼だってのに調子に乗ってネアルコスがとんでもない提案をしてきあがった。
「喪であるこの時期に、軍を預かる俺が行けるか。……って、お前、変な病気貰ってくるなよ?」
一応、休日とはいえ、度が過ぎないように注意してみるが、ネアルコスはしたり顔で返してきあがった。
「大丈夫ですよ。この町の富裕層も、病気は避けたいようですので、きちんとした見立ての店や、公共娼館でも特別手配の女性との部屋がありますから」
ったく、富裕層との交渉を任せてはいたが、余計なところまで詳しくなりあがって。
お前からもなにかないのか、と、ラオメドンの方を向こうとしたが――。はははは、と、ネアルコスの高い笑い声に、つい、そちらに顔を向けてしまった。
「そういう、お小言の仕草は、プトレマイオス兄さんに似てきましたね」
思いもしない反撃に、ハン、と、鼻を鳴らす俺。
「まさか。俺は、あそこまで融通が利かなくないぞ」
「きっと、プトレマイオス兄さんも同じ事をアーベル兄さんに返すでしょうね」
ネアルコスは楽しそうな顔のままだ。
「プトレマイオスは過保護過ぎたり、窮屈過ぎるぐらいに一般的な規範を押し付け過ぎる」
プトレマイオスの場合は、育ちのよさもあってか、こう、道筋を決めたら、絶対にそれから外れないようにしようと動く癖がある。戦場にしろ、商売にしろ、もっと現実は流動的なんだから、あまりしっかりとした枠を作っても仕方ないというのに。
苦い顔をした俺に、腹を抱えたネアルコスが、上目遣いで器用に方目だけを瞑って答えた。
「アーベル兄さんはアーベル兄さんで、戦いに関する以外の部分では、時々ずぼら過ぎたりするじゃないですか」
そうだろうか?
そんなつもりも無いんだが……んん、む。人の評価とは、中々自覚とは違うものらしいな。
渋い顔をした俺と、半分同意で半分否定といった顔で話の成り行きを見ていたラオメドン。ネアルコスは、は――、と、笑いの最後の一息を吐いてから背筋を伸ばし……。
「まあ、アーベル兄さんもラオメドン兄さんも、休みに娼館に泊まる人ではないと分かっていましたから、食堂を借り上げてありますので安心してください。日暮れからですので、それまでは、再開したての演劇場へと行きましょう」
「休日を全力で楽しんでるなあ、お前」
皮肉も混みの言葉だったんだが、ネアルコスは意味ありげな目で俺を見上げ――。
「そうですよ。謀を巡らせた駆け引きや、戦争ばっかりじゃ心も荒んでしまいますから。実り有る人生にするために、そして、一般の兵士達の気持ちを知るためにも、兄さん方は、もう少し、上手く休めるようにしないといけませんよ」
胸を張ってもっともそうな、しかし、実の所、底の浅そうな主張をしてきた。
俺は、ラオメドンと顔を見合わせてから、ネアルコスに向き直って告げた。
「では、休日の楽しみ方を、得意な仲間から全力で教わるとするかね」
はい、と、返事して先頭に立って歩き出したネアルコス。
一歩後ろから俺が、そして、俺の斜め後ろにはラオメドンが続く。
なんだか、ミエザの学園でよく見た場面のようで――当時俺は、まだプトレマイオス付きであまり時間の余裕が無かったので、見ているだけことの方が多かったが――、これはこれでヘタイロイらしい休日なのかもな、なんて思っていた。
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