Saidー8ー

 状況は切羽詰っているものの、これまでの経験故に、あまり神経質にならずにレオが話し始めるのを待っていると――。

「おい!」

 乾物ばかりだったから咽たのか、ガキが近くの新しい雪に手を伸ばしたので、とっさに大声を上げて止めてしまった。

「あ、……あの!」

 どこか慌てた様子で、反射的に道具袋を胸に抱えたガキは、しかし、次の瞬間には、従わなければ殴られるとでも思ったのか、道具袋をおずおずと俺の方に差し出してきた。

 ……まあ、懐かれたとは思っていないが、それはそれで癪な反応だな。これでも、半分ぐらいは助けに来てやってるつもりではあるんだが。


 首を横に振り、苦笑いで答える。

「違う。お前みたいなのから盗るかボケ。水が欲しくても雪を食うな、腹から冷えるし消化に悪い。雪山で腹を下したら死ぬぞ? 面倒でも湯を沸かすなり、水袋のを飲め」

 山岳地帯を旅するなら、季節を問わず水の補給が必須だ。冬は寒さから水を敬遠しがちだが、呼吸でも水分を消費する。標高が上がれば尚更だ。

 しかし、水袋の水とはいえ、外気にさらされ続ければ冷えるし凍ることもある。それを防止するため、保温性が高い革を使い、かつ、太股に巻きつけるようにして体温と同調させた水袋を持ち歩く。

 レオ達も、そうした用意を当然していると思ったんだが――。


 困ったような顔で、俺とレオの面を交互に見るガキと、無表情でただ突っ立っているレオ。

「無いのか?」

「野営時に湯を飲む程度で」

 表情の変化も殆んど無いし、声色もそう目立った変化は無い。が、気まずいんだということはなんとなく分かった。

 レオが俺の側にいたのはずっと昔だったんだが、それでも、まだ、変わらないというか、分かってしまうこともあるんだな……。

 軽く嘆息し、俺は自分の水袋をガキに向かって放り投げる。

「準備不足も甚だしいな。つか、それで、良く俺が呼べたな」

 まあ、少年隊や青年隊で訓練を受けてる連中なら、それでも充分に耐えられる――耐えられないのは訓練課程で死ぬ――んだろうが、レオの部下は明らかに戦闘慣れしていない。多分、訓練を受けていない……そうだな、レオが個人的に抱えている奴隷か、ラケルデモンの文官でも連れてきたんじゃないだろうか?

 しかし、レオが、ただ数を揃えただけどはね……。

 まあ、基本的には、兵数が多いに越した事は無い。大軍は、楽だ。糧秣の確保や補給なんかの問題はあるが、頭を使わなくても戦果を上げやすい。しかしそれは、敵よりも多くの兵を揃えられた場合に有効なのであって、敵を上回れる可能性が全く無いこの場合は、連れて行く兵士を厳選し、少数精鋭で隠密行動が求められるはずだ。

 老練な指揮官の行動としては、理解に苦しむ。

 コイツ等を見捨てるわけにはいかない事情でもあるのか?


「正直、賭けでしたが」

 不貞腐れているようにも聞こえる平坦な声に、被せるように俺は言い放った。

「賭けにもなってねえよ。俺達が偶然ミュティレアを攻めたから良かったものの……」

「ミュティレア? 俺、? 偶然?」

 また首を傾げたレオ。

 ああ……、まあ、レオは俺がマケドニコーバシオに身を寄せていることも、なにもかも知らないんだし……。

 あ! そういうことか。

 無理にアルゴリダを抜けても、身を寄せる場所の当てがないので、あえて移動を止めていたのかも知れない。現在戦争中ということで、ラケルデモン人の入港は、どの公共市場都市でも神経質にならざるを得ないからな。場合によっては、即座にラケルデモン側かアテーナイヱ側に連絡されてしまう。

 おそらく、俺以外にも、心当たりに連絡を取っていたんだろうが……停滞中の戦局とも相まって日和見を決められ、結果、足を封じられたって所なのかもな。


 まあ、いずれにしても、マケドニコーバシオで新しい戦術や戦略を学んだ身としては、どうしても他の王の友ヘタイロイとレオを比較してしまい――。少しだけ、身体が縮むような、そんな、悲しさを感じた。

 多分、深い事情があったんだろう。

 でも、レオはかつての師で――、稽古で何度手合わせしても手も足も出なくて、ラケルデモンの基本的戦術や戦略の話は、胸を熱くすると同時に深い畏敬の念を俺に抱かせていたんだけどな……。

「……俺の現状よりも、そっちの話が先だ。まずは、この窮地を脱する必要があるんだからな」

 なし崩し的な部分はあるとはいえ、マケドニコーバシオに正式に加担している現状をレオがどう判断するか分からない部分があったので、俺の状況は敢えて後回しにして、先にレオに話させる事にした。

 余程疲れていたのか、食って眠そうにしているガキを予備の外套で包み、木の根元に置き、レオはゆっくりと話し始めた。

「アーベル様が、国を抜けられた時から、計画は始まりました」

 衝撃は、あまり無かった。

 俺とエレオノーレの逃走劇の成功には、そうした――ラケルデモンとアテーナイヱが開戦する等の――外的要因の果たした役割が強かった事を既に知っていたからかもしれない。今更、謀略の一つ二つ増えた所で、な。

「言葉を正確に選べ。お前は、俺がそうするのを待っていたのか? それとも、たまたま俺が国を抜けたのでそれを利用したのか、どっちだ?」

「……後者です。本来は、アヱギーナ島奇襲作戦と同時に行うために準備を行っておりましたが……」

「俺のせいで、準備が整わなかった、と?」

 どこか言い訳のようにも聞こえる言い草に、軽く嘆息して見せる俺。

「いえ、時節を選んだのは、我々です。それに――アーベル様の死体を確保出来なかったことから、罰を受けたことで、ようやく我々は、そこに至れたのです」

 ちら、と、微かにレオはガキの様子を窺い、ガキが凍えた様子もなく規則的な呼吸をしていたことで、微かに安心したような顔になった。

 しかしそんな穏やかな顔は長続きせず、軽く瞼を閉じ、一呼吸の間に真顔に戻ったレオ。

 再び開かれた鉄のような灰色の瞳が、真っ直ぐに俺を見据えた。


「アーベル様の御父上様との約束でした。ラケルデモンのの救出は」

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