Wasatー7ー
そうして、一日の完全休養の後、寝て起きると、傷は多少はマシになってきているのか、布を汚していた血の量が随分と減っていた。朝食を終え、少し腹を落ち着かせてから、エレオノーレと向かい合う。
「ハァッツ!」
木刀を左肩に担ぐように構え、掛け声で腹の底に力をこめつつ、斜めに打ち下ろす。左腕は庇いきった。傷みはない。が――、振った腕の反動に引っ張られて、横に転がった。
なんて無様な……。
右足は踏ん張ったつもりだった。
左足は、後ろにやや引いて木刀を押し出す力点にした。
ただ――、足、腹、腕が上手く噛み合わなかった。
もう一度、と、右手をついて立ち上がろうとすると、エレオノーレが俺を見ていた。立ったまま、申し訳なさそうに……可哀想なものでも見るかのように!
右手を、地面を抉りながら握り締める。掴んだ土くれに、爪の先が僅かに欠けたのが分かった。
「この俺を! 見下すんじゃねえ!」
腹の奥の衝動のまま、叫んでいた。
「アーベルが強さにこだわる理由はなんなのだ?」
エレオノーレを睨み上げる。
ただ、本当に、真っ直ぐでまっさらな顔で見返された。
「貴方が他のラケルデモン人と違うと思った理由が、最近なんとなく分かったんだ。貴方はきっと真面目過ぎるんだよ。強くなろうとすることにひたむきって言うか……。他の人は、もっと、欲望に忠実に振舞っている」
「俺もそうだ」
しかし、エレオノーレにやんわりと首を横に振られてしまった。
「他の人は、もっと妥協して生きている。怠けて弱い相手だけを狩ろうとしている。工夫して強い相手と戦おうなんて考えない。でも、貴方は違う……今、奴隷の私を助けて戦っている。なんの利益にもならないのに」
これは、俺にとって、損得だけの話ではなかった。
国に倦んでいた。そして、多分、この
俺は――。
この国の為政者を、全部殺したかった。ジジイを殺されて、なにもかも奪われたあの日からずっと。だから、制度に反抗的なコイツにどこか親近感を……。
「構えろ」
重く、低く言い放つ。そうしないと、気付いてはいけないなにかを自分の中に見てしまう気がして。
心をどこかにおいておくつもりは無かった。いつでも悔いなく戦えるために。玉砕するその日まで。
「えっ?」
分かっているにも関わらず、戸惑って見せているエレオノーレの顔を無視し――。
「はぁあぁぁっ!」
大上段に構え、エレオノーレに密着するほど接近し、拳で地面を突くかのように、真下に向かって振り下ろす。
「ア、アーベル?」
すんでの所で左に逃れたエレオノーレから、戸惑う声が聞こえた。
「ザッけんじゃ! ねえ! この! バカ女!」
腰の回転だけに頼って、木刀を掬い上げるようにして振り上げる。木刀で防御され、俺の身体が右に傾いだ。
右足を踏ん張り、腕力だけで横に薙ぎ払う。
「ちょ、や、やめ」
かわされた。エレオノーレは一歩後ろに下がっている。
「戦いの本質が! そんなとこにあるわけねぇだろ!」
薙いだ後の木刀を構え直さず、左脇腹に握った手を当てるようにして突きかかっていく俺。
エレオノーレは……やっぱり左に回避した。
すれ違うその瞬間、地面を駆けるのをやめた左足で、エレオノーレの足を引っ掛けた。転がったエレオノーレに、俺自身も転がりながらも即座に馬乗りになって木刀を構える。エレオノーレが俺をようやく怯えた目で見た。
その瞬間めがけて、木の棒の――柄尻の部分に痛む左手を無理に沿え、全体重を掛けて突き下ろす。
「ヒッ」
悲鳴とも、息を飲んだだけとも取れるような、風が喉を擦るような声を出したエレオノーレ。その顔のすぐ横には、俺がさっきまで振り回していた木の棒が突き立てられている。
「お前程度になにが分かる!」
真上から吼えると、エレオノーレの目尻から涙が溢れた。それでも俺は収まりがつかなくて叫び続けた。
「俺はお前を理解する気はない、お前もそうしろ。立場が違うんだ! 俺はお前の敵だろう!」
手を、身体を支えていた木の棒から離す。少しだけ上体がエレオノーレに向かって傾いだ。
その時、三日間続いた曇り空が割れた。
まるで空が落ちてきたような音と雨だった。
エレオノーレがなにか言うように唇を動かしたが、声は聞こえなかった。
ただ、その瞬間、首に手を回されエレオノーレに抱きすくめられた。激しく暴れた後だからか、突き放す余力が残っていない。
「離せ、バカ女」
「うん……。でも、こうしてないと、喋れないから」
そんな台詞と共に、背中に回された腕の力が増す。
その時、雨脚が更に強まった。
春はもう終わったのに、力が流れ出していくような。そんな冷たい雨だった。
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