Porrimaー7ー
予定通りの式典を終えた後、緊急の議案ということで、キルクスがエレオノーレから向かって左側の列――ミュティレアの要人達は左側に集まっている――から一歩前に進み出た。
こちらも、エレオノーレの右側に並び直す。その際に、並び順を――討論に際し、矢面に立つ人間を決める上で、こういうのも重要だ――変えようとしたんだが、なぜか俺がキルクスに対抗するような位置取りになってしまった。
王太子を見、次いでプトレマイオスに確認してみる。
まあ、勝手に離れていたとはいえ、ネアルコス達はあくまで指揮権を移譲されていたという認識で、帰島した以上、俺が決めろ、ということなのかもしれない。
それならそれでいいか、と、キルクスと対峙する。別に、この作業は誰が行っても変わらない。それ程までに解り切った作業をするからだ。
キルクスは、俺が出て来るのが予想通りだったのか、少し嬉しそう――と言うには、やや狡猾過ぎる笑みだが――な顔になって話し始めた。
「先だって、アテーナイヱがシケリア遠征に成功との情報が入りました」
開口一番、得意げな顔でそう切り出したキルクス。
ネアルコスへと視線を向けるが、どうもネアルコスも把握していない情報だったらしい。アテーナイヱ艦隊への補給に際し、取り引きして得た情報を、今日のこの場面で衝撃を与えるために隠していたんだろう。
しかし――。
「シケリア? なぜ、あんな場所に?」
違和感しか感じない情報に、眉根がよってしまう。
基本的にあの島はラケルデモン寄りの都市が多いものの、ラケルデモンとの同盟は結んでいないし、この戦争に対して積極的に介入していなかったはずだ。前に、エペイロスに来た情報でも――地図上で直線的に結べば、ミュティレアとシケリアの中間地点付近にエペイロスはあるので、シケリアに関する話は伝わりやすい――、確か島内で小規模な紛争がある、ぐらいの話で、それも全面衝突と言った雰囲気ではない。
紛争開始の第一報を聞いた後は、大きな作戦成功や失敗の報告もなかったので、今の今まで忘れていた。それに、切っ掛けそのものは今回のラケルデモンとアテーナイヱの戦争とは別の、よくある都市間の国境争いのような認識でいた。そしてそれは、他の
無論、海運立国のアテーナイヱとしては、平時なら港を得るために地方の紛争に積極介入しても不思議ではないが……。
「ラケルデモンに対する、穀物供給網の遮断を意図した攻撃ですね」
キルクスがしたり顔で解説するが――。
「意味が分からんな。農業国のラケルデモンに対し、本国側への輸入を止めても、さして痛手にはならないだろ? 今の主戦場へは陸路での補給が出来ているようだし、前の麦角菌の騒動もペロポネソス半島側では発生していないしな。現状、売価に目立った値動きもない」
逆に、アテーナイヱが穀物を欲してシケリアへと軍を向けたとは……いや、無駄だな。それならテレスアリアを狙った方が、どちらの陣営にとっても距離的に現実的だ。アテーナイヱのアクロポリスからシケリアまでは、アテーナイヱのアクロポリスからテレスアリアに向かう十倍前後、ミュティレアに向かう航路と比較しても四~五倍の距離がある。それも、航路的にはラケルデモン支配域の海岸線沿いを進まなくてはならないため、中継のための港に関する問題もある。
そいれでいて、明確な戦略目標が見えてこない。
戦争中でなければ、西方との交易の窓口としての意味はあるだろうが。あの近海は、ヘレネスと敵対関係にあるカルターゴーとも近く、攻略と維持の費用は、いくらアテーナイヱが商業立国とはいえバカにならない額になる。
ただ単に攻撃しただけで占領しないのなら、より意味がない。援軍を求められての支援だったとしても、莫大な戦費もしくはそれに変わる農産物をシケリアの小都市が出せたとは思えない。
勝ったなら、まあ、良いが、アテーナイヱはなにがしたかったんだろう? 持久戦で低下した士気の回復? 国威発揚? いまいちしっくりとこないな。どう見ても、無駄が多過ぎる。
同じ氏族の戦勝という喜ばしい報告に水を差されたせいか、キルクスはムッとした顔になったが、負けじと言い返してきた。
「今は戦時ですので、穀倉地帯や革製品、金属の産地を押さえるということは、戦略において充分な圧力に――」
「まあ、良いだろう。それで?」
ただ、言い返してこられても、正直、物証が乏しい現状では結論が出ない内容でもあったし、無駄な事に時間を掛けずに話を進めさせた。
そもそも、戦時中は戦果の誤認も多いし、意図的に偽情報を流すこともある。アテーナイヱの発表以外の情報源から、裏を取らなければ信頼に値しない。
それに、実際問題として、艤装した軍船がある以上、キルクスとしては結論ありきの根拠しか述べないだろうしな。コイツ程度の考える事は、誰だって解ってる。
無能ではないんだが、自意識が過剰過ぎるんだ。
汝自身を知れ。の、真逆だな。コイツ。
キルクスはより不機嫌になったようだったが、マケドニコーバシオの兵隊が欲しいのか、ここで俺に喧嘩を売るような愚は犯さずに、表情を変えて再び話し始めた。
「ラケルデモン艦隊は、対抗策としてアカイネメシスと協力しつつ、エーゲ海東岸の大陸側の都市を攻撃し、現在はこれより北のサロ湾付近に停泊中とのことです」
「ん? あの辺りにも、アテーナイヱの殖民都市があったはずだが?」
昔の話なのでうろ覚えではあるものの、レームレス島への航路を探していた時期に、エーゲ海東岸についても地図を確認している。
北伐後の現在は、なし崩し的にマケドニコーバシオ領となっている場所が多いものの、外港都市ダトゥ以東のトラキア地方の大陸伝いの海岸線は、未だにアテーナイヱの植民都市が点在している。
同地を押さえる意味は、産業に乏しいトラキアとの交易のためではなく、ダーダルネス海峡、そしてそれに続くマルマラ海、ひいてはその先にあるボスポラス海峡を抜け、黒海へと抜ける東方交易路を確保するためだ。
なので、マケドニコーバシオ寄りのダトゥは攻め落とせても、それ以東への進軍を止めたのは――無論トラキアの奥地であり補給に難があることや、新都ペラからの距離による物理的な統治の限界、東の大国アカイネメシスを刺激し過ぎるため、といった複合的なものであるが――だからだ。
ちなみに、その航路を通じ、ワインと引き換えに、東方由来の絹や、未知の穀物、独特の肌の色の奴隷がヘレネスに入ってくる。
要所ではあるが、
「占領され、現在は、ラケルデモン艦隊の拠点となっているようなんだ」
――まあそうした経済観念は、今のラケルデモンにはないか。
しかし、久しぶりに口を開いたドクシアディスは、随分と、しおらしいというか、顔色を窺う癖がついてしまっているようだった。態度に自信が感じられない。発言権から察するに、完全にキルクスに負けてるな。
まあ、あの船の集団の構成を鑑みれば、金のない無産階級出の多いアヱギーナ人が、キルクスが連れてきた知識層のアテーナイヱ人に支配されていくのも予想の範囲の帰結か。
景気の良い話だけをしたかったのか、キルクスはドクシアディスに露骨に嫌な目を向けたが、純朴なドクシアディスはそれに気付かずにいたので、あっさりと矛先を切り替え、王太子の歓迎のために集まった自由市民の富裕層に向けて声を大にして主張を始めた。
「ラケルデモン艦隊により封鎖されている航路の復活は、ミュティレアにも充分な利益を――」
「おい、誰か、この都市が黒海航路へと送った商隊に関する記録を覚えているものはいるか? きちんと公文書館にあるものでな」
が、ここで熱狂されると迷惑なので、俺は特に意識したわけではない、普段通りの声で邪魔をした。
途端に、場がシンと静まる。
「うん、そういうことだろ? この島はエレクトラム貨の製造拠点だ。わざわざ長期の危険な航海をせずとも、造幣と引き換えに原料の金銀、東方からの交易品が届く。アテーナイヱだけに拘る理由はないし、むしろ黒海航路の封鎖によってアカイネメシス経由の東方の輸入品を独占販売することもできる。変化する状況は、逆に経済発展の好機だ」
周囲の反応を見るに俺の意見に同意する者の方が圧倒的だ。
ミュティレアの住人は基本的にはアテーナイヱと同じ氏族ではあるものの、昨年アテーナイヱに攻められたばかりで、怨みつらみはそう簡単に消えてはいない。アテーナイヱは、ミュティレアの成人男子全てを殺し、女子供は奴隷にするという苛烈な処分を一度は可決し、通達している――処分の撤回の使節は、俺達が処分したのでこの島へは伝わっていない――んだから。
後は、巧者が戦争における国力の低下を冷静に判断し、慎重派へと鞍替えしているとかだろうな。無論、臆病風に吹かれている者もそこに含まれるだろうが。
俺達マケドニコーバシオがやってくるまでは、キルクス率いるタカ派に目をつけられたくなくて大人しくしていたのかもしれない。
ネアルコスはいったいなにをやって……。いや、これもネアルコスの仕事なのかもな。俺達が島を支配する上で邪魔になる者を、上手くひとまとめに出来ている。
これを見せしめに出来れば、お飾り程度に起用している島の富裕層さえも俺達に口出し出来なくなる。
「今はそれで良いかもしれませんが、いずれは」
派兵の準備を終えているからか、キルクスが苦しそうに言い訳じみたことを言った。
俺は、ネアルコスの意図も察して軽く嘲笑ってキルクスに応えた。
「そうだ。いずれ、だ。国力の差を考え、敵を決めるさ。……俺達は、な」
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