夜の終わりー11ー
天気のせいだけじゃない理由で少し晴れやかな気持ちになって――春風に軽くなったその口から、時による変化が、こぼれた。
「エレオノーレ、俺達は、最早一人の人間だ。それが分かる年齢だ」
「もう二人ぼっちじゃなくなったから?」
「……あの頃は、なんでも出来る気がしてただろ?」
二人でいるのなら、という言葉はつけなかった。
当時の俺は自分一人で全てが手に入ると本気で思っていたし、エレオノーレはおまけで助けてやってるって感覚だったのが一つ目の理由で、もう一つは、エレオノーレ自身が出来ると思っていた事が、俺の戦いを終わらせ、普通の男として共に生きるという、全く別の理想だったからだ。
「俺も斬られれば血が出る、戦場で死ぬ日は、いつか来るだろう。弱いわけじゃないが、不死身の英雄でも、ましてや神々でもないんだ」
意外そうに見つめるエレオノーレの視線から逃げるように、猫背になって、膝の上に肘を乗せ、手の甲に額を乗せて俯く。
「がむしゃらに戦って、生き抜いてきた。それが、無駄になることなんて想像しなかった。心の何処かで、俺なら上手くやれるという根拠の無い自信で満ちていた」
「実際、なんとかなってきたじゃない」
まあな、と、顔を斜め上に向けてエレオノーレと視線を重ねてから頷くも、すぐさま視線を水平線に逃がし。
「だから、今、俺は、何も成せずに消えていくのが怖い。喧嘩ふっかけて、殺して、奪って……いつか殺される。それは仕方ない。それも、俺だ。俺のしてきた事だ。ただ、そこに、なんの意味がある?」
「だから、私はずっとそれを――!」
エレオノーレの反論を遮り、強い調子で「違う!」と、叫べば、エレオノーレが身を竦ませたのが気配でわかった。
いつからだっけな、エレオノーレが自分だけは傷つけられないって思って、俺に無茶を言うようになったのは。
そして、再び俺の怒声に怯えるようになったのは。
「先日、生き方を選んだ、と、俺は言ったな。本当に選んだのは、思想だったのかもしれない」
少し、というか、自分では少しのつもりだったが明らかに沈んだ……しかし、その分落ち着いた声で続ける。
「俺は、もう戻れない。お前に会った時点でそうだったんだ。だが俺達は、誰が死んでも歩みを止めない。プトレマイオスの役割も、俺の役割も、そう、王太子の役割ですら、誰かが引き継ぐだろう」
まあ、実際どうしようもないヤツもいるわけだが、それはそれで使い方次第ってのも理解してる。
「無論、完全にそれで納得しているわけでもない。俺は欲張りだからな。しかし、途上で死んでも俺の爪痕はこの世界に残せる。百年、千年……いや、永遠に語り継がれるだろう。俺達の軌跡が、
一般的な
人は力を手にすれば、それを使いたくなる欲求を抑えるのは難しい。善し悪しはともかくとして。そして、俺自身には戦争が必要なのだ。武力そのものと言ってもいい俺の存在意義を証明するには。
その役割を正しく全う出来るのは、ここしかないのだ、もう。
「俺は、俺が死んで過去になった時には、勲しを謳われたい。聴く者、観る者を強く惹きつける英雄でありたい。悪人で良い。だが……、いや、悪人だからこそ、強くありたいんだ、最後まで。既に相当に手を汚している以上、強くなる以外の道はないんだ。それ以外の理由で、きっと俺が顧みられることなんてないから」
皆を失ったら、俺はまた戦場の狂気に戻るしかないじゃないか。独りの兵士として、斬って、斬って、斬りまくって斬られて死ぬしかない。
なにも無くなったとしても、剣を置くことだけは絶対に出来ないんだから。
「……ひとりの人間として、平凡に生きて死ぬことなんて、俺には無理だ。それが、俺と俺の背負った歴史に対する一番の敗北なんだ」
ラケルデモンに生まれたこと、その王族であるという矜持、それだけではなく、俺という人格がその役割と重なっている。
殺すことにかけて、自分以上のものが居ないという自負がある。
きっとそれは、自分より強い者に殺されるまで消えることはないだろう。
「なにも残せずに死ぬのなら、本当に全部が無駄になるだろ? 俺として生まれてきたことの全部が」
ふと、エレオノーレを説得するつもりが、自分のことばっかりしゃべってしまっていることに――エレオノーレが、相槌も打たずにずっと聞きに徹しているせいで――気付き、急に少し恥ずかしくなって、しばしの沈黙を挟む。
「……俺はアーベルだ。ラケルデモンの王族でありながら淘汰され、世界を彷徨い、
素直な感情の吐露は、少し、胸が苦しくなる。
話し終え、ゆっくりとエレオノーレを見上げると、エレオノーレは驚いた顔をしていたけれど、その表情は昨日神殿で見たよりも柔らかな雰囲気で、今日最初に感じた違和感のようなものがある。
まるで、知らない女を目の前にしているような気分だ。
「実を言うとね、私でアーベルが困るのが、少しだけ嬉しいんだ。どうしようもないって解ってるよ。だから、忘れられなくさせたかった。絶対に癒えない傷を残したかった」
肩に乗せられたエレオノーレの爪が、皮膚に食い込む。痛くはない。目や急所でもない場所を引っ掻かれたところで、なんの苦痛にも感じない。
「だから、少し安心した。アーベルが、ちゃんと私で傷ついてて」
ふん、と鼻を鳴らして、なんだそれ、と口で言う代わりにする。
つか、解っているのなら――。
「……頼む。エレオノーレ、メタセニアの王女になってくれ」
出そうになる皮肉を飲み込んで、俺は公の立場を優先した。私心は、さっき十分に明かしているし、それ以上のものはない。
そして、突き詰めるなら、他に言うべきこともないのだ。
もったいぶる様に、考える仕草で口元を左手で隠したエレオノーレは、一度視線を空へと逃がしてから「始まりの日には、当たり前で――ううん、傍にいたから、全てが始まったのに、今は一緒にいたいっていう、たったそれだけの願いが叶わないんだね」と、笑顔のまま、責める口調で告げた。
今のエレオノーレが、演じているのかどうか、判断はつかなかった。いや、それを言うなら、さっきエレオノーレ自身が俺を傷つけようという態度を自分でしていたということを聞くまで、エレオノーレが本心を隠した態度を見せることがあるということ自体、気付かないままだっただろうけど。
「お前以外の誰にも務まらないことなんだ。メタセニア人を寄る辺無き民にするな。俺達
エレオノーレの本心が分からない。
分からないが、俺が伝えるべきことは一つだった。
なので、それを繰り返すしかない。
分かっているつもりで、エレオノーレの事、全然分かっていなかったんだな、と、気付かされる。
だが、エレオノーレに伝わるような言い方、そして、エレオノーレに合わせた表現を今の俺は持っていないのだ。分かる人間が分かれば良い、伝わる人間にだけ伝われば良い、と、これまで周囲を突き放し続けてきたツケが今になって出ている。
案の定「また、自分勝手な事を」なんてぼやきも聞こえてきている。
まあ、な。不幸に成らずに天寿を全うするのは、一般的な幸せだと思うがそれ以外の部分は俺の押し付けだ。あと、エレオノーレの望みには反しているらしいしな。
「いいよ、好きな人のお願いぐらい、聞いてあげなくちゃね」
長い長い間を空けて、俺自身がさっき自分が何を言ったのか忘れる程の時間の後、ぽつりとエレオノーレが呟いた。
その言葉を願っていたはずなのに、実際にエレオノーレの口から出てしまえば、達成感も何もなく、すとん、と、身体から力が抜けていっただけだった。エレオノーレの声そのものも、決意や悲壮、そうした感情を込めていない……例えるなら、風の音や波の音に近い、自然に流れる音のような、そんな言葉だった。
こんなにも……劣化していたのか。最初の絆は。
終わった、と、思えば、詰めていた息と同時に苦笑いが込み上げ、俺は俯いたが「けれど――」と、エレオノーレの両手で頬を挟まれ、無理に顔を上げさせられた。
こんな風に、間近でエレオノーレと見詰め合うのは、いつぶりだろうか?
……その眼差しは、あの時惹かれた理由に一応の決着をつけている今の自分にとっても、それでもまだ、美しいと感じた。
視線か絡まり、息を忘れる。エレオノーレだけしか見えなくなってから、ようやくその声が聞こえてきた。
「アーベルがそうするなら、私も私の戦いを続ける。勝ち目が無くても最後まで。私は、私の血を残さない。なんの証も後世には残さない。名前さえも、ただの歴史の羅列のひとつになる。女王でも奴隷でもない、ただの一人の平凡な女として、生涯を終える。……思い出だけを胸に」
返事は、出来なかった。
抜き身の刃を首筋に当てられているような――、ほんの少しの間違いでその刃が引かれて殺されるような、張り詰めた鋭さがあった。
頷く俺。
エレオノーレの掌が離れ、気配が一歩……、その直後に更に数歩離れると、限界まで膨らんだ泡が割れるように、空気が一変し、笑みを向けられた。
「責任、少しは……たっぷりと、感じてよね」
俺から離れていったその表情は、どこかほんの少しアデアに重なって見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます