Spicaー8ー

 ネアルコスが……まあ、要約すると、女性がなにをして欲しいかは千差万別で、でも、意外と些細な事や贈り物――え? 結局は、金をかければ良いってことか? ――で喜ばせられるだの、なんだとの分かったような分からないような講釈をしてくれたので、適当に聞き流していると、アテーナイヱの陣地のある兵士がふと目についた。

「ん?」

 いや、外見で違和感があるわけではなく、態度がおどおどしているといったわけではない。

 ただ、集団において、全体の流れに沿わない個人は、どこか周囲とは色が違って見えてしまうのだ。俯瞰していると、それが更に際立つ。

 自弁された身体に合った装備から見るに、自由市民ではあるようだ。しかし、鎧兜だけで、大盾も長槍も持っていなかった。サイフォスと呼ばれる幅広の両刃の剣――まあ、俺が使っている片刃の長剣は、ある意味、かなり古風なコピスと呼ばれている剣を伸ばして実戦にそぐうように改良させたモノであるので、向こうの得物に不審はないが。ただ、普通は剣は補助武器であり、城壁のある都市や拠点を攻めてるわけでもないのに、それだけを装備しているのは、ちょっと引っ掛かった。

「どうしました?」

 俺の様子に気付いたのか、ネアルコスの声からおふざけの色が抜けた。

 俺はすぐには答えずに、他の兵士の動きをも注意深く探っていく。補助兵? にしては、足運びがなんか……。ん? 他にも、鎧兜を身につけずに――ああ、あれは、金のない無産階級の連中か。

 ほとんど武装していない水夫が、百人前後ずつ浜に整列されせられている。

「いや……。部隊の動きが……ああ、黒海方面への補給の船を編成してるのか」

 輸送量を増やすためなのか、きちんと武装した兵士は、水夫の数よりも明らかに少ない。三十隻前後の船団を出すようだが、軍用の船は二隻程度だろう。

「アテーナイヱ艦隊は過去、二~三度偵察隊を出して港のすぐそばまで寄せたらしいですが、ラケルデモンが食いついてこなかったので。今回も妨害はないと舐めきっているんでしょうね」

 一応警戒はしている様子だが、ネアルコスはどこかつまらなそうに呟いた。


 軍隊が持ち運び出来る食料は、少ない。特に、遠征時には武具を持って行かなくてはならないため、兵士個人で運べる水や食料は精々三日分程度。輸送隊を連れてきたとしても、軍団が無補給でいられるのは精々十日ってところだ。

 そう、だから、物資補給用の輸送艦隊を編成するのは当たり前の事なんだが……。


 視線を海岸線から、さっきの兵士へと移す。野営地の中央のテントから出た後、水を補給し、出港準備で人が海岸線に集まっている隙を衝いて――、俺とネアルコスの方へと向かってきている。

 いや、俺達がばれたってわけじゃない。ばれてるなら、兵士の視線の動きや、野営地の兵士の動きが合わない。

 もしや、俺達の陣地を偵察しようとしているのか?

 ネアルコスの後頭部を引っ掴んで、兵士に視線を向けさせる。弓を使うネアルコスは、俺よりも目が良い。

 しばしその兵士を見詰めていたネアルコスではあったが、俺の言いたいことが上手く伝わったらしく、こくりと頷いた。


 その兵士は、野営地の後方の柵――とはいえ、非常におざなりで、膝下程度の高さしかない、手抜きの柵だが――を越え、足早に山へと入ってきた。

 中腰になり、間合いを取りつつその兵士を尾行する。

 ここは、トラキアや黒海に近い地方ではあるが、山の植生はヘレネスに近いのか、低木ばかりだ。身を隠す藪は多いが、間合いを詰め過ぎれば音で気付かれる。

 とはいえ敵は、くすんだ赤緑の蕾や淡い緑の若葉の中を、白い亜麻布の服の上に青銅の鎧を着込んで歩いているのだ。追うのは難しくなかった。


「偵察でしょうか?」

「まあ、俺等を探して交渉したいって感じではないな」

 なんらかの役職を持っている様子はない。兜の簡素な飾りは、部下のいる兵士には見えない。

「ラケルデモン側の密偵?」

「どうかな? 確かに俺等の拠点の背後には、アカイネメシスの港があるが、ラケルデモンの陣地へ戻るには、かなりの時間が掛かるだろう」

 ネアルコスは悩んでいるのか、短い沈黙が間に割り込んできたので、俺はアテーナイヱ兵を指差し――。

「確かめるぞ」

「え? ちょっと、アーベル兄さん?」

 動揺したネアルコスに、さっきの仕返しは出来たかな、なんて暢気なことを考え――、次の瞬間、呼吸を止めて中腰のまま、腰を浮かさずに足音を殺して駆けた。

 アテーナイヱの野営地からは充分に離れている。援軍を呼べる距離じゃない。もっとも、呼ばせるつもりもないが。

 背後の物音に兵士が振り返るより早く一気に間合いを詰め、膝裏を蹴って転ばせ、膝で肩を押さえ込み、首筋を右手で掴みいつでも声帯を潰せるようにして馬乗りになった。

「よう、どうした?」

 話しやすいように、にこやかに訊ねてみたんだが、アテーナイヱ兵は露骨に怯えた顔になった。

 別に、殺すなら最初の一撃で首を刎ねてるし、安全に話を訊くために取り押さえただけなんだが、どうも過剰に驚かせてしまったらしい。

「ラ、ラケルデモン⁉」

「ちげえよ、まあ、確かに俺はラケルデモン人だが、俺等はマケドニコーバシオだ」

 ネアルコスが、不服そうな顔で、ゆっくりと近付いてきて、俺と向かい合うように――俺の反対側からしゃがみこんで、アテーナイヱ兵の顔を覗きこんだ。

「どうも、アテーナイヱの兵隊さん。ちょっとお話を聞かせて頂けますか?」

 いつもは人好きのする笑顔が魅力のネアルコスなので、やつあたり気味に半目で口を尖らせて兵士に話しかけている姿は、なんだか不思議な可笑しさがあって、つい口元が緩んでしまった。

「は? え、あ? はぁ⁉」

 ひとり置いていかれたアテーナイヱ兵が、全くわけが分かっていない様子で狼狽えている。

「アーベル兄さん」

 ネアルコスが兵士に向けていた顔を上げ、俺を見るが――。

「別に、これでも話せると思うんだがな」

 ――思ったよりも真面目な顔で、兵士を解放するように目で訴えてきたので、渋々俺は兵士の上からどいた。

「暴れるなよ」

 俺が膝で押さえていたので、軽く痺れたのか――筋や骨に異常がでるようには押さえていない――、具合を確かめるように腕を振り回す兵士に念を押すと、嫌そうな顔で言い返された。

「……アンタがな」

 ははははは、と、笑いながらネアルコスの隣に移動し、兵士と二対一で向き合う。

 アテーナイヱ兵はもう逃げるつもりはなさそうだったが、こちらを信用してはいなさそうだった。

 まあ、元々味方でない以上、こちらを信用するわけはないんだから、最初に一発かまして主導権を握るのが間違っていたとは思っていないけどな。

「お前さ、なんで単独行動しようとしたんだ? そんななりで」

 面倒な部分を端折って、直截に訊ねてみる。

 兵士が俯いたので、すかさずネアルコスがいつもの余所行きの声色で追撃した。

「マケドニコーバシオは、ラケルデモンを支援はしておりませんが支持はしております。もしも密偵でしたら、ラケルデモンが占拠している港までお連れ出来ますよ?」

 アテーナイヱ兵は、いまいち乗ってこなかった。どうも、ラケルデモンとは無関係っぽいな。態度に偽装の雰囲気がない。

 ならばと、次の可能性を多少盛って話してみたんだが……。

「じゃあ、俺等の野営地を探りに行くつもりだったのか? だったらこそこそするなよ。別に、俺等はお前等と戦ってないんだから、堂々と遊びに来ればよかっただろ?」

 事が起これば、テレスアリア兵は出来る限り助ける必要があるし、敗残兵はこちらの兵隊として吸収するのはやぶさかではない。

 そのためには、話が通じる相手がアテーナイヱ軍にひとりふたりいてくれた方がありがたい。

 キルクス達を使っても良いんだが、ここで戦いが起こった場合、戦後処理に際して思うところがあるので、出来れば新たに橋渡しが出来る手合いを引き入れたかった。

「うん?」

 だがしかし、兵士は今度は首を傾げてしげしげと俺達を見た。

 マケドニコーバシオを知らない様子ではないが、それがどうしてここにいるのかは分かっていないように見える。

 あまり、戦略……というか、大局的な見地はもっていないのか?

 理由があって、俺達の野営地を目指していたわけじゃない。だとするなら、残る可能性はひとつだった。

「脱走、か?」

 暫く沈黙が流れたが、アテーナイヱ兵は拳を強く握った後、吐き捨てるように叫んだ。

「そうだよ! 盾も盗まれて、食料だって奪い合いだ。アクロポリスの為政者達は都合の良いことで俺達を集めたくせに、いざ戦場へと向かってみればこれだ! なにが名誉だ! どこに東方伝来のお宝がある⁉」

 怒りで我を忘れたのか、それとも拠点では不満をぶちまけられるような相手がいなかったのか。後半は随分と本音も出ていたが、根本的な部分でにおいてはそんなに質の悪い兵士だとは感じなかった。

 むしろ、時節を見て逃げるだけの目と行動力があると評価すべきか。

「お前、殖民都市の出なのか?」

「……ああ、出身地で、陣でも差別されてるんだよ。だから盗り合いになる。もう、そんなのは……もう、うんざりなんだよ!」

 そういえば、昔、ダトゥに関して調べていた際にもそんなことを聞いたことがあった。ミュティレアの反乱に関しても、直接的な原因は上層部の戦費の横領ではあるが、そうした行為がまかり通るだけの重税を各都市市民に課していたことが遠因だったとも言える。


 一頻り怒りをぶちまけた脱走兵は、叫ぶことで張っていた気が抜けたのか、どうにでもなれといった投げ遣りな顔で俺達を見た。

「お前、あてはあるのか?」

 首を振る脱走兵。ネアルコスが横から俺に訊ねてきた。

「連れて行くんですか?」

「まあ、この男の能力次第だが、俺のとこで雇ってもいいさ。王太子に認められればな」

 ちらっと様子を窺うが、だらだらと馴れ合うだけの場所で腐らなかった以上、環境さえ変えればそれなりに使いではあると思った。

 それに――。

「おい、当面の衣食住と金の面倒見てやるから、色々喋ってくれる気はあるのか?」

 言葉を詰めたのは一瞬で、……瞬きの後に、素直に頷いた脱走兵。

 鞍替えする、と決め手からの判断の潔さは悪くない。し、わざわざここでこいつが嘘を俺達に伝えたところで、誰の得にもなりはしない。

 いつか俺達をも裏切るとしても、この一戦で役に立ってくれるならそれで充分だ。そもそも俺の軍団なんて、コイツ以上に癖のあるのしかいないんだしな。


 予定した刻限よりも早かったが、脱走兵を連れて野営地へと戻る。

「ネアルコス」

「はい?」

「多分、ラケルデモンは動く」

 ネアルコスは、訝しむような目を俺に向けたので、脱走兵の方を振り返って訊ねた。

「お前みたいに、逃げたのは多いのか?」

 こくりと頷いた脱走兵。

「そういうことだ」


 作戦や陣容に関して事前に漏れている。

 今回の輸送艦隊は、護衛の船も少なく、また、野営地に停泊している船は人を乗せておらず臨戦態勢にない。

 輸送艦隊を見送った後でがら空きの野営地の港を攻めるのか、それとも、輸送艦隊を攻撃してから港を攻めるのか。輸送艦隊を攻撃するなら、それは、出港時を狙うのか、それとも物資を積んで足の遅くなった帰港時なのか。

 俺なら、帰港時に攻める。

 荷下ろしで人がごった返すし、上手くいけば船も物資も奪い取れる。

 いずれにしても、もうあまり時間がない。始まってしまえば、決着は一瞬だ。

 それなりの数のテレスアリア兵を逃がすには、すぐにでも退路の確保に掛かる必要がある。

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