Syrma-1-

 多分だが、皆は、脱走兵から聞いた状況は信じても、俺の見立てを完全に信じたわけではないと思う。


「さぁーて、どう出るのカな?」

 騎乗したまま徒歩の俺を見降ろして、からかうように訊ねたクレイトス。

「喧嘩しないでくださいね、お兄さんがた」

 と、にこにこと人好きのする笑みを俺の左隣で浮かべているのはネアルコスだ。弓に弦を張り、三十四本の矢を取り出しやすいように腰の筒に入れている。

 腕組みした俺は、視線を真っ直ぐに前に向け、小高い丘と低木で遮られて見えはしないものの、そこにあるはずのアテーナイヱ野営地を睨みつけた。


 王の友ヘタイロイでも今日ラケルデモン軍が動くか動かないかは意見が割れた。が、それでも出撃したのは王太子に決断によるところが大きい。

 単純に、俺が主張するラケルデモン艦隊による攻撃を信じたわけじゃないと思う。着陣してから十日程度が過ぎたことで、慣れによる油断や、戦闘が起こらないという思い込みによる士気の低下を避けるため、実践的な演習としての意味合いもあるはずだ。

 ひとつの行動にひとつしか意味をもたせられないなら、指揮官としては失格だ。

 他にも俺達の存在を両陣営に気づかせる意味なんかもあるかも知れないが、そこは王太子の戦略眼とアテーナイヱの連中の出方にもよる。

 俺の直属の五十名と黒のクレイトスの騎兵の全ては前面配置で、それ以外の俺の兵士、元々後方要員として連れてきた百五十は拠点の撤去を行い――とはいえ、ラケルデモンが攻勢に出なかった場合はまだ野営地は必要なので、戦闘が始まった連絡を受けてから撤去は行うが――、残りの百名をプトレマイオスとリュシマコスが指揮して退路の確保に当たらせている。王太子や残りの王の友ヘタイロイは、高所で海とアテーナイヱ陣地を見張り、異常があれば伝令の騎兵がこちらへと連絡する。

 ありきたりといえばありきたりな陣容なんだが、正直、テレスアリア兵の錬度や士気が分からないし、連携訓練も行っていないので、単純な方が良いと判断したのだ。


「もうじき、夕焼けだな」

 変化し始める空の色を見ながら呟き――クレイトスの方へと視線を向ける。

「馬は平気なのか?」

「まあ、平気ってわけじゃねえが、なんとかスるさ」

 とは言っているものの声色から察するに、あまり夜に騎兵を運用したくは無いんだろう。受け売りの知識ではあるが、騎乗しているときの視界は馬の速度のためか狭まるし、まして戦いながらの夜道では障害物を避け難くなる。

 そもそも、歩兵のテレスアリア兵や俺の部下を馬が蹴飛ばすかもしれない。

「つか、なら、夜にラケルデモンが船を操れンのかって話ダろ」

 確かにそれもそうではあるんだが、攻撃が決定した場合、あの国の兵隊はそこまで考えないんだよな、とも思う。少年隊の訓練において、上の命令への服従と、あらゆる状況下でも工夫して敵を殺すことを覚えさせられているんだし。

「退路は、お前ンところの兵隊がうまくやるはずだしな」

「あくまで急ごしらえだ」

 そう、撤退では、俺達の船があるアカイネメシスの港湾都市まで一気に走れば良いという物ではない。そもそも、ただ走っただけではここからだと――マケドニコーバシオ軍だけなら三日と半日、テレスアリア兵を誘導する手間を考えるなら、四~五日の行程となる。

 戦闘で疲弊したテレスアリア兵を休息させたり、追っ手のラケルデモン軍と戦闘を行う必要がある。

 プトレマイオスとリュシマコスが指揮し、退路の確保に当たらせている百名は、食料や装備の配置、柵の設置、軍道の確保を行うための百名だ。

 そうした休憩所は一日あたりおよそ四箇所程度必要となるので、最長の五日間程度の撤退戦を仮定するなら、二十箇所の拠点構築が必要となるし、撤去した野営地にあった物資は、後方要員によって運搬と分散配置をしなくてはならない。

 軍団を逃がす――もしくは、兵士を伴って逃げるという事も、なかなかに大変なのだ。

 なので、出来るなら戦闘を避けた方が金は浮くのだが――。


 後方に騎兵の駆る馬の足音を聞いて振り返る。

「おい! なんでそんないっぱい来るんだよ!」

 伝令だけではなく、王太子やその警備に当たる王の友ヘタイロイさえも最前線となるこの場所へと来ていた。

「非常事態なンだろ」

 クレイトスが、溜息を飲み込んだような面で答えたが。そのすぐ後に配下の騎兵に指示を慌てて飛ばしているところから見るに、動揺がないわけじゃないようだ。

 まあ、始まっちまったとしたら、俺の軽装歩兵ではなく、まずクレイトスの騎兵がアテーナイヱ軍を突っ切ってテレスアリア兵に連絡をつける必要があるので、それも当然かもしれないが。


 そうこうしている内に、王太子が俺達の前までやってきて馬を止めた。

「海戦がおこったぞ」

 王太子の声に、隠し切れない喜色があった。

 こういう時、やっぱり王太子も俺と似た部分があるんだよな、と、感じてしまう。戦闘が、嬉しいのだ。

 誰かに認められる、もしくは、認めさせる手っ取り早い手段は戦闘だ。

 誰も、降りかかる暴力を無視できるわけはない。武力を警戒されたとしても、それは、こちらの戦力を相手が認めたと言い換えることも出来る。

「ヤるんだな?」

 戦闘が起こったなら、結果はすぐに推測できる。

 案の定、王太子ではなく伝令が話す内容は、野営地の港へと戻るアテーナイヱ輸送艦隊があっさり敗北し、ラケルデモン軍の敵前上陸作戦が始まったこと。そして、アテーナイヱ軍は、寄せ集めなのが災いしたのか、組織立った抵抗が出来ず、既に恐慌状態であることを手短に告げるだけだった。

 少々厄介だな、と、思う。

「……場合によっては、テレスアリア兵以外のアテーナイヱ軍と戦うが……いいのか?」

 一応、王太子に判断を仰いで見る。横のネアルコスも、複雑な顔で王太子を見ていた。

 恐慌状態の兵士は、厄介なもののひとつだ。論理的思考が破綻し、ともかく逃げようとして、誰かに助けて欲しいという心理から、もし遭遇すればまとわりつかれ、こちらの陣を崩される。

 斬るほかないんだが、テレスアリア兵の救援もそうだし、今後の外交戦を考える上では、難しい判断になる。

 王太子は、内心はともかく、あくまでいつも通りの表情で頷いた。


「最優先は、味方の犠牲を出さないことだ。次いで、テレスアリア兵をできるだけ多く助けろ。は殺して構わない」

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