Syrma-2-

 王太子は、必要な命令を出した後、やや名残惜しそうにしながらも先に撤退した。

 本当は自分でも戦いたいのであろう事は解っているものの、何も言う事は出来ない。この戦場にはそんな価値はないことは、誰の目にも明らかだ。今回のテレスアリア兵の撤退補助は、あくまでも誰かの尻拭いのようなものであって、名誉がないわけではないが、どちらかと言えば政治的駆け引きに付随した作戦でもある。

 王太子を、安い戦場に回される使い捨ての小者だと思われるわけにはいかない。

 ネアルコスはそのまま、俺の補助や俺とクレイトスとの仲立ちの名目で残っていたが、クレイトスは王太子が背を向けると同時に出撃して行った。


 少し遠くから戦闘音が茜の空に響く。

 悲鳴と怒号。湿ったものを――物資や人、死体を燃やした際の、あの独特な匂いが風に溶け込んでいる。

 まあ、クレイトスの仕事に不安があるわけじゃないが……。

「どうかしたか?」

 ネアルコスが俺の左側を守るように横に立っていたので、こちらから訊ねることにした。訊きたい事があるということは、顔を見なくても雰囲気で気付けるようになってきた。最近になってようやく。

 ネアルコスは、すぐには返事をしなかったので、正面から向き合うように身体ごと横を向き、ん? と、首を傾げてみせる。

 俺よりも背の低いネアルコスは、どことなく上目遣いになって――迷っている、ということが、その瞳から分かった。だが、今の俺では、言い難いことがあるという所までを察するのが限界で、普段のネアルコスのように他人の心情を汲むことには長けていない。

 近付いてくる戦闘音の中、焦れるのを我慢してネアルコスが口を開くのを待っていると、いつもの笑顔を浮べずに真顔でネアルコスは訊ねてきた。

「もし偶然キルクス達がこちらに逃げてきた場合は、どうしますか? また、助けるのですか? それとも――殺しますか?」

「はっ」

 内容が内容なので、つい短く吐き捨てるような笑いが出てしまった。

 ネアルコスは『もし偶然』なんて前置きしているが、その可能性は高いと思っているのだろう。実際、あの連中も俺達の兵装を見知っているんだし、他に当てが無ければそれに頼ろうと考えるのは当然だ。


 そう、確かに、俺達にとって利益となるのは殺すか助けるかの二択なんだが……。

「まず、参謀役であるネアルコスの意見を聞きたいな」

 軽く笑みを浮かべて試すような目を向けると、ネアルコスは少しだけむくれて答えた。

「アーベル兄さんは、兵糧を圧迫してまで助ける価値があると思いますか?」

 この場面で、ヤっちまおう、と、素直に口にしないのがネアルコスだよな、と、思う。

 俺とクレイトスなら、殺したいならそれを素直に口に出す。

 プトレマイオスは嫌な顔をするが結局この場では助けることを選ぶだろう。……もっとも、ミュティレアに帰った後で、厳しい処罰を下すだろうが。


 つか、ネアルコスは、そんなにあの甘っちょろいお坊ちゃんキルクスとは相性が悪いのか。

 無論、単純な好き嫌いの問題じゃないことは分かっているが、少なくとも王の友ヘタイロイ内部での好悪に関して顔に出す性質の人間でないだけに、その普段との違いがどこかおかしかった。

「どうしても、こちらについてくるというのなら斬るさ。だが、基本的には無視だ」

 俺は、周囲の部下にも聞こえるように、はっきりと告げた。

 ネアルコスは眉をひそめ――。

「無視?」

 と、訊き返してきた。

 そう、俺達にとって利益となるのは、ミュティレア内部の好戦的な連中を一掃して反乱の芽を潰すか、恩を売っていうことを聞かせるかの二択だ。

 だが、恩を売ったところで、元が情に流されない商人であるアイツ等が、いつまでも大人しく素直に従うわけはないことは、今回の遠征で証明されてもいる。

 ミュティレアの穏健派との関係が良好な今、俺がかつて組織した武装商船隊の連中はもう用済みだった。

 普通なら、ネアルコスと同じように、戦場のどさくさに紛れて殺すことを考える。普通ならな。


 期待通りのその反応に、ふふん、と、軽く鼻で笑ってから俺は続ける。

「そうだ。俺達はアイツ等を救援しない。邪魔になるようなら斬るが、勝手に他の退路を選ぶなら好きにさせるさ」

「……生き残りが島に帰還した際に問題になりますよ」

「それがいいんだろ?」

 ネアルコスは、いまひとつ俺の狙いが分かっていない様子なので、仕方なくもう少し詳しい説明をすることにした。

 しかし、俺が「エレオノーレは――」と、切り出すと、どこかいやらしい笑みを浮かべあがったので、軽く舌打ちして一度言葉を止めて注意した。

「ちゃんと聞け」

「聞いてますよ」

 半笑いの癖にどうだか、と、いつもどおりの顔になってしまったネアルコスを軽く睨みながら、咳払いで仕切りなおす。

「アイツ等が全員帰らなければ、少なくともエレオノーレは俺を疑うさ。だから、主だった人間は生きて帰って貰った方が都合が良い。俺らしくないのは解っているが、今回ばかりは別だ。きちんと裁判を行い、私財を没収してから追放する。アヱギーナ人はともかく、アテーナイヱ人はそこそこ貯め込んでるだろうしな、今回の軍資金の補填にも丁度良いだろ」

 出撃は勝手にキルクスが行ったわけだし、シケリア遠征の誤報も問題になる。救援を断ったことを非難してきたところで、逆に今回の遠征の損害についての責任の追及にすりかえることが出来る。


 エレオノーレがそれをどう判断するかは分からないが、民会での裁判はこちらが主導できる。キルクス達の追放、もしくは処刑となった場合、アイツがどんな顔をするのか。

 その表情や態度から、キルクスが求婚していたということをアイツがどう思っているのかも判断できる気がした。

「エレオノーレさんに嫌われたくないんですね」

 これみよがしに嘆息して見せたネアルコスに、今さっき考えていた思考までも読まれたような気がして、心臓の鼓動が早くなったのが自分でも分かってしまった。

「いや、そういう訳じゃ……ない、んだが。そう、ミュティレアの連中が、今回のようなことを今後行わないようにさせるため、きちんと記録として残しておいた方が良いだろ?」

「……まあ、確かにそうですね」

 含みのある笑顔でネアルコスが応じたから、喉の奥に小骨が刺さったままになったような変な居心地の悪さを感じてしまったが、反論の前にクレイトスの騎兵の先頭集団が視界に入ってきた。


 剣を抜く。

「――ッチ」

 目当てのテレスアリア兵は誘導できているようだが、尾鰭も多い。きちんと武装していないところを見るに、壊走中のアテーナイヱ兵だ。

 ラケルデモンの追撃部隊じゃないので殺しやすいが、思っていた以上に数が多い。

 最初から抵抗を諦めて逃げに徹しているので、現時点での戦死者は意外と少ないのかもしれない。もっとも、移動のための船をラケルデモンに奪われている以上、本国に帰れる敗残兵は一割もいれば良い方だろうが。

「戦闘準備! ネアルコス、道の左側の兵士を指揮しろ。左隊、右隊にわかれ、道の中央をクレイトスとテレスアリア兵に通過させる。最後尾の騎兵を確認した後は、全て殺せ」

 ネアルコスが俺の側から離れ、戦闘位置に着いた。軍団兵も槍を構え、静かな戦場の熱がひりひりと肌に響く。


 ただ――。

 直前までネアルコスと話していたせいで、ほんの少しだけエレオノーレの事が頭に引っ掛かっている。

 こんなことは初めてだった。

 まだ始まっていないとはいえ、大好きな戦場の中にいるのに……。少しだけ――キルクス達の処遇に関して迷う気持ちも芽生えてしまい、それを誤魔化すように俺は強く長剣の柄を握り締めた。

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