夜の終わりー2ー
「それで、アーベル。お前さんの見解の続きは?」
急に再び指名され、つい、一度瞬きをしてしまった。
あー、っと? そういえば、俺がアテーナイヱの失策についての原因究明を提案して――どこまで話したっけな?
原稿があってそれに沿って話していたわけじゃないので、思い出しながら、無難なところから話し始めてみる。
「アテーナイヱ軍の作戦ではなく、それ以前の、戦場に投入する兵士や物資の数、そして、それより更に前の戦域や戦略目標の決定における問題の考察の方が、軍制改革には役立つんじゃないかと思ったんだよな。んん、多分」
ややだれたような俺の口調から察したのか、さっきは口を挟めずにいたプトレマイオスが割って入り――。
「民主制の問題点がもろに出たのではないか? 実務能力ではなく、人気取りが上手い人間が政治を欲した。緒戦の海戦で勝利した際に、ラケルデモンに対し都市の包囲を解かせ、和平の形へともっていく案もなかったわけではないはずだ」
話題の中心を奪い取ったプトレマイオスが、言い終えた後でチラッと俺を見た。ラケルデモンに対する行動分析を付け加えて欲しいって事なんだろう。
ふむ……。
「条件次第だな。逆に、アテーナイヱはどこまで譲歩できたと思う?」
「ラケルデモンの出方次第だが、私ならアヱギーナ島をラケルデモンに明け渡し、相互不可侵の条約を結ぶことを目指すな。戦後処理の初動でラケルデモンに引っ掻き回されたのだし、アテーナイヱはアヱギーナをすんなりと併呑は出来無い。固執するほどの戦略拠点では無いはずだ。それでごねられるようなら、ラケルデモンの戦費の賠償程度までなら譲歩するだろう」
プトレマイオスの提案は、間違ってはいない。
戦争とは、武力により一方的に条件を突きつける行為である。アヱギーナがアテーナイヱに敗北したのは事実だが、あっさりとラケルデモンに島から駆逐された以上、再度アテーナイヱがアヱギーナに対し講和条件を交渉しようとしたところで拗れるのは必至だ。
ラケルデモンとしても、人口が減少している現在、主戦力を国外に長期間出しておくのは拙い。ラケルデモンは奴隷労働によって成り立つ農業国だが、その奴隷が多過ぎる。普段は強く押さえつけているが、だからこそ、反乱が起きた際には激しい抵抗を受けることになる。
アヱギーナ島は山がちな地形のため、海運を重視した商業国ではあるものの、ブドウの名産地のひとつでもある。ワイン製造の利権を握れれば、危険を冒してまでオリーブ以外の農作物の生産性の低いアテーナイヱの国土を農業国であるラケルデモンが奪う意味はない。
相互不可侵に関しても、ラケルデモンの農産物を買い上げて、アテーナイヱが商売を行えれば、どうにかなる……かもしれない。
だから、普通なら、両国共にその条件を呑むだろう。普通なら、な。
「いや、アヱギーナ島の割譲だけではラケルデモンは納得しないだろう。おそらく、アテーナイヱがあちこちに殖民都市を作っていたのが開戦の遠因だったろうしな。実利以上に
「では、海外領土全ての明け渡しがラケルデモン側の最低条件だと?」
頷く俺に対し、プトレマイオスはバカげていると、肩を竦めて見せた。
そう、はっきり言って条件としては無茶苦茶だ。普通なら、どんな小国でもまず飲まない。しかも、アテーナイヱの海外領土は、トラキアやアカイネメシス、もしくは、それより更に遠方の黒海周辺の異民族から奪い取った領土だ。新興の海洋国家である以上、通商との兼ね合いから
外敵から奪った領土を無条件で差し出せ、と言われて、あっさりと認めるようなものなら、国が内部崩壊する。
ただし、ラケルデモン人はそれが解っていない。
独自の教育により、自分たちは
その歪み故に、今回の戦争が長期化しているのだ。
「逆に、政治形態の違いと言うのでしたら、むしろ、和平や交渉ではなく、ラケルデモンの急所を衝く作戦はどうですか?」
意外と――いや、意外って程でもないが、身内以外には厳しいところのあるネアルコスが、いつも通りの表情で訊ねてきた。
ふぅむ、海上高速輸送による、戦力の集中投入か……。悪くはない手かもしれないし、その手段は、ミュティレアを押え、船を充分に確保している俺達にも実現可能である。
ただ……。
「ラケルデモンは王制です。マケドニコーバシオもそうですが、中枢を破壊されれば時間稼ぎは――」
ネアルコス自身、言ってて気付いたのか途中で言葉が止まったので、俺が引き継いだ。
「そう、確かにラケルデモンのアクロポリスへと打撃を与えられれば、影響は大きいが、ラケルデモンは面子に掛けてその部隊を国の外へ逃がしはしないだろう。それに――」
確かに、アルゴリダにおいては王太子達の電撃奇襲作戦は成功した。だがラケルデモン本土は、今回の戦争でも他国の軍隊の侵入を許していない。
ラケルデモンは、
だが、アクロポリスだけは、他国と比べても遜色のない……いや、むしろ、無骨ゆえにひたすらに頑強な城壁がある。無理攻めすれば、相当の犠牲が出る。
そして、それだけではない。あの国の王家は、マケドニコーバシオと違い、ひとつではない。常在戦場のラケルデモンにおいては、王の戦死も他国ほどには珍しいものではない。だから、二人の王はアクロポリスと最前線と二つに別れて行動している。
「今は、若干機能不全の起こしている感もあるが、ラケルデモンの王家は二つある。アクロポリスで片方を討てたとして、もう片方が反撃の指揮を取る」
「戦闘、という意味では、おそろしく可愛げのない国だな」
プトレマイオスが、どこか呆れたように呟いたので、ははは、と、俺は軽く笑った。
「では、アーベル、ラケルデモンはどう攻めれば良い?」
王太子が、プトレマイオスの一言で微かに緩んだ空気を引き締めるように、真っ直ぐに切り込んできた。
ごく僅かに場の空気が緊張する。
確かに、際どい質問ではある。だが、だからこそ王太子の意図を察し、少しだけ俺は笑みを口の端に乗せた。
「まず、ラケルデモンへの海上通商を禁止し、次いで、テレスアリアとも協力して穀物価格を吊り上げる」
プトレマイオスが、はあ? と、らしくない怪訝そうな顔をした。
「ラケルデモンは、メタセニアという……テレスアリアほどではないが穀倉地帯を確保している。海上封鎖を行えば、ラケルデモンの友好国であるシケリアからの物資の遮断効果はあるかもしれないが……」
「だからさ。ラケルデモンは商工業を軽視しているため、国内での物資の流通は極めて難がある。他国からも必要なものしか買えない……というか、必要な物資を買うのにも苦労している。そこに、輸出可能な麦の価格が上がればどうなる?」
ラケルデモンと陸続きの同盟国、コンリトスは商業国だ。友好国ではあるが、それだけで国益を無視するのはバカだ。ラケルデモンとしても、財政再建は重要な課題だ。兵站は戦地での収奪を主するとはいえ、戦争は金がかかるものだから。
おそらく、ラケルデモン国内の奴隷から、今まで以上に激しく物資を奪っていくだろう。
「飢饉を起こさせ、奴隷のメタセニア人へと武器を渡し、内乱により疲弊したところで多方面から進行する」
「攻撃を一箇所に集中させないんですか?」
今度訊ねてきたのはネアルコスだったので、顔の正面……っと、居間の俺が正面を向けると、やや左に傾げたような感じになってしまうが、ともかくも顔をそちらに向け。
「ああ、それではダメだ。ラケルデモンでは、二人の王の片方は必ず戦場で指揮を取る。王の元で士気の高い戦士と戦うのは分が悪い。大昔の事とはいえ、アカイネメシスとの戦いにおいては十倍以上の戦力差がありながらも善戦したしな。分散し、弱い敵とだけ戦い消耗させた方が良い。頭をもぎ取るのは、痩せ細らせきった後だ」
なるほど、と、ネアルコスが納得した所で、再び王太子に呼ばれた。
「アーベル」
うん? と、ネアルコスとの話から間を空けずに呼びかけられたことに、首を傾げて応じる。
「マケドニコーバシオも、二人の王が必要か?」
……今日は、中々に答え難い質問が多い。
いや、俺を苛めたいわけじゃないのは解るし、おそらく、こうした質問は俺が加入した当初からいつか訊ねたいと誰もが思っていた内容だ。
これまでは、俺が国を抜けたり、嘘を吐かれる心配から口にしなかっただけ。今なら、答えると確信しているからこそ訊ねている。
左右で色の違う、空と大地の色の瞳の王太子を真っ直ぐに見つめ返し、俺は……ごく僅かな間を挟んで応えた。
「不要だ。マケドニコーバシオは、王と民会の二つで成り立つ国家だ。王が死しても民会が新たな王を選ぶ。ラケルデモンにも民会は存在するが、その機能は限定的だ」
「民会へ頼るのであればそ、結局はアテーナイヱと同じ道を辿るのではないか?」
「いや、王に相応しいか否かの選別は、王族間と民会とで二重に行われる。民衆を騙す詐欺の能力だけでは、身内までは誤魔化せないだろ?」
まあ、それによって、今の現国王と王太子との確執が生まれているので、手放しに賞賛は出来ないが、より優秀な人間が王として選ばれるという機能は悪くないと思っている。もっとも、今後も後継が問題となるようなら、継承の過程に関しては修正していく必要があるのかもしれないが。
王太子は、物足りなさそう、とまではいかないものの、やや考えるふうでいたので、やや込み入った話題で沈黙が間に入るのを嫌ったプトレマイオスが口を開いたその時。
「民会と、王との権力の均衡に関して――」
「失礼致します! テレスアリアからの連絡船が到着いたしました」
伝令が訪ねて来た。
皆で顔を見合わせるが、今話し合っている内容は急ぎではなかったので――逆にテレスアリアとの交渉は、船の行き来に時間も掛かるので早めに返事を考える必要がある――部屋へと入れると、一礼し、伝令は親書を王太子へと渡し、
「テレスアリア民会は、マケドニコーバシオ王をテレスアリアの統治者として戴くことを表明致しました」
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