Polluxー9ー
村の門を越えてもしばらく走り続け、人影が見えなくなる距離にまできてから、ようやく足を止める。
「ハァ、ハァッ……どうしてあの女の人を?」
乱れた息を整えもせずにエレオノーレが訊いて来た。
「お前が言ったんだろ、殺したくないと」
なのにこんな顔しあがって、と、人差し指で自分の目尻を吊り上げ、あのババアの家でエレオノーレがしていたような顔を作る。
しかし、場を和まそうとした俺のジョークはあっさりと流され、正に生真面目ここに極まれりといった顔のエレオノーレに返された。
「あ! うん……。ごめんなさい、ありがとう……」
当てが外れたような、肩透かしを食らったような……そんな感覚で溜息を吐き、しょうがないので俺も真面目に説教してやる。
「関所に行く前にもし同じような事があれば、夜陰に乗じて物だけ盗む。行動方針はこれで良いな?」
「うん。ごめんなさい」
そればっかりだな、と、苦笑いした俺は、くしゃっと――殴ったわけではないけど、撫でたと言うにはあんまりな手付きで、エレオノーレの額と前髪に掛けて手を伸ばした。
エレオノーレは、しょげたようなくすぐったいような、なんだか上手く言い表されない顔をしていた。
「どうした、エレオノーレ?」
呼びかけてやると、エレオノーレは少し難しそうに口をモゴモゴ動かした後、どこか拗ねたように言った。
「今はフルネームで呼ぶんだな」
そういえば、と、あの村で咄嗟に口を吐いて出た言葉を思い出し――。
「ア? ああ、お前の名前長いな。ああいう場面で呼ぶのがめんどくさい」
「そんな理由か」
少し呆れたような顔をされた。だから、俺の方も同じような顔を作って言い返す。
「お前も、短い俺の名前を更に縮めてたろ」
「あれは、親しみをこめたんだ」
あの時は殺気を向けていたくせに、どこか得意そうな顔で話すエレオノーレ。
俺は、フン、と鼻を鳴らして、むず痒くなるような居心地の悪さを誤魔化していた。
息が落ち着いたところで、歩きながら俺は話し始める。
「ひとつ、忠告する」
なに? と、僅かに顔を上げたエレオノーレ。
「今回は、殺さずに切り抜けられる確率が高かったからそうした。しかし、必要な場面だったら、俺は殺すし、殺していた」
戦える人間がほとんどいない村で、得物になりそうな農具も、ほとんどを追撃隊の若衆が持って行っていた。こちらが負傷する確率は低く、あの瞬間だけは、あの村は脅威ではなかった。
しかし、須らく殺さずに上手くやることは不可能だ。
それは、なにも武力を向けるものに対する自衛というだけでなく、多人数に発見されるのを防ぐために見張りを殺す場合もあるし、状況次第では脅しの手段や見せしめとしてだったりもする。理由は様々だが、殺さなければならない場面というものは、必ずある。
「俺のように誰彼構わず殺せ、とまでは言わない。人の死を見過ごせない性質も――良いとは言えないが、まあ、この際置いていく。ただし、殺さなければ切り抜けられない場面で迷うな。対峙した敵に甘さを見せるな。勝つためならなんでもする、出来なかったとしても、そう敵に思わせろ」
いいな? と、有無を言わせぬ瞳で見据える。
エレオノーレはしばし考えているようだったが、この村での一件を反省したのか、最後は素直にうなずいた。
「……はい」
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