Saidー10ー

 このガキを連れ帰れば、俺は、終わる。

 マケドニコーバシオとしては、灰汁あくの強い俺よりも、自力では王位につけないこのガキを推すだろう。つらを見れば分かる。どうしたわけかコイツには、この歳になって未だに主体性という物が無い。マケドニコーバシオは、いや、現国王ではなく、王太子と王の友ヘタイロイの皆は、ラケルデモンの二つの王家の血を引く存在を、一から好きに育てられる。

 俺とどちらを選ぶか、なんて考えるまでも無い。

 王太子も、先生も、王の友ヘタイロイの皆も、仲間だ。大切に、思っている。

 だが、俺達は、本気なんだ。本気でマケドニコーバシオをとり、ヘレネス全土も奪い、アカイネメシスと戦い、世界に覇を称える。そう考えている。

 だから、馴れ合いじゃダメなんだ!


 でも、その主義主張、方針を受け入れれば――俺自身が無用になる。

 皆と出合った日に、はっきりと聞いている。対ラケルデモンのために俺に興味を持ったのだということを。

 腕っ節が強い人間は、王の友ヘタイロイにいくらでもいる。それに、いくら強くてもひとりで倒せる敵の数はたかが知れている。戦術にしたって、俺以上のヤツがごろごろいる。それが王の友ヘタイロイだ。

 隅に追いやられ、無用物として持て余させられることに、俺は耐えられない。


「レオ。俺をここまで呼んだのは、試すためだったのか?」

 レオは、やはり返事をしなかったが、そもそも訊いた俺自身、答えを期待しているわけではなかった。

 いや、でも、それは、レオの言う切り札が、俺にとっての毒となる事を――最初からレオが俺を王位につけるつもりが無く、俺をこのガキの側近や将軍としてラケルデモンの中枢に戻すことのみを意図していたのなら、レオにとっては俺を裏切っているつもりは無かったんだろうが――責めるわけではなく……。そう、どちらかといえば、自分自身への問い掛けという意味を強く含んでいたように思う。


 選択肢は、そう多くない。

 客観的に見て最良だと思うのは、コイツを殺し、なにごともなかったようにミュティレア……いや、プトレマイオスの領地で冬明けを待つ。

 これなら、なにも、変わらない。誰も、なにも知らずにこれまで通りに、王の友ヘタイロイの一員として行動できる。軽装歩兵の遊撃隊を率いるラケルデモンのアーベルであり続けられる。

 無論、手土産無しでの帰還になるので、命令違反の咎はあるだろうが、本来の目的でもあるレスボス島攻略は完遂しているんだし、上手く立ち回れば多少怒られるぐらいで済むだろう。


 逆に、異母弟だけを殺し、その足でレオ達を率いてラケルデモンへと向かうのはどうだろうか?

 俺……というよりは、本来のアギオス本家の名前でどれだけの兵が集まるかが鍵になる。膠着した戦況のおかげで、ラケルデモン国内に残っている兵力は僅かだ。ラケルデモンは、基本的には、二つの王家と中央監督官の三つの組織が相互に監視しあい協力し合うことで釣り合いを取ってきた国家だ。現状に対する反動勢力は、少なくは無いと思うが……。

 マケドニコーバシオで得た知見とはまるで違う、ただの博打だな。

 勝つべくして勝つための作戦ではない。

 流れに乗って得られる勝利も確かにあるが、世界がこれだけ揺れ動いている現状、他国の出方を見極めないと、内乱の動揺を衝かれる恐れがる。勝った所で、国が滅んではむなしいだけだ。

 最低限、マケドニコーバシオに働きかけ、協力を得て、政権奪取後のアテーナイヱ側との白紙和平の裏取引ぐらいはしておく必要がある。

 準備不足だ。


 レオ達を、どこか他国へと逃がす。マケドニコーバシオ以外の国へ――。

 ……いや、無駄だな。

 王太子や王の友ヘタイロイの皆の能力を鑑みれば、早晩、レオやこの異母弟は見つけられるだろう。その際に、俺の立場はより悪くなる。

 他国へ逃がすぐらいなら、生かしてマケドニコーバシオへと連れて行くしかないんだが……。


 こいつを生かすのなら、俺は、もう、誰からも必要とされない。王の友ヘタイロイにおけるラケルデモンのアーベルとしての名さえ、失う。ラケルデモンから来たこのガキの異母兄、それが俺の名に変わる。

 そして、まだ幼い異母弟は、マケドニコーバシオで、新しい戦術や戦略、教育を受け――そして、俺とは違った、ラケルデモンの新しい未来を描くことだろう。

 そう、俺はあくまで過去だ。

 結局は古い形でつくられてしまっている。

 それが、今のラケルデモンを暴走させているのと同じ原動力なのだから……新しい時代には、若く、無垢な人間の方がいいに決まっている。

 そう、だな。

 もし仮に、こいつ等を全て殺し、今日なにも無かったことにしたって、俺は自分自身に嘘をつかなければならなくなる。

 そして、これからの日々には、自分よりも上手くやれる可能性を排除した過去への怯えが付きまとうことになる。俺でなく、異母弟だったらもっと上手くいったんじゃないか、と。

 すぐじゃなくても、結局、いつかそれに押し潰される。

 薄氷を踏むようなギリギリの外交の場面で、クソな戦場の最悪の場面で、そうした脆さが決定的な失敗に繋がる。

 ……崩したくない。王太子と、王の友ヘタイロイの皆と積み上げてきた未来への階段を。

 コイツの存在を知ってしまった以上、昨日までの俺に……戻れるわけが無い。


 ふん、と、溜息にも似た息を短く吐く。

 ……結局、そういうことか。


 どうも、俺は、なにも手に出来ないように出来ているらしい。

 最後には全て失うようにと。

 もう、既に……俺に、足りないのは、力じゃなかった。ラケルデモンの少年隊で調子に乗っていた頃とは、違う。勝った所で、手に入らないものがある。

 いや、兆しはもっと昔からあったんだ。気付くのが、今になっただけで。

 少年隊でも俺の思惑通りに動かないことは少なくなかったし、その後の船の連中、俺を選ばなかった。

 エレオノーレは……、いや、止そう、困った時に、捨ててきた女を頼ろうとするような男に俺はなりたくない。

 ネアルコスが止めてくれた時、思い留まれなかったことを少し後悔した。

 が、少しだけだ。

 あの場所で思い留まる俺なら、それは、もう、俺じゃない。

 たとえ、結末に破滅が待っていたとしても、全力で駆けるのが俺であり……最後に俺に残った矜持だ。なら、背筋を伸ばして、胸張ってやってやろうじゃないか。

 多少なりとも、恩には報いておこう。

 マケドニコーバシオでの日々は、本当に楽しかった。

「コイツのせいで、最早俺は勝つことは出来ないが……。レオお前も負けだ。時代は代わった。必要とされているのは、俺やレオお前ではない」

 俺の言っていることの意味を判じかねたのか、レオがほんの僅かに首を傾げたので――。

 俺は、少しだけ笑ってから付け足した。

「このガキを、マケドニコーバシオへと連れて行く。向こうの教育を受けさせる。このままではどうしようもなさそうだしな。ああ、お前も来い。ただし、邪魔をするな。もう年なんだ、ガキを甘やかすだけのジジイにでもなってろ」

「マケドニコーバシオ?」

 レオが眉を顰めた時、丁度周囲に偵察に出ていた――まあ、きっちり偵察出来たとは思えないが、全員無事に戻ってきた所を見るに、周囲に敵はいないんだろう――連中が戻って来たので、俺は一度話を打ち切って宣言した。

「異論は認めないが、追々説明はしてやる。が、まずは拠点の移動だ。正式に指揮権を貰うぞ。お前は、俺が不測の事態に陥った場合のみ指示を出せ」

「御意」

 目的をはっきりと告げたからか、レオは今度は即座に短く返事をして、自力では出発準備を整えられないガキの方へと向かっていった。



 行軍のための陣形を整え、中央に異母弟とレオを従え陣取り、戦闘音を聞きつける前に俺が準備していた塒へと向かおうと――。

「おい! 柔らかい雪を踏むな! 足跡を辿られるだろ。草、木の根、上手く踏むもの選んで痕跡を消せ、このグズ共が」

 ……まあ、初歩の初歩も出来ない連中に指示を出しながらではあったが、俺は移動を始めた。

 俺の終わりの始まりの旅にしては冴えねえな、とは思ったが、そもそも前回だって神話の男神のように女を連れての逃避行だったわけで、結局どうも俺という人間はそういう風にできているらしかった。


 晴れやか、とは言い切れない、なんだか皮肉に満ちたような、そんな気持ちだった。

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