Naosー6ー
まあ、これ以上は貸しきった宿に移って食堂で討論する方が無難だろう。人の動きの多い港では、どこにどんな耳があるかも分からない。忘れていたが、ラケルデモンの船が少数、ここにも入ったらしいんだしな。
となると、最後の問題は……チビをどうするか、か。
完全に話に置いて行かれているチビを一瞥し、俺はドクシアディスに訊ねた。
「領事館は?」
ドクシアディスには首を横に振られた。
だろうな、戦続きでこんな地方まで知識層を駐屯しておく余裕は無いか。
……いや、もしかして、ラケルデモンの船は、それを押さえに来たのか?
しかし、それだと尚の事、参ったな。アテーナイヱの御用商人にもツテが無いわけだし。っていうか、そんな連中と接触するのは、今は時期が悪い。状況的に、俺等がラケルデモンの回し者だと思われている可能性もあるからな。
なら、いっそ――。
「……ラケルデモンにでも引き渡すか」
ぽつりと呟くと、チビの顔が引き攣った。
「アーベル⁉」
案の定、エレオノーレが大声を上げて詰め寄ってきた。
今日は、いや、今だけは俺の胸倉を掴む手を放置して、理詰めで説明してやる。感情論で話してるわけじゃない。どうしても理解しなかった時のために、握った拳はとっておく。
「じゃあ、どうすんだよ? まさかアテーナイヱに送りつけるわけにもいかんだろ。戦闘海域を、味方じゃない国まで突っ切んのか? 嫌だぞ、俺は。無事に着く可能性の方が低い。仮に無事に着いても、俺達はあの国ではお尋ね者だ」
それに、と、一旦言葉を区切ってからチビを冷めた目で見据える。
「コイツをだしにつかえば、降伏交渉もしやすくなるかもしれない」
「……アテーナイヱを敗北させたいの?」
急にエレオノーレの声の温度が下がった。怒っている。それも強く。
俺がラケルデモンに加担したがっている、と、受け取られたのかもしれない。
……いや、それはある意味正しい、か。俺だって、今のラケルデモンに対して恨みがある。だがしかし、アテーナイヱと比較してどちらが自分にとって大事かと問われれば、間違いなくラケルデモンを選ぶ。俺がラケルデモンと敵対する理由は、支配層に対する不満であり、国そのものを貶めたいわけではない。
多分、この点において俺とエレオノーレは決定的に異なっていると思う。
解り合うことは、決して、無い。
……もし仮に――、この戦争が起こることを知っていたのなら、あの夜に同じ選択が出来たのか、自信がない。
深呼吸ひとつ分の間を空けてから、俺は努めて感情を排した声で、本音は隠したまま建前を告げた。
「違う。が、負けるなら、早めに負けた方が良い」
「なぜ?」
間が開いたからか、訊き返してきたエレオノーレの声も、感情的にはなっていなかった。
ただ、まあ、不満を露骨に顔に出してはいるが。
一瞬だけドクシアディス達に視線を向ける。拠点を巡る戦いをきちんと教訓にしているのか、ドクシアディス達は全て分かっている、という顔で頷いた。
改めてエレオノーレを見る。
分かってはいるけど、認めたくない、というか、気付いているのに気付かない振りをしている顔が目の前にあった。
「籠城戦の最後は、悲惨だからだ。早めに降伏すれば、奴隷にはなるだろうが、死傷者の数は減る。攻城戦の果てに民間人を含めて全滅、なんて事態は避けられるはずだ」
はっきりと口に出してやると、エレオノーレは憑き物が落ちたような顔で、悲しそうに誰にともなく呟いただけだった。
「でも……」
分かっているから、認めたくなかったのかもしれない。エレオノーレは、あの村の略奪を――虐殺を否定し、未然に防いだ。今度は、あの村を襲おうとした連中が、同じことをやられそうになっている。
庇うのか、庇っていいのか、顔にはっきりと迷いが表れていた。
これみよがしに俺は溜息を吐いて見せた。
全員の視線が――咎める調子ではあったが――向けられたのを確認してから、俺は一字一句はっきりと告げてやった。
「……船に馴染んでないんだろ?」
エレオノーレは俺が気付いている事に意外そうな顔をしたが――実際、ドクシアディスに言われなきゃ気付かなかったが――、すぐになにも言わずに視線を逸らした。
エレオノーレからチビに視線を移す。
チビは、誰からも擁護されないのを悟ったのか、いや、分かってはいても見ないふりをしていた現実を今になって直視させられたせいなのか、怯えた目で縋るように視線を周囲にめぐらせている。
ただ、それに応える顔も声もなかった。
「悪いが……、半端者を置いておく気は無い」
表情を変えずに告げると、チビはわんわんと泣き出した。
「ごめんなさい」
かろうじて、その言葉だけが聞き取れる。その台詞だけを繰り返している。嗚咽の隙間に、何度も挟み込まれている。
地に伏して、泣いて……なにに対して謝ってんだか。
ただ、助かりたいだけだろうに。
ここよりも、悪いかもしれない環境に行きたくない。そんな利己的な理由だ。アテーナイヱがどうなるか、なんて全く気が回っていないんだろう。それなりの立場である以上、たとえ幼くても責任の一端は背負わなくてはならないってのに、な。
「ごめんなさぃい」
その台詞が耳障りだった。
弱かった頃の自分を思い起こさせる。俺は、こんなじゃなかった。そう心が否定するが、親戚連中になぶられていた時の記憶が邪魔をする。
生きている以上、考え抜かなければならない。腕っ節で敵わないなら、交渉で、それでも駄目なら、服従しつつ牙を研ぐ。このチビは、ラケルデモンへと渡り、かつて政略結婚を計られていた経験を元に、自国に少しでも有利な条件を出せるように身を挺するべきだ。
かつて自分が出来なかったことを他人に求めている身勝手さは感じている。しかし、味方にならないヤツを飼っていても仕方が無い。俺達は慈善事業をしているわけじゃない。余裕がある状況でもない。チビは子供だから甘く見られてはいるが、その態度からいずれアヱギーナ人の反感を買うだろう。
いつまでもお客さんとして扱うのは、不可能だ。
理詰めで考えた場合の決は出ている。
ただ、俺が手を伸ばすよりも早く、エレオノーレが動いていた。泣いているチビを抱きかかえ、背中をさすりながらあの意志の強い、梃子でも動かない視線で俺を見ている。
ま、結局はそうなる、か。
らしいといえばらしいしな。
「アーベル……」
感情のこもった声で名前を呼ばれたので、盛大に溜息をついて、二人から顔を背ける。
「ドクシアディス、どうだ?」
「なんとも。だけど、人は少なく、仕事は多いんだから、手伝うってんなら……」
戸惑った顔はしていたが、エレオノーレと短くない時間を過ごしているからか、ドクシアディスもどこかこの結末を予測していたのだろう。表情程の迷いは声には出ていなかった。
まあ、若干の不快感――おそらく、アテーナイヱ人全体に対する恨みだな。チビ個人に向けている感情ではなさそうだ。そして、それは他の主だった連中も同じの様子だ――を表しているが、コイツ等にとって恩のあるエレオノーレがねだり、かつ、チビの行動を改めさせれば収まる程度だと判断する。
「やれやれだ」
新たな戦端が開かれてしまったことで、随分と壮大になったチビの家出を諦め顔で俺は総括し、借り上げた宿への移動の指揮を始めた。
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