Saidー4ー

 大都市間を結ぶ街道を作る上で、重要なことが二つある。まずは水源の確保、そして、荷車が通れるだけの平坦で起伏の少ない土地であること。

 だから、大きな街道は、基本的に川の側に作られている。


 夜明けの川の水は、無数の小さな針に刺されるような鋭さがあった。それに構わず顔を洗い、簡単に身支度を済ませ、水を補給した。

 イーナコス川から離れすぎないように注意しつつも、他の旅人や商人に見つからないように、ひっそりと、静かに歩を進める。

 海岸線から離れ、半日も歩いたそこは、既に銀世界だった。

 遍く全てが、薄く白に、覆い尽くされている。

 白い布に全身包まり、風景に溶け込む。足跡を残さないように、雪に埋もれそびれた半枯れの草や新雪を避け、古く凍った場所を選んで一歩を踏み出す。


 軍人が通った痕跡は、未だに発見出来ていない。

 いや、そもそも俺以外の人間の痕跡がほとんど見つからない。この国の人間は、冬眠でもしてるんじゃないだろうか。

 とはいえ、完全に皆無というわけでもなく……。

 風に、笑い声が響いていた。高音域の声は、遠くまで届く。おそらく女か子供だろう。大凡の位置も、人数も分かる。

 発音の癖から察するに、都市部の住人や商人じゃない。どこかの村の連中が、なにか用事があって……もしくは、農閑期である冬に、秋の実りの余りを金に換えにアクロポリスへと行った帰りなんだろう。声が弾んでいる。


 ……そいつ等を殺して金品を奪うことに抵抗は無い。いや、殺さずに、気取られずに価値のある荷物だけを奪うことも難しくは無い。

 隙を見せたヤツが悪い、弱いヤツが悪い、悔しければ奪う側になれ。

 そうした基本的な考え方は、結局、マケドニコーバシオでも大きくは変わらなかった。自分にとって大切ではなく、利用価値も無い人間に対しては、優しくする必要性も意味も感じてはいない。

 が、一度箍が外れれば、歯止めが利かなくなる自分の衝動は理解している。

 明日は旅人を見かけないかもしれないんだし、殺して奪える機会は活かす。んで、明日になればなったで、昨日殺してんだし今更だ、とかでまた殺して奪って、結局、街道に死体の山が出来る。

 帰路を考えれば、騒ぎを起こすわけにはいかない。

 今の俺は一人きりだ。

 暴力を武力と変えるための鞘。王の友ヘタイロイの皆も、王太子も……エレオノーレも、近くに居はしない。

 その上、故郷が近くにある。

 常在戦場、弱肉強食を謳い、俺をこんな風に育て上げた故郷が。

 実力があり血統があり、そして、こんなにも渇望しているにも関わらず、俺を排し、こんな下手な戦争をダラダラと行っている、無能者が治める故国が。

 気付くと、いつの間にか強く奥歯を噛み締めていた。

「……フン」

 だから、短く鼻を鳴らし、少し無理して皮肉の笑みを浮べる。

 旅人は襲わないし、今は襲えない。――国境が近くとも、それを越えてラケルデモンへ行く必要も意味も無い。

 結論は、変わらない。

 ただ、襲い易い獲物を見逃すことを少し惜しいような気がするのと、弱いくせに能天気に仲間内で騒ぐその姿に、どこかイラついているだけ。

 口元を覆う布を引き上げ――冬場の旅で、体温の低下や喉の乾燥を防ぐためだ――、気が変わらない内に、俺は足を速めた。


 しかし、そこまで警戒せずとも、疎らながらも人の気配を感じられたのは旅の最初の二日だけの話で、アクロポリス、そして、比較的大きな町の側を通り過ぎ、山間の道に入ってからは、人影は全く見えなくなった。

 積雪は、脛の半分ほど。

 平野部よりも雪は深いが、まだ然程支障を感じてはいない。

 服が濡れれば凍傷にかかり易くなるが、油を塗って乾かした紙と包帯を、補強したサンダルの上に巻いて、雪に接する足が濡れるのを防いでいる。汗をかかないように、歩幅や歩速にも気をつけているし、予備の衣類や布も準備している。

 他にも、食事を朝昼晩の三度ではなく、滋養のあるニンニクや炒って灰汁を抜いたドングリに干した果物を頻繁に口に入れることで、体温の上昇と栄養の補給を計っており――これま、ラケルデモンよりも冬の厳しいミエザの学園での知識だが、食事後に人の体温は上昇することを利用した、冬場の行軍手段の一つだ――、体力の低下は充分に抑えられている。

 とはいえ、火をまったく熾さずに行動するのは難しく、山脈を探索するための拠点を速めに作っておきたかった。今は、川から離れても雪があるので水に困らないが、雪をそのまま摂取すれば、たちまち体温が下がって凍死してしまう。

 周囲に充分な遮蔽物があり、かつ、包囲され難い地形で、でも、いざ戦いとなった際に剣を充分に触れる広さがある……って、欲張りすぎか。


 森の一部に、二本の木が絡み合った不思議な光景を見つけ――その木々の股下から北に向けて、少しだけ周囲が開けた場所を見つけ、そこを仮の拠点と決める。本当は、こうした、目印になりそうな木は避けるべきかもしれないが、空間の広さと、周囲の林の深さ、川からの距離を総合的に判断し、ここにした。

 とはいえ、やはりそのままで野営地にするわけにもいかず……。雪を払い適当に石を組んで竈を作り、細い紐で周囲の木の枝を下ろし周囲の視界を遮り、簡易的な逆茂木を比較的広さのある木の間に設置し――。

 構築状況が概ね半分を過ぎた頃、不意に、耳が違和感を拾った。

 木や石、自然の音じゃない。

 人の出す音だ。


 これまでとは少し違った鳥や獣の鳴き声がする。

 動きを止め、耳を欹てる。

 ……微かだが間違い無い、これは、金属同士がぶつかる音だ。雪と山、それに木々に反響し、混ざり合い、打ち消し合っている事で少し解り難いが、誰かが戦っている。

 そう判断した時点で、身体は動いていた。


 音源までの正確な距離は分からない。方向も、取りあえずは知っては音の強弱を確認して、向きを修正する事の繰り返しでやっとやっと進んでいる状況だ。

 しかし、暫く進むと整備されていない林……というか、藪に入ってしまった。

 背丈ほどの木に注意を払えば、膝丈の低木に足を取られる。だからといって下ばかり見ていると、今度は小枝が頬を引っ掻こうとする。

 どうも、道そのものは間違ったようだな。

 鎧兜を身につけた兵士が、こんな道を無事に通れたとは思えない。

 まあ、一応、声の方向的には合っているようなので、奇襲には好都合か、と、良い方向に考えることにする。

 小枝で皮膚を切らないように注意しながら、姿勢を低くし、常緑樹の茂みを突き抜ければ……。

 いた、敵だ。

「行け! 敵を休ませるな! ええい、敵は元処刑部隊隊長だ。被害は織り込み済みだ。包囲の空いた場所には、本隊から増援を出せ!」

 目の前の戦闘に気をとられていているのか、こっちの物音には気付いていない。

 そして――。

 向こうは味方に檄を飛ばしているつもりなのかもしれないが、俺にとっては最も欲しい情報を労せずに得ることが出来た。これで、心置きなくコイツ等を斬ることが出来る。

 なんとも喜劇的な状況に俺は少し笑い……すぐさま、殺気と気配を消して更に距離を詰めた。


 剣の鞘を払い、周囲の棘にも似た細い枝の低木を避け――、著しく制限された動きの中、最も近い敵の腰布と脛当の境目、膝の少し上の地肌に刃を沿え……。

「え?」

 気付かれた。肩越しに敵がゆっくりと振り返り始めた。

 その首の動きに合わせるように、撫でるように刃を滑らせ、太股の動脈を断つ。

 振り被っていないので、剣の重量をいかせず、骨を断つことまではできない。

 いや、無理すれば切断出来ないことも無いが、それで刃が伸びたりたわんだりすれば、次の敵への対処が遅れる。

 一瞬、俺を見止めた敵の顔が、戸惑いに歪み、そのまま、自身のざっくりと裂け、血が吹き出した太股へと視線が移り……。

「ふあ!? え? ッツ!」

 よく分からない声を上げながら、発作的に足に手をあて、そのせいで姿勢を崩し、俺の刃圏の外へと転がっていった。

 あまり良い攻撃だったとはいえない。

 剣を傷めないように、動脈を斬り、それに併せて神経を切断して足を動かなくさせることが出来たが、痛みと失血に対する身体の反応は人其々だ。すぐさま意識を失うものも居るが、訓練を受け、日常的に負傷する機会の多い戦士なら、致命傷を受けてもある程度は耐えられる。

 士気と錬度によっては、這って戦うこともあるだろう。

 戦争中、激戦区でもないアルゴリダに精鋭を出す余裕はない、はずだが……。

 コイツ等は、どうする?


 人の倒れる音に気付き、最後尾に備えていた連中が振り返る。が、見慣れない顔の俺を即座に敵とは認識しなかったようで、一拍の間が空き……足元の雪を溶かしていく仲間の血に事態に、動揺が広がった。

 背後を衝かれるとは思っていなかったらしい。

「あっ⁉  あ、わー!」

 無茶苦茶に叫び始めた敵の喉を突くが、周囲の敵には気付かれた。

 後列だけでなく、中列も方向転換し……その動きの中で人垣が割れ、包囲されている連中の風貌がちらっと眼に入った。

 ラケルデモン人なのは間違い無いが、装備が整っているとはお世辞にもいえない。難民に毛が生えたような連中だな。どうも、レ老若の兵の混じった混成軍のようだ。そして、少なくとも前列には、俺の知っている特徴のある男は……。

 ああ、いた、レオだ。

 後列で指揮に徹しているようだな。

 敵の動揺には気付いた様子だったが、まだ俺が来たんだとは理解していない顔をしている。

「ふふん」

 軽く鼻を鳴らし、俺はニンマリと笑ってみせる。


 挟撃に気付いた敵の指揮官も俺に向き直るが、その護衛兵は剣を抜いておらず、また後列の槍兵も槍を掲げたままだったので、俺の方が行動は早かった。

 藪を抜けたので、長剣の間合いを活かし、大振りで左から右に地面と水平に薙ぎ払い、そのまま手首を返し、今度は右から左へと振り抜く。目標であった指揮官は確実に殺したが、それ以外は周囲の六~七人に手傷を負わせたていどだ。まあ、目的が挟撃ではなく、レオとの合流なので、一撃目はこの程度で十分だろ。

 敵の最前列の真後ろまで駆け寄り、次いでとばかりに正面で進路妨害していた奴を思いっ切り蹴飛ばす。

 俺に尻を蹴られてつんのめった兵士は、首を差し出すように腕を地面に衝いき……一拍空けてレオが前進し、手斧でその首を落とした。

 前の俺との戦いで視界の半分と腕を失った影響で、得物を変えたのだろう。

 隻眼で距離感がつかめないから、超接近戦で戦い。間合いは短いものの鎧ごと敵を叩き割れる厚く短い重斧で、一撃必殺を狙っている。

 まあ、理には適っているな。

「ふぅん」

「…………?」

 ただ単に首を落としただけの事に感心したのか、と、訝しむような顔を俺に向けたレオ。いや、当然、そんな当たり前の手際に関して、ふぅんと俺は言ったわけではなく――。


 レオは、少し変わったのかもしれない。

 まとう雰囲気が、最後に別れたあの日とは違っている。


 もっとも、武人としての鉄のような、固く無骨な空気は変わっていないが。

 ……ただ、少しだけ。

 俺の監督官をしていた頃の懐かしい空気を、レオの表情から感じた。

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