夜の始まりー3ー

 部隊の再編と任務の割り振りの問題もあったため、アルゴリダに関する説明は、俺の執務室で簡潔に、とはいかなくなってしまった。そもそも、今回は運良く――と、言えるのか否かはまだ判断しきれないが、ラケルデモン艦隊がミュティレア救援に来なかったため、直接戦うことにはならなかったが、春になればどうなるかは分からない。

 ラケルデモンに関することは、ある程度はミエザの学園にいた頃に話してはいるが、いきなり全てを明かすほどの不用意なことはしていない。だから、ここで少し地理・外交的な説明を付け加えておいた方が良いと判断した。


「アルゴリダは小さな国だ」

 地図を広げ、大陸側の最大のラケルデモン同盟国のコンリトスに人差し指を置き、コリントス地峡をなぞり、ラケルデモンの本国を円で囲う。その中の一点、最も歴史のある港湾都市のひとつであり、近年はアテーナイヱの台頭で寂れつつあるもののその名前だけは未だに人口に膾炙している公共市場都市ナウプリエーを、トントン、と、軽く叩く。

 周囲の幕僚、そして、二人のヘタイロイも眉間に皺を寄せた。そう、この場所は――。

「国境はラケルデモンとのみ接している。知っての通り、大昔には主要都市のひとつだったし、発展もしていたんだが、ラケルデモンに台頭される形で国土の縮小が進んだ。交易にしても、コンリトスやアヱギーナに商売圏を奪われ、現在は経済規模も小さく小規模な農業国となっている」

「国政はどうなっているんですか?」

 俺の出立に反対してはいるものの、この会議が他国の情勢に関する情報の共有――つまり、外交戦の一種と判断しているからか、冷静にネアルコスが質問してきた。

「王制と民主制の並立。そうい意味では、マケドニコーバシオと近い部分はあるな。ただ、それには裏がある。アルゴリダは、海岸線に面した国家だが、周囲――陸側で国境を接しているのはラケルデモンだけだ」

「今までよく攻められませんでしたね。……そんなに軍隊が強いんですか?」

 幕僚の一人が先走って口を開いたので、そちらに視線を向け――。

「いや……逆だ」

「逆?」

 周囲の何人かが首を傾げ、何人かは納得したように頷いている。

「兵は弱卒で数も少なく、得られる奴隷は多くない。特産品も無く、平地ではあるが農地も広くは無い。攻めても得られる物が無いんだ。なら、台所を同じにする意味は無いだろ」

 集まった人間の様子を見るに、わざわざ付け加えるまでもないことかもしれないが、俺は一応噛み砕いて説明し――。

 地図から指を離し、軽く肩を竦めてさり気なく周囲の表情を観察してみた。

「まあ、なので、ラケルデモン側の傀儡である王と、弱い民主制による閉じた国家と言えるな。他国との関係は極めて薄く、アカイネメシスがヘレネスに侵攻してきた時も、中立を宣言して軍を出さなかった。ので、今じゃほとんど相手にされていない。そもそも、陸路で向かうには、あのラケルデモン経由でしか行けないからな。交易上の利点が無い」


 まあ、ほとんどの幕僚は真面目そうに……、あるいは腕を組んで難しい表情で、口元を手で隠し、視線は真っ直ぐに地図へと落とし、俺の話を訊いている様子だった。

 印象としては、まあ、良くも悪くも無いって所か。

 正直な所、レオの話が出ない限りは、知る必要性もあまりない場所だったので――ヘレネスの統一を考えた場合でも、ラケルデモンを落とせばおまけで付いてくる、もしくは、無視しても痛くも痒くも無い小国だ――、興味を持たれないんじゃないかとも考えていたが。

 いや、……そうだな。俺達は、ミエザの学園でことの重要性を、はっきりと認識している。無駄な情報なんてひとつもない。


「なら、船を?」

 発言したのは、ドクシアディス達と海上の哨戒に当たらせていた俺の軍団の投石兵――もっとも、本格的な冬に入った今は、港で船舶の管理の補助や、船の修繕の警備をさせているが――だった。

「ああ、戦闘海域を避け、裏から回り込む形でなら行けるだろう。公共市場都市も、無駄にでかいのがひとつあるからな、他国の船でも入りやすい。もっとも、中継のための港なので、内陸に入り込むのは多少骨が折れるがな」

 ミュティレアから公共市場都市ナウプリエーに向かうには、大きく別けて三つの手段がある。最短なのが、北上してマケドニコーバシオの勢力圏に入り、海岸線をひたすら南下する航路だ。ただし、中継地にはアテーナイヱの勢力圏も多く、テレスアリア以南は戦闘海域だ。

 次に、最短の航路と同じかやや遅い程度の経路として、このまま島嶼部をひたすら南下し、クレーテー、メロス、そして公共市場都市ナウプリエーへと入港する海路だが、これは検討するに値しない。クレーテーもメロスも中立の立場であるはずだが、メロスをアテーナイヱが攻撃したという、不確かな情報もある。それに、いずれにしてもラケルデモンとアテーナイヱの双方に近く、重要な海域である上、冬で荒れたエーゲ海を、退避できる海岸線も無く突き進むことになる。神話の再来のように、運良く南の旧古代王国の方へと流されるかもしれないが、高確率で難破して沈没だろう。

 だから、最も遠回りとなるが、テレスアリアで一旦船を降り、その後、陸路でイオニア海へと抜け……まあ、途中からはやはりラケルデモンの近海を通ることになってしまうが、上陸せずに強行軍で短い日数でアルゴリダへと抜けることは出来る……と、思う。というか、それ以外に入国できる手段も無いだろう。


「なぜ、そのレオという人物はそこに逃げ込んだのでしょうか?」

 口にしたのはネアルコスの軍団の幹部だが、口論となることを避けるのために、ネアルコスの代わりとして訊ねたのは明白だった。

 周囲に詰めていた仲間の微かな緊張が、はっきりと伝わってきた。

 ネアルコスは、表面上、自分方の質問では無いという態度ではあるが、罠以外の納得のいく理由を示して欲しいとその顔に書いてある。


 軽く苦笑いが浮かんでしまった。

 中々に、難しい。嫌っているとか、そういうわけじゃなく、方針に関する部分の仲違いなので、結局は事が済むまではいつも通りというわけにもいかないし。


「いくつか可能性はあるが……。船で逃げようとして、不慣れなやつしか集められず、アルゴリダに漂着した。陸路でラケルデモンの同盟国のコンリトスを目指す過程で、不測の事態に陥り、急遽守りの薄いその国に避難した、もしくは、ヤツが持って逃げてるモノが、ラケルデモンではなくアルゴリダに保管されていたのか、だ」

 最後のは可能性としては一番低いが、個人的には一番納得がいく理由でもある。

 まず、アイツも正式な軍人ではあるので、警備に関する情報は充分に集められたはずだ。それなら、陸路での脱出に失敗するとは考え難い。

 船を使った逃走にしても、確かにラケルデモンは船に疎い民族だが、逆にそれを熟知している老将が、無謀な賭けに出るとは思えない。

 多分、アルゴリダで騒ぎを起こしたが、ラケルデモン側の動きの早さに出国のための関所を押さえ込まれてるってのが実情ではないかと、俺は読んでいる。

「他国に、どんな切り札を保管していたんですか? 外交文章? それとも同盟の証の品ですか?」

 やや皮肉っぽい口調ではあるが、ネアルコスは焦れてきたというよりは、俺の説明への反論なので、自身の口から出したんだと思う。

 そう、アカイネメシスと通じていたという事実だけなら、わざわざ物証を取りに行かなくても、商人を多く抱えているこちらとしては、噂を流すだけで事足りる。無いことを証明するのは難しいし、実際問題として、アカイネメシスから金と木材の流入があるのなら、周辺の商業都市の動向からも裏付けは可能だからだ。

「なんらかの作戦で、船で移送することになった重要人物が、中継港として選んだナウプリエーで誘拐されたのかもしれないぞ?」

 反駁を試みるが、やはり説得力はあまりなさそうだった。


 まあ、確かに、レオが伝えてきた切り札というのは口実で、つまるところ、俺はアイツ再び会って……決着をつけたいだけだと思う。俺にとってのラケルデモンがなんであるかを。

 この、母親母国と繋がれた子供の臍の緒のような依存とも似た執着を、未練を、断ち切るためにも。


 少しだけ、議論がだれて来たところで、不意にラオメドンが口を開いた。

「……我々が、アルゴリダを奪取してはどうだろう? 同盟国が無く、表面上、独立を保っているのなら、我々が獲っても問題ないのではないか? 位置的に、ラケルデモンに対して突きつける刃になるのではないか?」

 基本的には通訳の時以外は、無口でとおしていたので、かなり意外に感じはしたが、それだけ現状を問題視しているのかもしれない。

 いや、意外だったのは喋ったことだけではなく、その意見に関しても、だが。

「判断が……非常に難しいな」

 地理的に言えば、ラケルデモンの押さえとして悪くない位置にある。が……。

「どの程度、ラケルデモンが脅威を感じるかだが……。基本的に、ラケルデモンは篭城戦を想定していない。侵略軍に対しては、戦って追い払う以外の対応を考えていないからだ。だから、攻めてこないなら、これまでの政策を継続し、無視するというのも考えられなくも無いが……。ただ、逆に、煩いなら殺して黙らせると判断する可能性も高い。どの道、あの国はあんまり経済概念が無いからな」

 現在、直接的にラケルデモンと対峙することは想定していない。そもそも、戦略的に見て、今、ラケルデモンと戦ったところで、損害が大き過ぎる。

 次の目標を、マケドニコーバシオの掌握とするのか、それともレスボス島を拠点として他国を攻めるのか、外交による地盤固めをするのか、そういった話は、春に王太子や国外追放になるヘタイロイが集った上で決定しなくてはならない話であり、ここで俺達が暴走するわけには行かなかった。

「つまり――」

「見送りだ。ラケルデモンが、アルゴリダを放置するという確証が無い限りな」

 ラオメドンと、それに同調……というか、部隊の性質として、どうしてもほかよりも好戦的な俺の軍団からの会議への参加者が、露骨に肩を落として見せた。

 いや、ラオメドンがどの程度本気でその意見を口にしていたのかは不明だが、俺が向かうか、向かわせないかの二択しか示されていない状況においては、有意義な第三の見解ではあった。批判が、俺かネアルコスかに――まあ、大多数は俺への批判ではあるが――集中していない。


「それに、駐留させる軍隊の規模にも依るが、補給の面でも、海上輸送を継続して行う必要がある以上、こっちの財政をかなり圧迫するだろうしな。つか、そもそもがこの島からは直通の航路も無いだろ。エーゲ海がアテーナイヱとラケルデモンの戦争で荒れている以上、大規模な軍を送れば片道だけになる危険が高い」

 ラオメドンの見解以降、再び降りてきた沈黙に、だから俺独りで向かうんだ、と暗に示してみるが――。

「……単独でも、危険極まりないですけどね。おまけに、どれだけの価値があるのかも未知数ですし」

 至極最もなネアルコスの意見に、ちらほらと溜息を吐く音が漏れ聞こえていた。

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