Saidー2ー

 アルゴリダは小さく、そして、閉鎖的な国だ。中立を表明し、あらゆる戦争に加担せずに国を保っている。

 古くは良港を有する商業国だったが、ヘレネスに侵攻したアカイネメシス軍とさえも戦わず、その姿勢を他の都市国家から非難された。その際に、懲罰の意味も込めてえ征伐軍を編成するという話もあることにはあったらしいが、軍資金と得られる戦利品が釣り合わなかったことから頓挫し、その代わりに都市国家間の話し合いの場から弾き出され――。いつしか、ラケルデモンの傀儡となり、ヘレネスの大半から忘れ去られた古い都市国家と成り果てた。

 今や、唯一、公共市場都市ナウプリエーの過去の繁栄が、いさおしを讃える歌のなかで人口に膾炙しているだけ。

 しかし国土そのものは、山がちなヘレネスにしては珍しく平野部の多い国で、公共市場都市ナウプリエーの南東にある小高い丘にアクロポリスが建造されている。

 規模は小さいが、最も基本的で古典的な都市国家の造りとなっている。


 交易区画エンプリオの中にある、比較的大きな、しかし町一番の人気店ではない飯屋で食事をしながら、頬杖ついて往来の人波を見るともなく見つめる。

 船で旅していたときの経験上、人気のある店や、安いだけの店よりも、程々の値段で程々の広さ、人の入りもまあまあの店の方が、都市の雰囲気がつかめるからだが……。

 しかし、値段の割りに不味い飯だな。

 無醗酵なのは構わないが、それを差し引いてもどこか単調な味のパン。香草は多いが味に深みの無い、キノコと魚介のスープ。どこででも売っているような干し無花果が二つ。

 適当に千切ったパンでスープを掬いながら口に運び、周囲の声に耳を傾ける。

 が、意味のある会話は聞こえてこない。


「羊毛の外套の安いものがあれば……」

「無駄無駄。内陸になら有るかもしれないが、運んで商売するような連中がいないんだから……」

 とは、隣のテーブルから。

 カップを受け取って飲み物だけで団を取っている連中の話は――。

「この町の人間は、戦争が怖くて、漁にさえ出ないのか? おかげで、近海で取った魚も売れるから良いが」

「いやぁ、元からだよ。売れるったって安く買い叩かれてるだろ? 元から、自分でなにかする気がない連中なんだ」


 ふぅ、と、鼻から溜息を逃がして、通りの人波に注意を戻す。

 冬という季節のせいもあるんだろうが、シシュラ――山羊の毛を厚く織った一枚布の外套――に包まり、身を縮めて早足で歩くアルゴリダ人はどこか陰気で、いじけて見えた。

 エレオノーレもなんだかんだ言って未だに陰気ではあるが、あいつのは、どこか前のめりに俯いて倒れこむような陰気さであって、ここの連中はその逆、後ろ向きに身体を投げ出して、諦めきっているような印象を受けた。

 だがしかし、その理由も、戦禍に怯えているってことではなさそうで――。

 いや、それどころか、大部分のアルゴリダ市民にとって、この戦乱も対岸の火事で、自分達にまで危害が及ぶとは夢にも思って居なさそうだった。

 気の抜けた兵士に、人の少ない鍛冶屋。やる気の無い商人に、くたびれ果てたような盛りを過ぎ、の他の確か動かない奴隷。止めに、傭兵や市民軍の募集も行われてはいない市政。

 軍事一辺倒のラケルデモンもどうかと思うが、戦闘地域付近にも関わらず、ここまで軍事を蔑ろにするのもどうなんだろうな?

 まあ、そもそもが、一応は独立国として振舞っているものの、その陰で支配されているのにも気付いていない――気付くつもりもない連中か。

 傀儡政権であることは、隣国のラケルデモンでは子供でも知っていることなのに、ここでは誰も何も疑問に思わず、知ろうとさえしていない。


 アルゴリダ人を見ていると、なんだか、苛々する。

 所詮他人なのに、どうしてそう思うのかは、分からないが。


 残った食事を手早く片付け、店を出ようとすると、入り口の所で席の案内をしているヤツと目が合った。

 ……と、いうか、その店員から不躾な視線を感じる。

 目が合ったってのに、逸らしもしあがらねえし。

「どうした?」

 先払いだったので、改めて金品を要求されるいわれも無いが、そのまま放置するのも後味が悪いので、詰め寄って問い掛けてみる。

「あ、いえ……その、外国のかたなんだなって」

 店員はようやくハッとした顔になり、決まりが悪そうに引き攣った愛想笑いで言い訳を口にした。指先では、琥珀色の小さな硬貨を玩んだままで。


 ああ、さっき俺が渡したエレクトラム貨が珍しいの、か?

 ……ん、なぜだ?

 古い記憶だが、俺がラケルデモンのアクロポリスにいた頃には普通に目にしていたし、アルゴリダでも流通していないはずはないんだが……。

「悪銭じゃないぞ?」

 強請ゆするつもりなら、それ相応の対応を取るぞ、と、睨みつけると店員の拗ねたような態度が一瞬で消え、怯えたように縮こまってしまった。

「あ、いえ、そうではなく……」

 言い掛かりをつけたいってわけじゃないのか?

 しかし――。

「うん? 戦争退避で、外国船は少なくないんだろ?」

 一応とはいえ外に開かれた港なんだから、外国人なんて珍しくもなんとも無いんじゃないだろうか? 役人も、そんな話をしていたんだし。

 この店員は、服装からは無産階級の青年のように見え、新しく買われた奴隷って感じではないんだがな。いや、そもそも、こんな貧乏国に新しく連れてこられる奴隷がいるのかも疑問だが。

「それ自体が、ここ最近のことですし……その、お客さんは、商人って雰囲気でもなかったので。むしろどこか……」

 ハン。

 成程な。

 自分では、そこまで違和感があるとは思っていなかったんだが、近隣のラケルデモン人でさえ、ここでは目立ってしまう、か。

 夜陰に乗じて交易区画エンポリウムを抜けるつもりだったんだが、この格好のままではすぐに好奇の視線にさらされ、大騒ぎをされてしまうな。かといって、服を買いなおす程度なら出来るが、なにがあるか分からない以上、得物は手放せないし……。

「あの……」

 ふむ、と、考え込んだ時、目の前の店員から控えめに声を掛けられ――。

 ふと、あることを思いついた。

 とはいえ、いつまでもこうしていたら、ただでさえ集めている人目が更に増えることは受け合いなので、適当に会話を終わらせ、俺は背中を向けた。

「理由は分かった。が、あんまり人をジロジロ見るもんじゃない」

「あ、はい」

 なんてしょげた返事は聞こえてきたが、結局、通りに出るまで背中からの視線は消えなかった。


 大通りを適当にぶらつきながら、改めて考えてみる。

 俺でさえこれだけ注目されるなら、腕を失い、顔に片目を失いほどの傷跡のあるレオは、その特徴も相まってより目立つはずだ。

 もしレオが海路でここに来たのなら、かならずその痕跡が残っているはずだ。もし、陸路での入国だったとしても、あの地位の人間がまさか単身で潜んでいるとは思えないので、それなりに大きな日用品の取り引きがあったはずだ。

 いずれの場合でも、アルゴリダ国内深くへ侵入せずとも、人の動きが多いこの場所なら、なんらかの噂を聞きつけることは簡単ではないんだろうか?

 元々、この国に居るという情報以外はなにも手掛かりが無いんだし――元々は、国の外周を一周するのに十日も掛からないという大して広い国でもないんだし、港を抜ける際に詳細な地図も奪い、レオの思考を読んで潜伏しやすい場所を虱潰しに探す予定だった――、エンポリウムから市街地へと抜けやすい場所を探りがてら調査を行えば時間の無駄にもならないだろう。

 案外、あっけなく再会出来るかもな、なんて楽天的に考えながら、気の向くままに人での多い方へと足を運ぶが――……。


 しかし、あちこちで議論する市民連中の会話を盗み聞きしても、手がかりとなるような情報はまったく得られず、ぶち当たったのは、不可思議な現実だった。

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