Menkalinanー3ー

「待て! なにをしてるんだ?」

 エレオノーレの声は、誰の耳にも届いていないようで、足を止める兵士は一人もいなかった。

 一瞬、俺を見たエレオノーレは……。多分、元々俺が人を殺して物を奪う生き方をしていたのを思い出したのか、すぐに顔を背けて一番近くにいたチビの肩をつかんで叫んだ。

「イオ、止めよう!」

「えっと……? お姉さま? あ、奴隷が必要ですか? でしたら、こんな狩ったばかりで教育の済んでいないのではなく、きちんとしたモノを帰国後にお渡ししますけど? あ、もしかして、好みのがおりましたか?」

 チビが露骨に困った顔をしてキルクスをチラチラ見ながら言った。

 エレオノーレは、チビの視線につられたようにキルクスの方も見るが、キルクスは、あのいつも通りの政治屋の微笑を浮べているだけで、今は利用価値の無いエレオノーレを相手にする気はなさそうだった。

「……ドクシアディスさん?」

 二人から離れ、アヱギーナ人でもあるドクシアディスにすがるような目を向けたエレオノーレ。

 困惑したドクシアディスが、コイツはなにを言ってるんだ? という目を俺に向けてきたので、俺は肩を竦めてみせた。思っている事を言ってやれ、と。

 ごく小さく溜息をついたドクシアディスが、一言で会話を終わらせた。

「普通の事だ」

 ぐっ、と、唇を強くかみ締めたエレオノーレは、最後になってようやく俺を呼んだ。

「アーベル!」

 ふ――、と、長い溜息を吐き、戦争に加担すると言い出したあの日から、言い続け……結局は現実を目の当たりにするまで理解しなかったヱレオノーレに、バカにするような目を向ける。

「なにも考えていなかったのか?」

「え?」

「敗者は狩り立てられ、奴隷にされる。それが戦争だ。お前は、それを理解してアテーナイヱに加担したのではないか?」

「違う! ただ、私は、蹂躙されようとしている国を見過ごせなくて……」

 必死で声を振り絞るエレオノーレ。その表情から、おそらく、あのキルクスたちを助けた夜に俺が念を押した台詞を思い返しているんだろうということが分かった。

 エレオノーレが膝を突く。

 村の中から悲鳴が、またひとつ上がった。


「甘いよ、お前は」

 声色を変えずに俺は続ける。

「前に言っただろ。戦争に善悪は無い。ただ、勝者と敗者があるだけだ。そして俺は、負けるつもりはない。なると、解ってただろ」

「この、暴力を、止めてくれ」

 つっかえながら、……そう、泣く前のえずくような息遣いで、エレオノーレは声を絞り出した。

 だが、お前自身で決めたことだろう? と、俺はその懇願を無視した。

 エレオノーレが、薄く目を閉じ、唇を歪めている。どうせ泣くんだろ? と、バカにした目を向ければ、エレオノーレは拳を強く握り、もう一度俺に陳情してきた。

「アーベルなら、止められるんだろう?」

 ……相当に無理はするだろうが、出来なくはない。が、俺はそれをしたくない。今後、俺達――俺とエレオノーレの二人――が不利になるから。

「これは、戦争だ。村ひとつの問題じゃない。この村を救っても、他所では同じことがされている。そして、少し黙っているだけでお前は英雄だ」

「そんなものにならなくていい。報酬もいらない」

 自分自身が蒔いた種、場合によっては自分でこの事態を刈り取ると覚悟を決めたのか、声の震えを――無理して止めたエレオノーレ。

 一呼吸の間の沈黙を挟めば、エレオノーレは抜刀した。

「……どうしても、か?」

 しかしこの時点でも、俺は、正直、気が進まなかった。

 これは、俺がエレオノーレと共に逃げたあの時とは違う事態だ。俺達が盗らなくても、他の誰かがこの村から奪う。誰も手をつけなかったとしたら、賠償金として国家に搾り取られる。

 まともな手段で救える人間が、ここにいるとは思えなかったからだ。

「ああ、どうしても、だ」

 エレオノーレは指が白むほど強く剣を握って、強い声で――血を吐くように、そう告げた。


 薄く目を閉じ、一呼吸で再び目を開ける。

 鋭く、目の前の全てを睨みつける。


 ――ッチ。

 俺は、アヱギーナに肩入れする気もないし、亡国と共倒れなんてガラでもない。同情をするような優しさも持ち合わせてはいない。

 しかし……。

 クソ、もう……予定は充分すぎるぐらい狂い始めている。なら、『子羊を盗んで絞首刑になるより、親羊を盗んで絞首刑なったほうがまし』だ。

 俺は背中の剣を抜き、高く掲げて宣言した。

「聞け! アテーナイヱ兵よ! 我はこの戦争に義を持って参加したアーベル・アギオスだ」

 俺の殺意をこめた叫び、そして、これまで一緒に戦っていたからこそ実感しているであろう残忍さに賭け、堂々と宣言した。

「戦利品は指揮官の正当な権利であり、この村は俺が頂く。不満があるものは剣を取り前へ出よ!」

 ぶっ殺す、と、目で脅せは、兵達は完全に萎縮し、不満げな様子でとぼとぼとキルクスの元に再び集まり始めた。

 分かってはいたが、俺とエレオノーレとは距離を置いて、ドクシアディス達の勢力、キルクスの勢力がある。

 兵士達の足が止まった時、露骨な溜息が二つ、聞こえてきた。多分、キルクスとドクシアディスだ。

 甘い男だ、とでも思われたかもな。

 クソ、今後、大幅なマイナスになる評価だ。

「ありがとう」

 膝をついたまま、顔だけを上げて上目遣いに俺を見るエレオノーレ。

 その額に自分の額をぶつけ――。

「バーカ!」

 容赦のない頭突きの直後に、思いっきり俺は叫んだ。

「二度と半端な義侠心で戦争に首突っ込むな。無知は罪だ。自身の行いを悔いろ」

 次いで、ぐしゃぐしゃと全く加減せず、目を白黒させているエレオノーレの頭を撫でるとも押さえつけるとでもいえるような、身長が縮むんじゃないかってぐらいの力で、掻き混ぜる。


 さて、ここからどう話を落としたものか……。

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