夜の始まりー3ー
「お待ちを」
指揮官に呼び止められ、足を止める。振り返ると、馬を下りた指揮官が兜を脱ぎ、俺の方へと近付いてきた。
並んで分かったが、背が高いな。これまでは馬のせいではっきりとは分からなかったが、俺よりも若干相手の方が背が高い。髪は、キルクス以上の癖毛の縮毛だな。戦う際に目に入らないように親指ぐらいの長さで切りそろえられているが、兜で押し付けられていたっていうのに、あちこち撥ねている。あ、いや、違うな。他の兵士なんかも見るが、どうもマケドニコーバシオでは、こうした髪質の方が多いみたいだ。逆に、俺のようなラケルデモンに多い直毛の人間が、護衛の兵士にはほとんどいない。
「王太子は、実は、先程お話した上流の村の方へと視察に出ているようで……」
俺に槍を貸した兵士が、しゅんとした様子で指揮官の後ろに並んでいる。
「いつだ?」
「二日前。どうも、じっと待つのが……」
渋い顔とまでは言えないが、良くは思っていないような表情だ。
成程、中々困った王太子らしい。
しかし、こちらから連絡を送っても数日は待機、か。正直、あまり嬉しくはないな。これ以上、俺がなんらかの業務に口を出すのも良くないだろう。お互いのために。
……王太子とは顔を合わせずに、今日明日のうちに抜けるか? 別に、引継ぎに必ずしも俺が必要と言うわけではない。
そんな考えを見抜かれたわけじゃないと思うが、指揮官は、あくまでもふと思い出したような調子で、町の衛兵に訊ねた。
「他の兵は?」
「山越えの演習ということで、王太子と一緒に――」
「そうか」
指揮官は、俺の方へと顔を戻した。
「実は、先程お話した近くの拠点の兵士が、町の建設の手伝いに来ていたのだ。この辺りは、丁度平野部になっているので、模擬戦の予定も」
模擬戦、か。
指揮官から、周囲の兵士へと視線を移す。が、すぐに怯えたように、縮こまられてしまった。
……睨んだつもりは無かったんだがな。
苦笑いの後、顔の前で手を振る。
そうだな。初めて見る装備で、どう戦うのかを把握するのは悪くない。数日の我慢も、まあ、正当な代償だ。
少しなら致し方ない、か。
戦いと聞いて胸が弾んでいるが、それを態度に表さないように注意しながら再び指揮官に向き直る。
軽く肩を竦めて見せ――。
「それで、俺はどこに寝泊りすれば良いんだ?」
と、仮宿について訊ねると、逆に指揮官はちょっと首を傾げ――周囲の幹部の様子を窺ってから訊き返してきた。
「これまではどうしていたのだ?」
「宿の一番良い部屋が執務室兼私室だ。船もまあ、多少広い部屋を使っていた」
指揮官は、再び黙ってしまった。
住居の割り振りなんかは、完全にこっち任せにするつもりだったのか? ……いや、権限がないだけか。多分、王太子による計画都市として建造が始まったのだと思うし、細かな割り振りは交渉で――って、その交渉を行う相手がいないのか……。
まあ、厳冬期も過ぎたし、今年は暖冬なので野宿でも別に構わんといえばそうなんだが、俺以外には堪えるだろうな。
幹部以外は、先に移動していた連中に混ぜちまうか。
幹部連中は、船内法の都市法への改定や、入居に伴う一時金の交渉なんかで、しばらくはアゴラ近くの――建設中ではあるが、屋根と支柱は完成しているようだ――円堂にでも詰めさせとくか。
「アゴラ周辺の建物は、基本――あーっと、
其々の建物の機能について、一応確認を取ってみるが、その質問に関しても曖昧な答えが返ってきた。
「ああ、おそらく」
「おそらく?」
「設計そのものは、亡命した南部諸国の建築士が担当している」
つい、口元に右手を当ててしまった。
……いや、まあ、こちらの感情を悟られても困る場面ではないので、構わないと言えばそうなんだが。
「現在のここの責任者は」
周囲のメケドニコーバシオ兵の視線は、指揮官へと注がれている。が、当の指揮官は、表情こそ平静を保っているものの、名乗り出ることは無かった。
代理、いや、本当に留守番程度なのかもしれない。
「全部、王太子待ち、ということかね」
こちらを試すつもりなのか、それとも、非常時の対応から指揮系統や内部のわだかまりについてさぐろうというのか。
「すまない」
流石に、呼んでおいて準備が出来ていないという不手際を恥じているのか、指揮官は口調を改めて頭を下げた。
短い付き合いでは有るが、コイツは、あまり裏が無さそうだ。
いや、扱いやすいって意味じゃない。実直さだけが取り得とも思えないが、奸智にたけるという傾向ではないってことだ。謀よりも、バランスを取った交渉や戦略を出すように思える。なにかが突出していないが、一通りのことをこなすタイプだ。
「まあ、出来るところから始めちまおう。文句があれば、都度、指示を出してくれ」
顎でしゃくって、幹部を円堂へと向かわせる。
内装がどこまで出来ているかは分からないが、一応、円堂が公文書館と常駐の評議員――そうか、自治都市になる以上、班長と言う肩書きも改めないといけないか――の会議室になるはずだ。
その後、キルクスを軽く一瞥すると、キルクスは正確にこちらの意図を読んだようで、ファニスとドクシアディスとなにか話し、ファニスが先頭になって後ろの連中を連れて住宅地の方へと移動し始めた。
人の動きがひと段落したのを見計らって、改めて指揮官に向き直る。
「アンタ、貴族か?」
多分、当人に自覚は薄いんだろうが、口調の端々にそれが現れている。騎乗出来ることから考えるに、将軍の家系なのかもしれない。騎兵になるには、かなりの金と長い時間の訓練が要る。
「ええ。あ! 申し遅れたが、わたしはプトレマイオスと言う」
差し出された右手を取る。
何度も皮が剥け、固くでこぼこした戦士の手だった。
かなり、出来るな。それに――。
「俺はアーベルだ」
普段使っているのは、剣じゃないな。まめの位置が違う。この国では、騎兵も槍で戦うのが本来の姿、か。
……実力を隠し、経済的な結びつきを強め、隙を見逃さず迅速に行動し、こちらの痛点――陸に残してきた連中――を取り込み、利益と圧力によって支配する。
それも、圧力と言っても、俺のような、目に見える恐怖で統制するのではなく、悟られずに支配に組み込む手法だ。
文化的に遅れが目立つ北の蛮族まがいの連中という見方に囚われ、マケドニコーバシオを侮っていたわけじゃない。と、思う。だが、俺もまだまだ甘かったんだろうな。
負けを認めるのが悔しくないわけじゃない。だが、俺は今までだってそこから這い上がってきた。
失敗は理解した、敵の出方に関する知見も増えた。
「「よろしく」」
声は揃えた。が、俺がその台詞を向けたのは目の前の指揮官じゃない。
俺自身の、新しい戦いの始まりに対する宣戦布告だ。
次はもっと上手くやってやる!
奥歯を噛み締める、が、好敵手になれそうな相手が――船の連中と違い、同じような視野と力量を持った相手が――目の前にいるので、唇は綻んでしまっていた。
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