Alphekka Meridianaー35ー
違和感は、徐々に確かなものになりつつあった。
伝令が包囲の開始を告げてから、充分な時間は経った。……はずなのに、未だに敵の最左翼は包囲されてはいない。ラケルデモン軍はティーバ軍の厚みに徐々に損害が拡大している。
おそらく、最前列を最も腕の立つ人間で固めたのだろう。
その選択は間違いではない、が、一人が倒れ後ろからその戦列の隙間を埋めた場合、技量の不均衡が生じ戦列の中にいくつかの弱い部分ができる。無論、それを解決するために後方で再編と均しを行い、密集陣を維持しているが、十二列あったラケルデモン本隊の戦列は、現在およそ九列程度まで目減りしている。
もっとも、ティーバ軍の損害はそれ以上で、既に第九列までが失われ残りは三分の二程度となっている。
重装歩兵は機動力が劣る。戦いが始まってしまえば、撤退が難しい。また前線で戦う限りにおいては視野は著しく狭まってしまう。劣勢を感じてはいるが、殺さなければ殺されるという理屈でただただ目の前に槍を突き出し、戦争の高揚感から躁状態で戦線を維持してる、というところではないかと思うのだが……。
この場所からは背伸びしたところで回り込もうと旋回行動に入った小方陣の動きまでは把握できないが……ああ、もしかしたら開戦の際の敵騎兵の残存部隊によって阻まれているのかもしれない。
レオへと視線を向ける。
石像のように動かない表情をしてはいるが、元とはいえ師弟でもあるので内心、静観を不満に思っていることだけは読み取れた。口にしない理由は、指揮官が俺である以上、軍団に余計な混乱を招かないようにという鉄則と、単純に兵の投入時期を見計らっているからだろう。
……俺から口にするべきか?
元々の戦力の差は決定的ではなかった。
しかし、現時点においては遊兵の数には著しい差が生じている。交戦中の戦力は、敵が全戦力の三分の一近くであるのに対し、こちらは五分の一から六分の一程度。陣列の厚みの差がここに来て響き始めたようだな。
ほぅ、と、溜息をつく。
感嘆したわけじゃないが、レオが片眉を上げたので苦笑いで首を横に振り――表情を整えてから「軽装歩兵は集合せよ」と、命じた。
「動くのですか?」
「包囲がいつまでも完成しないんだ、動くしかないだろ?」
言外にラケルデモンの凋落振りを嘲いながら肩を竦めて訊き返すが、それにはレオは返事をせず――代わりに、目だけを右に向けた。量産品の鉄兜を被っているので、さっきと同じヤツなのかは定かではなかったが、ラケルデモンからの伝令のようだ。
「報告、敵主力と思しき部隊の突入により包囲はならず」
状況が傾きつつある際にこの冷静さは訓練の賜物なんだろうなと思う。まずい状況でもなければ伝令は出してこない。さっきあんな態度をした最左翼には特に、な。
「神聖隊か?」
「おそらく」
ッチ、コイツ自身が確認したわけでも、ラケルデモン本隊が一次情報を掴んだわけでもないのか。おそらくは、包囲を阻まれてる部隊からの支援要請が回って来てって所だな。まあ、俺が装備転換させてたと気づいたあたりは抜け目無いが――。
劣勢下でよりにもよって対ラケルデモン感情の悪いこっちに、いきなり援軍を求めてくるとはな。
周辺に集った軽装歩兵の視線は厳しい。ラケルデモンの伝令は、成人しているようなので、かつてのラケルデモンの風習で十分にそれに慣れているからなのだろう。あくまでも涼しい顔をしていたが、ここでラケルデモン本隊の救援を命じることが容易ではないとは感じているようだ。
メタセニア人に気付かれないように――、しかしレオと伝令には分かる程度に、噛み殺した溜息を鼻から逃がす。
「なら、突っ込んできたのが主力だな」
おそらく、敵将もそこにいる。マケドニコーバシオの、王太子派の今後のためにも、エパメイノンダスはここで排除しなければならない。
どうしますか? と、目で問うレオに、俺は長剣を鞘から抜き放って味方の戦場後方を指した。
「後方を迂回し、敵の左側面を狙う」
頷くレオに、俺は「ここの指揮はお前が取れ。ただし、交戦は許可しない」と、レオが頷いている最中に付け加えた。
え? と、伝令が戸惑った顔をし、レオも意味を量りかねているのか首を傾げている。
「どの道、ここも同盟軍も決着がついてからしか動かん。というか、動けん。主力同士の決戦が終われば、敵の同盟軍も引くし追撃は十分には出来ん。逆も然りだ。撤退準備を進めろ。いいな? 必ず、ここに残す者はナウパクトスに退かせろ」
レオは露骨に不満を態度に表したが、現在の指揮官は俺であるために最後には「御意」と、答えた。
頷き、集った軽装歩兵へと向き合う。
「聞け! メタセニア人よ! これより我々はラケルデモンの支援要請の元、敵左翼側面主力部隊への攻撃を行う!」
出兵演説も聴いているからか、露骨な反対はない。が、現状、積極的な戦闘も行わないだろう。
態度や表情に出てはいないが、レオや伝令――ラケルデモン人からの不安そうな気配は伝わってきている。
「いいか! 独立とは誰かに与えられるものではない。自らの手で勝ち取るものである!」
叱責するように強く言い放った後――。
一度だけ空を仰ぎ、王太子の気配を思い起こして身にまとう。
兄弟なら、きっと、こう言う。
「おそらくは同じような台詞でラケルデモンは貴様等を煽り、戦場で使い潰そうとしたのだろう。だが、だからこそ考えろ、ミュティレアでの日々に偽りはあったか? お前達があの場所で創造した自らの国家を作れるのは、ティーバか? ヴィオティアか? ……それは、ラケルデモンでもマケドニコーバシオでも、誰にでも出来ない。お前たち自身の、同胞の、命と力で成し遂げる理想郷である。国家もなにも抜きにした俺個人のこの私見に賛同できる者だけで構わない。腑抜けたラケルデモン人に自らの力と意思を示せ!」
最後に軽く微笑んでから、俺は長剣の切っ先を空へと突き上げた。
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