Alphekka Meridianaー34ー
金属を打ち鳴らす音がする。
大盾をぶつけ合い、押し合いながらその隙間を貫こうと槍を突き出し、その穂先を鎧兜が弾き、あるいは、装備の繋ぎ目から肉を貫き、倒れた兵を踏んで後ろのものが前に出て戦列の穴埋めをする。戦いの音だ。
いい音だ。が、敵はまだ青銅器が主流だな。光の煌きと音の鈍さでそれが分かる。装備の面ではこちらに分がある、か。
敵の右翼は意図的に行軍速度を落としているのか、横一列に並んだラケルデモン連合軍と違い、ヴィオティア連合軍は左翼を先頭に斜めにゆがんだ陣形となっている。そのため、最左翼の俺からは右翼の戦いがはっきりと見て取れた。
敵は各都市軍毎に笛を使い分け、進軍速度を調整しているのかもしれないが、敵をふん捕まえて尋問しない限り仮定の域を出ない。
ほ、と、溜息をつく。
なぜだか、戦いが始まっている今も自分自身が冷めているのがはっきりと分かり、戸惑いを覚える反面、その戸惑いすらもどうでもいいような妙な気分だった。
確かに、最近は戦いの意味が昔とは変わった。
自分自身を滾らせるものではなくなっていた。
しかし、それでも刃を手にして敵と向かい合えば、コイツを、コイツ等をぶっ殺してやろう、と、体の奥底からの衝動が湧き上がっていたのに、今はそれがない。
いったい、俺は、どうしたんだ?
どうせだから、前進の速度でも上げてみるか? とも、思ったが、下手に体力を消耗させるのは下策だ。人を殺すのは、そう簡単じゃない。俺以外の連中にとっては。それでなくとも、眼前の方陣で上下する肩の動きから、緊張による息遣いの乱れを感じるしな。まあ、熟練者でも体調次第で息を乱すことなんてざらにあることだし、通常といえば通常の戦場の姿だが。
強いヤツ一人でなんとか出来るほど戦争は甘くはない。だが、雑兵同士の遊んでるような戦いぶりで勝敗を決せるわけでもない。腕の立つ人間が味方を鼓舞し、また、敵を怯ませることで実働戦力の質と数を上げるのだ。
ただ――。
偽王風情に従っているとはいえ、先の戦争で得た金で堕落し始めているとはいえ、根っこはラケルデモン人ということなのか、正対したティーバ軍の戦列の一列目は三度槍を合わせる前に壊滅し、勢いそのままに第二列も食い破り、第三列でようやくその勢いはとまった。が、それがティーバ軍の足が鈍ったからなのか、それともラケルデモン軍が敵とぶつかったことで勢いが削がれたからなのかは分からない。
が、まあ、複合的な要因なんだろうなとは思う。
そして――、戦ってもいない同盟都市軍は気楽なものだな、とも。
敵の右翼が進軍速度を落としているため、自分たちが戦う前に勝敗が決する――いや、戦わずに戦勝に乗っかれるとあっては、気も緩む、か。
陣列の厚みによって、未だにティーバ軍の戦線は保たれている。しかし、兵の質に関しては、ラケルデモンに分があるようだ。それは、前評判からも分かっていた事のはずなのに。
ティーバ軍の第四列が瓦解した、恐慌状態には陥っていないようだが、第五列も槍を合わせた瞬間の足運びから察するに長くは持たないだろう。異様に厚い敵最左翼の約八分の一がこの一瞬で破られたのだ。
「報告、ラケルデモン軍は最右翼の方陣の一部が方向転換を開始、敵左翼の包囲を開始します」
遠い戦域に目を凝らしていたので、声を掛けられてから俺の横でひざを突いた伝令に視線を向ける。油断は油断だが、殺気もなく得物も手にしていない兵だからこそ、ここまで近づかれていたのだ。
鉄製の装備。ラケルデモン市民軍の伝令だな。
「こちらに何か要請はあるのか?」
意味はないかもしれないが、一応、伝令に尋ねてみるが、ソイツは戸惑った顔で「は。いえ、その……戦況の報告を」と、答えただけだった。
兵を回せというのでもなく、左翼の前進を促すでもない報告。単なる勝ち誇りらしい。
ハ、随分と性格の良い事で。
「左翼は異常なし、予定通りに行動中だ」
敵の最右翼がこちらの中央の方陣と接触しない限りは、方向転換は横の味方の密集のために行えない。敵と接触してもいないんだし、予定通り以外に言うこともない。
聞くだけ聞いて、返事もせずに右翼へと向かっていく伝令の背中を見送ってから嘆息すれば、戦場へと視線を向ける前に今度はレオが話し掛けてきた。
「一気に決めにかかるようですな」
「だな」
見たままのことを口にされても、それ以外に答えようがない。
というか、兵を遊ばせておくのはもったいないんだし、敵の戦列が狭く深いものなら、方陣の端――今回の場合は味方の最右翼は、折れて半月型に方位するのは自然な動きだ。
順調な戦闘経過に、失った左目――額当も兼ねる青銅と革の眼帯の上に手を載せ額に指を載せる。眼帯は少し冷えていて、秋の始まりを感じる。
そして、その冷たさで少し当てが外れてもやもやしていた自分自身の気持ちにも気付く。
この程度の相手とは思っていなかった。
このまま押し切れる、か?
これまでの流れを見ても、エパメイノンダスは無能な将ではない。しかし、策に溺れ過ぎ、ラケルデモンを意識するあまり、左翼が盾による防御に難があるということを見落としていたのか? あるいは、その弱点を数で補ったつもりで、包囲される可能性を過小評価していたのか?
……そりゃ、確かにラケルデモン軍の負ける場面なんて見たくはないんだが、完勝されれば戦後が遣り難くなるんだよな。
さて……、どうするか?
「一戦も交えずでは、戦後の論考において不利では?」
さっきの議論を根に持ってるのか、どっか不貞たようにも聞こえるレオの言い草に、苦笑いで軽く肩を竦めてから、軽く首を横に振って俺は答えた。
「そういう場合は、伏兵に注意しとけ。周囲のファランクスの足並みに乱れを感じる。左翼を動揺させて右翼を孤立させる作戦かも知れんぞ。……斥候を倍に増やせ、俺等の護衛として備えさせていた巧者は全部出して良い。些細な戦場の変化も見逃すな」
重装歩兵は盾鎧で身を固めた兵士だ。殺すのには技術がいるが、装備の重さで動きは鈍く、密集した戦列で戦う際に、陣列の乱れに潜り込まれれば、意外と脆く崩れる時もある。
もしかしたらレオは装備転換した軽装歩兵を右翼の救援に出す、もしくは迂回して敵右翼のどこかを攻撃させたかったのかもしれないが、俺としては両連合軍の中核部隊同士が戦っている今は、損害を避けつつ戦力を温存することを選んだ。睨み合うだけの同盟軍同士の対峙と拮抗は、主力の決着がついた後大規模な追撃戦を抑止する効果もあるはずだ。
俺かレオ、どちらの方針が正解ということはない。
敢えて言うなら、正解の選択は戦いが終わった後でしか分からない。
ただ……。
レオに命じながらも、俺自身がまだ戦いの最中にあるのに戦後に思いを廻らせていた事実に気付き、気を引き締め直す。
戦場は、非日常だ。
次の瞬間に何が起こっても不思議ではない。
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