Menkhibー13ー
大人達の住居は、少年隊の訓練所から程近い場所にあった。
ラケルデモンの男は、三十歳になり、地区毎の民会にて大人として認められれば、家や家庭が持てる。ただ、ラケルデモンの男は兵士である事が大前提であるため、基本的には兵舎での共同生活が義務付けられてもいる。
つまるところ、家で生活しているのはその家の主の妻や女子、少年隊入隊以前の男児、後は兵役を終えた老人という事だ。
そんな場所に、夜に未婚の男が夜に向かう理由はひとつ。
ラケルデモンの男は、相手の両親から腕づくで娘を奪い取って妻とすることが求められている。とはいえ、奪うと言われて、はいそうですか、とすんなり従う女ばかりではない。むしろ、処女の本能で、家に侵入してきた他人を追い返そうとしたり、さかったバカを嫌悪し、返り討ちにしようとすることの方が多いとも聞く。
まあ、男の方でも、女に求婚を断られたり、奪うのに失敗したともなれば嘲笑の的になるだけに、必死となって迫るらしいけどな。
強いことを求められるこの国では、特に、反対する親から娘を腕づくで奪いとってこそ一人前だと認められる風潮がある。逆に、未婚のままでは民会での発言権は無いに等しい。
ふん。
あの若い監督官、ジシスに必要以上に肩入れしていたせいで、今日の民会では随分と虐められただろうな。その上、下っ端ゆえに危険な場所に優先的に送られるだろうし。
鬱憤を晴らし、かつ、厄介な仕事を回してきた周囲を驚かせるために、名のある家の女を得るのが一番の方法だと思い至ったに違いない。
青年隊ではなく、より幼く御しやすい少年隊の筆頭を引き込もうとすることから分かるように、周囲の評価よりも自尊心の方が高い傾向のヤツだ。真の実力者なら、わざわざ贔屓しなくても、人は自然と集まる。年下に餌を与えて飼うなんて、精々が上の下、もしくは中の上程度の、生活に僅かばかりの余裕がある程度の人間のはずだ。
決して、強過ぎることはない。
賢過ぎるわけも無い。
そう、あの男は、絶対に訓練所を抜けて――。
「アーベル、来たぞ」
火を持たずに道端に伏せって潜んでいるので、言ったのが誰かは分からなかったが、声に弾かれるようにして訓練所の出口の方へと視線を向ければ、見覚えのある監督官が、足元を照らす小さなオイルランプを手にこちらに向かって歩いて着ているのが見えた。
最高だ! ジシス達が死んで、警戒している時期だってのに、たったひとりで出歩いてあがる。
自分から、殺してくれ、と、言ってるようなものだな。
「まだだ、ひきつけろ。全員で半円に囲んで、一斉に攻撃するんな。先駆けさせるな」
腕力以前に、体格で勝る大人と打ち合う意味なんて無い。そもそも、損害を受けるわけにはいかなかった。
大人もバカじゃない。
監督官が死んで、少年隊から不審な死傷者が出ていたとすれば、なにがあったのか疑問に思うはずだ。
深手を負わないためにも、離れて戦う必要がある。
足音が近付いてくる。
娘を奪う目的での外出だからか、道からやや外れた場所を歩いているらしく、土を踏む音と、草を踏む静かな足音が交互に聞こえてくる。
伏せったまま、包囲し、その時を待つ俺達。
薄く広がっている俺達の中間地点まで、まだ距離があったが――。不意に足音が消えた。
静寂。
虫も死に絶えた冬の空気。
肌を刺す寒気の質が――。
「誰だ?」
――変わった。
「気付かれた!」
「ッチ、構わん。投擲開始!」
かま掛けだったのかもしれないが、答えたヤツがいる以上、これ以上潜んでいても仕方が無かった。それに、間合いは充分に離れているし、展開している味方の半分はすぐに戦うことが出来る位置にいる。
投石器を使わずに、手掴みで近くに準備していた石を投げる。俺に続くように、幾つもの石礫が飛んではいるが……。
「こっちに来てる⁉」
「構うな、どんどん投げつけろ!」
怯えたような叫びを叱り飛ばし、俺自身もある程度大きく重い石を選んで、頭目掛けて投げ付け、檄を飛ばした。
「目だ! 目を潰せ! 動けなくすれば、トドメなんていつでもさせる! 砂でもいい、ぶっ掛けろ!」
抜いた剣を右手で握ったまま、オイルランプを捨て、地面と平行になるように二本の腕を交差させて構え、顔を守りながら、じりじりと摺り足で近付いてくる監督官。
腕の隙間から、血走った目がこちらを覗いていた。
……駆け出さないのは、極端な猫背で身を守る姿勢を維持するためかと思っていたんだが。
「後ろへ回れ、後頭部に石をくれてやるんだ!」
離れた場所に潜んでいた応援が駆けつけ、後ろを取られても監督官の反応は鈍いままだった。
ゆっくりとした足取りで、漠然と声のするほうに向かっているだけで――。
いや、そうか。
確かに、一発一発は軽いんだが、これだけ連続してぶつけられていると、駆け出せないほどの圧力になるのか。そして、多角的な攻撃だから、反撃の方向も絞れていない。
要は、誰かに騒ぎを聞きつけてもらおうって時間稼ぎだ!
「おい! 仕上げに掛かる、縄を持て」
え、でも、と、戸惑った隣のヤツを突き飛ばし――、さっと視線で周囲を伺い、一番腹の据わった顔をしたヤツに縄の片側を投げた。
縄をぴんと張り、駆け出す。
投石の援護を受けながら……、よし! ツイてる! 敵は頭を守っているものの、腕に邪魔されることなく、顎に縄が引っ掛かり頬骨に上手い事噛んでいる。
「……ッ!」
喉笛に縄が食い込んだ。
引っ張る縄に少しだけ踏み止まった監督官だったが、喉の圧迫が我慢できなくなったのか、仰け反るように仰向けに倒れた。
縄を外さないように、腰を低くしながら、さっき渡した縄の反対側を受け取る。
倒れた監督官には、木刀を持った連中が殴りかかっていた。剣は、いつの間にか監督官の手から離れていたらしい。
「締めるぞ! 手伝え!」
縄を手早く輪っか状に縛り、手足をばたつかせている監督官に向けて締めていく。首を圧迫しているおかげで、俺の居る方向への攻撃は無かったが、それでも監督官を抑えに掛かっている少年隊の何人かが、吹っ飛ばされている。
ここで、顎に掛かっている縄を外されれば、泥沼だ。少し危険ではあったが、俺は監督官に近づき、その額を踏みつけ、縄の結び目を頭頂部から……後頭部へと滑らせ、首にしっかりと食い込ませることに成功した。
「引け、引けえ!」
俺の腕力や体重では、とても監督官を引き摺り回せない。大声で呼びかけ、手伝う手が、ひとつふたつと増えていき、ようやく監督官を楽に引き摺れるようになった頃。
「おい、アーベル! おい」
呼びかけられて足を止めれば、されるがままになっていた監督官は、カッと目と口を見開き、漏らした糞尿で服を汚していた。
「もう死んでる」
皆が皆、息を切らしていた。
しかし、同じ達成感も共有していた。
俺達でも大人を殺せるんだと、それだけの強さがあるんだと、誰もが歓喜していた。
いや、それだけではなく、同期の目の奥には、……ああ、そうか、元からここにいた連中は、何度もコイツ等に選別をやられているんだもんな。感動も一入か。
監督官の死体を、近くの木に吊るし上げ――。
「それは?」
「この監督官を襲ったヘロットの遺留品さ」
前に略奪した家から奪った、奴隷の使う鉈を監督官の肩に突き刺し、場は全て整った。
ああ、いや、この状態で大人を呼ぶってわけにもいかないな。
「お前とお前、そうだな、他にも、怪我のある連中は寝床へ帰るぞ。ここには、半分も居れば良い。それと、ハリ」
露骨に肩をビクつかせたハリに、俺は微笑みかけた。
「良くやった。最後に、お前に、少しだけ良い役回りをやらせてやるよ。いいな?」
今日、随分とこき使い、脅しつけてやった効果か、ハリは呼ばれただけで露骨に肩をビクつかせ、怯えた目を俺に向けたが……。満面の笑みを作って向けてやれば、一瞬、訝しげな目を向けたが、周囲の同期の目もあってか、最終的にはつられたような愛想笑いで擦り寄ってきた。
筋書きはこうだ。
義憤にかられ、自分達の力でジシスの敵を討つため、ハリが中心となり奴隷の村を襲いに行こうとしたんだが、物音に気付き、急いでそちらに向かうと、意気揚々と引き上げる奴隷の集団に遭遇した。
数が違い過ぎるのでやり過ごし、なにがあったのかと奴隷の来た方向へ向かうと、監督官が死んでいた。
奴隷は、きっと、ジシスが襲おうとした村の奴隷に違いない。
場所も、ジシスから聞いていたので知っている。
ハリの証言だけで、虐殺は行われるはずだ。
そう、証人は、全て消える。
その上、農奴の村を滅ぼす以上、略奪品の農産物もに期待出来る。まあ、クソ不味いのはこの際置いておくとしても、冬の寒い中、配給の飯はたらふく食って過ごせる公算が大きい。
そして、奴隷の村が滅ぼされれば、用済みになった準ジシス派の連中を、順次削っていくだけ……。
春には、基盤を磐石な物に出来る。
俺の、勝ちだ……!
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