Aspidiskeー12ー

 船旅は、順調だった。

 いや、それもそうなのだ。確かに、三~四日掛かる船旅であるものの、天気には恵まれていたし、アテーナイヱにしてもラケルデモンにしても、こんな辺境まで艦隊を派遣する余裕も必要性もないんだから。

 故郷も金も失って盗賊や海賊となった戦災難民がどこかで発生していてもおかしくはないが、こんなヘレネス北部くんだりまで足を伸ばす気はないだろ。俺達みたいな物好き以外は。

 そういう意味では、確かに、することもなくて勉強会には都合が良い時間ではある。

 とはいえ、今回乗っているのは戦闘用の三段櫂船なので、これまでの旗艦のような個室はない。船の甲板の後方の段になっているところに腰掛けての講義で、周囲には船の上で縄を張りなおしたり、帆柱を行き来する兵士もいて、落ち着いた環境とは言い難い側面もある。

 あと、なによりも寒い。風が出ているせいだ。

 俺もラケルデモンにいた頃は腰巻程度の格好だったが、今じゃ厚手の毛織物の外套に包まっているし、エレオノーレも毛皮の外套を羽織っていた。尤も、他の連中はもっと着膨れしていて、俺とエレオノーレだけが他と比べて格段に薄着なんだが……。

 まあ、エレオノーレがあまり気にしていないので、全部ひっくるめてそれでもいいといえばいいんだがな。

「では、マケドニコーバシオについて教えておくか」

 一番実用的なことを伝えようとした俺に対し、エレオノーレの反応はかなり微妙だった。

「えっと、そういう話じゃなくて、もっと根本的なところって言うか……」

 根本的?

 首を傾げて質問の意味を問うようにエレオノーレを睨みつけるが、エレオノーレは困ったような顔をしているだけだった。


「創世神話とか、その辺からはじめたらどうだ?」

 俺達の様子を窺っていた、というよりは、船の作業中にふと口を出したような感じで、ドクシアディスがそんなことを言って……帆を張る準備に入った。

 エーゲ海は風がほとんど吹かないので、これまでは使っていなかったんだが、雨季である冬場の天気の影響なのか、今は時々は漕ぎ手を休めて風で船を進めたりはしている。

 冬の風は、冷たく鋭い。

 丈夫だが綺麗とは言い難い帆を一瞥し、俺はエレオノーレに向き直る。

 バタバタという風にはためく布の音が、波の音を掻き消し始めていた。


 やや眉根を寄せてしまう。周囲の音だけのせいじゃない。ドクシアディスに唆されてエレオノーレがその気になったので、一番苦手な話をすることになってしまったからだ。世界の始まりなんて、考えたところでなんになるってんだ。

 しかし、苦手なことがあると知られるのもなんだか癪なので、俺は古い記憶を総動員しながら話し始めた。

「まずはじめに、があった」

、のに、の?」

 微妙に言い返してきたエレオノーレに、眉間の皺を深くしながら俺は答える。

「そうとしか表現できない状態だ。水も空気も大地も、なにもない。明るくもないし、暗くもない、誰も見れないし触れることも出来ない、だからそれを正確に表現する言葉がない。そういう状態だ」

 という俺の噛んで含めるような説明に、エレオノーレはふぅん、と答えただけだった。結局、あんまり理解はしていないようだな。

「そして、そのなにもない場所に最初の女神であるガイアが生じた」

「あれ? ガイアは地母神じゃないの?」

 多少は知っているのに俺に語らせているのか、と、若干イラついたが、それほどの知識は無さそうだった。……ああ、コイツは、元々農奴で農耕の村にいて、その後に畜産の村へ送られたんだったか。それなら、祭りなどの影響でそうした知恵も少しはあるのかもしれない。

「ガイアは、本来天空も含んでいて、どちらかといえば、神様ではあるんだが世界そのものを差すような女神だ。俺達のいる場所も、いや、そもそも俺達自身がガイアの一部とも言える」

 ふうん、と、またエレオノーレは言った。

「その後、天空神ウーラノス、海洋神ポントス、暗黒神エレボス、恋愛神エロースを産み、母となって世界や神々を作っていくので、お前がガイアが大地だけを治めると思っていたのは、そのせいだろう」

「あ、うん。ウーラノスが……あれ? 星空の神様じゃなかったの?」

 頷いた後、首を傾げ、最後には考え込んでしまったエレオノーレ。

 しかし、なぜ星空の神なんだ? と、俺の方としても首を捻ることしか出来ないんだが……。


「解釈によるんですよ。特に創世神話の部分は。国ごとに少しずつ、神様の治める領域や存在意義が変わっておりますので。それが文化の違いの一端にもなってる。ですよね?」

 ドクシアディスの方へと向かいながらキルクスが割り込み、俺が何か言い返す前にそそくさと仕事へと戻っていった。

「……と、いうことだ」

 助かったような、ありがたくないような。まあ、こんな場所での講義だしな、近くの兵士は聞き耳を立ててるのも居るだろうし、なにより俺は声が大きい……らしい。

 多分、下の階の漕ぎ手連中も多少は聞こえているんだろう。

 やはり、こんな環境は落ち着かない。

 しかしながら、話を中途半端で打ち切るわけにもいかず、そのまま俺は、より簡略化して続けた。

「まず最初に生まれたガイアが世界そのものを治めたが、その後、親子結婚した後のイザコザでウーラノスと険悪になり主の座を譲り、しかし、そのすぐ後にウーラノスも息子のクロノスに追放され、クロノスも自身の息子であるゼウスに討たれた。それから、オリュンポスの――つまり、今の世界の神々の時代が始まるんだ」

 エレオノーレは、少し難しそうというか、悲しそうな顔をした後、ポツリと一言だけ呟いた。

「神話でも戦いばかりなんだね。少し、複雑な気持ち」

 俺は肩を竦めて答える。

「戦うのは人間の本質だし、それを抜きにした物語なんて語り継がれはしないだろ」


「大将! 姉御! きりがよければ食事にしませんか!」

 少し離れた艦首の方から呼ぶ声が聞こえ、エレオノーレと一緒に顔をそちらへと向ける。

「ちょうどいいよな?」

 確認する意味で訊けば、素直に頷かれたので俺達は食事を受け取りに、他の連中が集まっているその方向へと足を向けた。

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