Propusー4ー

 短い時間ではあるが、二度寝して起きると午後になっていた。

 持ってきた物で簡単に食事を取った後で――結局、変な時間に襲撃しようとしたこのバカ女のせいで料理するような気分にはなれなかった――歩き始めると、まるでそれを待っていたかのように女が話しかけてきた。

「美しいとは、その、どういう意味だ?」

 今は美しくもなんとも無い粘着質な視線に、辟易する。

 ったく、口が滑ったな。どうにも喧しい。なにか変な誤解をしたのか? 美しいは美しいという形容詞だろうに。奴隷というモノは、言葉さえきちんと話せないのか?

 殺すまではしなくとも、喉を握り潰して口を利けなくしてやろうかと、半ば本気で考えながら、適当に話題を――女の逆鱗に触れそうな内容を思いついたので、話を逸らしてみる。

「そういえば、俺が襲った家の事情に詳しいようだが、ガキか男のどれかに気があったのか?」

 立場を思い出したのか、キッとつりあがった女の目尻。

 だがしかし、表情はすぐに沈み、一拍だけ間を置いてから女は弱く首を振って答えた。

「私は、あの村の生まれじゃない。むしろ、嫌われていたと思う」

 ……ん?

 流れ的に、おかしくないか?

 女の行動の理由が、分からなくなった。俺としては、若い男のどっちかに気があったか、村の腕自慢が子供の悲鳴で飛び出したとか、そういう理由を思い描いていたんだが。

「お前が俺に食って掛かる理由はなんだ? 嫌われてたんなら、アイツ等が死んで胸がスッとするはずだろう?」

 足を止め、女ときちんと正面で向かい合って尋ねてみる。

 敵と言えなくても、味方じゃない人間が死んだなら喜んで然るべきだ。嫌われていたなら、飢饉でもおきれば真っ先に口減らしで殺されるだろうに。

 なのにこの女は、そんな嫌われていた家の人間を殺してやった俺を怒っている。明らかに変な思考だ。コイツは、真正のバカなのか?

「ん……。そういうのじゃないんだ。それに、嫌われているといっても、特になにかされたわけでもないし。うん、好きでも嫌いでもなかった、のかもな」

 話が自己完結してしまったのか、どこか達観したような、黄昏た表情をする女。

「好かれてもいない他人の事で、よくもそんなに感情的になれたものだ」

 呆れを隠さない口調で俺が言い捨てる。

 ただ、それが気に障ったのか、女はムッとした顔で詰め寄ってきた。

「貴方は、仲間の死を悲しいと思わないのか?」

 問われて、コイツに殺された二匹のことを今になってようやく思い出した。

 そういえば、そんなのもいたっけ。ああ、あと、俺が殺した青年隊の五匹もいたか。ただ、それが、感傷に浸ったり、この女を怨む理由になるか? ……いや、無理だな。どうとも思えない。

 利用し合うというには、実力が釣り合っていなかったが、まるで役に立たないってこともない。居れば使うし、いなくなって困ることもない。それだけの関係だ。

 俺の人生になんら影響を与えない相手が消えて、悲しむってのもおかしな話だろ。

 なにも浮かばなかったが、なにも言わないわけにもいかない空気だったので、腕組みして丁度良い台詞を考えてみる。やはり、これにしか収束しない気がした。

「弱いのが悪い、以上」

「解らない人だな」

 聞こえないように吐いた女の溜息は、腹を立てる気分じゃなかったので見逃してやる。

「そうか? 行動原理は単純なつもりなんだがな」

 敵を殺す。気に入らないやつを殺す。欲しいものを奪い取る。俺の日常なんてそんなものだ。複雑に考えるとか、なにが楽しいんだか。そんなのは、きっと、哲学者のように人生を斜に構えた連中なんだろう。もしくは宗教家のように頭のおかしな人間だ。

「あっ!」

 肩を竦めた俺に、女の驚いた声が重なった。

「ん?」

 小首を傾げて見せると、少し気恥ずかしそうな顔をされた。

「貴方の名前は?」

 随分と今更だな、と、思ったが、そもそも俺もこの女の名前を知らないことを今気付いた。まあ、知ったところで意味も無いが、いつまでも呼び名が無いんじゃ不便か、お互いに。

「俺はアーベル。アギオス家のアーベルだ」

 言った後で……家族名から氏族について気付かれるか? と、少しの不安が頭を過ぎったが、能天気な声で復唱している女を見て、そこまで深読みした自分がバカらしくなった。

 お前は? と、顎でしゃくって促すと、女は真っ直ぐな声で宣言するように言った。

「エレオノーレ」

 ギリシア人ヘレネスなら所属する都市の名か、氏族の名を戴くはずなのに、女――エレオノーレはそれ以上なにも続けず、なにも戴かなかった。

 そういえば、あの村の生まれじゃないって言ってたし……。もしや、国家反逆者の氏族かなんかか? たかが奴隷の犯罪者を生かしとくほど、甘い国じゃないんだし。

「うん?」

 まじまじと見つめる俺に首を傾げたエレオノーレ。

 そこには偽装の気配は全くなく、貴種特有の気品をどこからも感じられなかった。

 見た目も中身もメタセニア人の奴隷女、だな。


 ……俺もどうかしてるな。こんなのに、なにを期待したんだか。


 そもそも奴隷に家族名なんてありはしないだろう。家族の名を名乗るのは自由市民でも上の方の貴族階級だけだし、コレは滅ぼされた国の出なんだ。

 所属都市がないのは、大した能力がないせいで、季節毎に配置換えされる流動的な農奴だからなんだろ。


 改めてよろしく、と、差し出された女の手を無視して歩き始める。

 俺とお前は対等じゃない。

 そう示したつもりだったのに、これまでとは少し別の温度の女の視線が、背中に突き刺さっていた。

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