Castorー8ー

 ほんの、一瞬だった。

 地面と水平に構えられた刃が、心臓の位置をめがけて突きかかってきた。エレオノーレのとはまるで違う、圧倒的な圧力と鋭さを伴った突きだ。咄嗟に剣の腹で受ける。俺の剣は折れたが、レオの突きも僅かに軌道が変わり、切っ先が俺の左肩を貫いた。痛みはある、が、それに構わず前進する。肩の肉を熱く冷たい刃の感触が裂くのを感じる。冷え切って明瞭になった思考の中、右肩がレオの胸にぶつかりそうな距離まで詰め寄り、折れた剣で斬り上げた。



 左肩に刺さったままの剣を抜いて棄てる。切り離されても柄を握ったままだった右腕が、膝を折ったレオの目の前に転がっていった。

 俺は左肩を貫通する刺し傷を負った。しかし、レオは、右腕を肩の近くから切り落とされ、顔も右目を縦に裂かれている。

「お見事」

 どこか呆然と――まるで他人のような気持ちで結末を見ている俺に、レオが勝負の前と全く変わらない感情とか特徴を感じさせない声で告げた。

 自分が勝った事が、どこか信じられなかった。

 レオは、間違いなく本気だった。向けられた殺気も、圧力も、技も全てを出し切っているのが分かった。なのに……ただ、瞬きに満たないごく僅かな時間がその切っ先に足りていなかった。昔のレオなら、俺が斬り上げる前に、肩の刺し傷を胸まで広げて俺の上半身を真っ二つに裂くことが出来ていたはずだ。

 だとしたら……。

「……老いたな、お前は」

 口に出すと、寂しさが募った。

「あの日から、何年が経ったと思っているのですか。それに、貴方も成長なさいました。本当に、立派になられましたな」

 どこか満足そうに答えるレオに、首を振って尋ねる。

「……最後に、なにか遺すことは無いか?」

 レオは、さっきの俺を真似るように首を横に振って目を閉じた。穏やかな顔だった。

「そうか」

 剣を右手だけで逆手に構える。


 首を目掛け、振り下ろそうとした正にその瞬間、誰かに腕を取られた。

 ……いや、誰か、じゃない。いつもの――。

「待って、アーベル、殺しちゃダメだ」

 エレオノーレが耳元で叫ぶ。疲れ切った頭に、いつものあの声が不快に響いた。

「バカを言うな」

「勝負はもうついている!」

「そういう問題じゃない!」

 自分の出した声にこもっている感情に気付き――、余計に辛くなった。

 エレオノーレは知らないだろう。負けて闘えなくなったラケルデモンの人間が、どんな最後を迎えるのかなんて。敗戦の責任を取って殺されるならまだ良い。情状酌量で市民権を失っただけの老人なんて、真綿でじわじわと首を絞められるような、そんな余生しかない。

「お前には分からないだろう、でも、それでいい。だから口を出すな!」

 泣きそうな声が、自分のものだと思いたくは無かった。

 レオは嫌いだった。でも、今となっては幼い頃の俺の多くを知る唯一の人物で――、棄てていく最後の日に、生き抜くための憎しみをくれた人でもあった。

「分からせてくれないから、止めたいんだ。それに、私の気持ちも分かって欲しい」

 俺は、歯を強く食いしばり、言い返す。

「コイツはお前の故郷の村の敵で、俺はお前の国の敵の末裔だ。今のお前なら、俺とコイツをまとめて殺せる」

 なぜそれをしない? と、咎めるように睨み付ければ……! エレオノーレが泣いているのに、今、気付いた。

「私は! 多分……許せないと思う! でも、違うの! アル、貴方はその道を突き進むべきじゃない。誰かを殺して、たくさん、数え切れないぐらいに殺して、それで、最後に殺される人生なんて、と、なにか違う気がする……」

 強く鋭かったのは最初だけで、エレオノーレの言葉はどんどんと弱くなる。迷いや葛藤が、その表情の中にある。それでも、必死で、懸命に答えを探している。強くて、儚さのある顔だった。

「あて推量で口を開くな! なにが違う?」

 中途半端に永らえるよりは、今日決着をつけたい。そんな気持ちで、どちらかと言えば唆すように俺は叫んだ。

 でも、エレオノーレは冷静さは失ってはいないようで……。

「貴方の、魂の形を歪める事のような気がする」

「歪んでるのは、はなからだ」

 フン、と、鼻で笑い手に力を入れる。しかし、右手だけの俺よりはエレオノーレの両手の方が強いらしい。剣は、全く動かなかった。

「アーベルは、もう変わったよ。あの夜に会ったままのアーベルじゃない。もし、なにも変わっていなかったとしたら、きっと、ここに来る道の間で、私か貴方のどちらかが死んでいたもの」

 真摯でひたむきな眼差しが俺を捉えていた。怒りや憎しみと言った感情ではなく、それは、あの土砂降りの中で見せた表情で――。

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