Hercules
夜の始まりー1ー
テッサロニケーに入港して二日。
荷物降ろしと、細々とした収支の計算、移動に必要な荷馬車や食料を調達し、俺達はまだ名前さえない自治都市へと出発した。護衛に王太子の私兵? らしき部隊――監視だろうな――がつき、道案内をエレニとエネアスが務めている。水も、川沿いの移動なので補給に難はない。まあ、雪解けで水かさが増しているので、子供がいるヤツは、その動きに注意しているようだが、基本的にはのどかな行進だ。遊び半分、というか、ほとんど行楽だな。
いつも通りと言えばそうなんだが、先頭集団で特にすることも無く風景を眺めていると――。どうしても気分が沈んだ。
「おい、列を乱しすぎるな。後ろも、遅れているぞ」
ドクシアディスが、これから厄介になる国に対して点を稼ぎたいのか、だらけきった連中を注意して回っているが、買い入れた奴隷が多過ぎ、指示の徹底が出来ていないようだった。
軽く列の後方を肩越しに一瞥して、ぼんやりと川岸を眺める。
「よろしいんで?」
不意に横からエレニに話しかけられ、俺は肩を竦めて見せた。
「お前等が、危険な場所へ連れて行こうってんなら引き締めるぞ?」
皮肉を返せば、苦笑いでエレニは口を閉じた。
どこで間違ったのか、なにが悪かったのか。
現在、俺がここまで後手に回っているのは、非戦闘員を中心に港に残してきたからだ。善意で上手く隠しているが、人質として押さえられている。人質を捨てて俺の命令を聞く兵士がここにいるとは思えない。じゃあ、そいつらを連れていれば話は変わったのか? 否、船が足りない。商売が成り立たなくなる。
じゃあ、俺が残り、船での商取引を他の――ドクシアディスなり、キルクスに任せればよかったのか。これも否だ。俺がいて、これだけ余計な買い物があったんだ。監視が緩めば箍が外れもっと拙い事態になっていただろう。
キルクス達を殺して荷だけ奪っていれば、アヱギーナ人を助けなければ、ラケルデモン国外へと出なければ……エレオノーレを助けなければ。
結局、結論は出ずに、最後に行き着くのはいつも同じ場所だった。
最初から、俺は間違っていた。
しかし、そうは思いたくなかった。
この長い旅が全くの無駄では、俺はなんのために……。
ひとつだけでいい、どんなに些細でも教訓を――。
ラケルデモン以外の人間はクズだ。全部奴隷にしてしまえ。
確かにそうかもしれない。頭も身体も、取るに足らない連中だ。なのに、群れれば急に威勢が良くなって、アレが欲しいコレが欲しいと叫ぶ。
政治形態――か。
目先しか見えない民衆をまとめるには、ラケルデモンのような遣り方も……ありなのかもしれない。これまでは否定しかしてこなかったが、国を屈強な一枚岩とするには……。
じゃあ、俺がしてきたことは本当に全部無駄だってのか?
俺が育ったラケルデモンこそが、全ての頂点にある、完成された国家の形だったとでも――。
「アーベル!」
大きな声のする方に視線を向ければ、グリーンの瞳が真っ直ぐに俺を捉えた。
エレオノーレは、最初は少し怒ったような顔をしていたが、すぐに首を傾げ――。
「アーベル?」
と、心配そうな顔でもう一度訊いてきた。
表情から察するに、何度も呼ばれたんだろうな。考え事に集中していたから、気付くのが遅れた。
ったく……。
船であれだけ言い合ったって言うのに、よくもまあ声を掛けてこれるものだと思う。いや、まあ、
「なんだ?」
自然と眉間によってしまう皺を誤魔化さずに、俺はエレオノーレに訊き返した。
訳知り顔で、幹部連中が俺とエレオノーレの周囲からサッと離れたのも……いや、まあ、もうどうでもいいか、せいぜい後数日でもう会うこともなくなるんだしな。
「雪が少なくて、雪解けも早かったからか、もう咲いてたんだ」
エレオノーレは、藍色の小さな花を俺の顔の前に差し出した。
ああ、これはニオイスミレだ。たった一輪咲いているだけで、家ひとつがその芳香に包まれる。甘い、春の香りだ。
……香油にワイン、様々な香り付けや料理に使われるが、花以外には毒があり取り扱いに注意が必要。アテーナイヱが名産地、か。
商売で覚えた知識が出て来て、自嘲めいた苦笑いが浮かんでしまった。
余計な知識ばかりが……増えた、な?
ふと、どこか香りに懐かしさを覚え――。なんだったかと、考えると、嫌な記憶が浮かんで来た。
ジジイの時代の家の香りで――、ジジイの葬儀の時にも敷き詰められていた花だったから。
サッと顔の前で手をふる。
「良かったな。だが俺は要らん。それを近付けるな」
エレオノーレは露骨に肩を落とした後――、少し後ろに下がって、買い取った奴隷の若い連中や、奴隷夫婦の子供なんかと喋り始めた。
視線を前に向ける。
キルクスとその子飼いの幹部が俺の左右を固めた。
「花は苦手ですか?」
「別に……」
「別に?」
「好きでも嫌いでもないから、どうでもいい」
素っ気無く答えた俺に、キルクスは苦笑いを浮かべ――、後ろから早歩きで追いついてきたドクシアディスに場所を譲った。
「大将、いいのか?」
声からいつもの陳情だと分かったので、嘆息してから答える。
「なにがだ?」
「こんなにばらけて動いてたら、危ないだろう。はぐれるかもしれないし、雪解け水で増水している川に落ちでもしたら――」
ふう、と、はっきりと溜息をついてドクシアディスの陳情を遮る。
「お前が出来ることは、お前でしろ。いちいち些事で俺を呼ぶな」
素っ気無く命じてそのまま歩き続ける。が、ドクシアディスは足を止めたのか、離れる気配が伝わってきたが、それは意図したところではなかったようで。
「大将?」
タタタと、駆け寄る足音がして、恐る恐ると言った様子で声を掛けられた。
「なんだ?」
「どうかしたのか?」
前置きもなくそんなことを聞かれ、めんどくさくなったので威圧する様にねめつけて訊き返した。
「あ?」
「その……いつもは、もっと、こう」
弱気になったドクシアディスに、止めの溜息を吐く。
「必要だからそうしていただけだ」
「…………?」
ドクシアディスは分かっていないような顔をしていた。
護衛――という名目の監視の連中を指揮している、騎乗の将官がチラリとこっちを見たが、そのまま俺達の会話を風の音とでも思っているような様子で付かず離れずの場所を歩いていた。
ふん、聞き耳を立てているんだろうが、とんだ無駄骨だったな。
なにを言われようとも、どんな条件でもこいつらは売り渡す。つまり、逆の意味で交渉の余地は無い。これ等はマケドニコーバシオの連中の好きにすれば良い。
俺が、役に立たない連中をいつまでも養う義理はない。
新しい町へ着いたら、俺の荷物だけを別け――。そうだな、海路よりは時間が掛かるが陸路でラケルデモンを目指すか。
厳冬期は過ぎ――、しかも、今年は春の訪れが早いのか、草木の新芽があちこちに見える。一人旅なら、食料の現地調達にも支障はきたさないだろう。
ラケルデモンでどんな扱いが待っているかは分からない。そもそも、どう振舞うかもまだ決めていない。
が、いいさ。
ラケルデモンにつくまで、ここからだと時間はたっぷりとある。
戦争中なんだから兵士も欲しいだろうし、手土産さえあれば別の名前で別人としての生活を始めることも難しくはないだろう。
そうだな。
最初からやり直しだが――、俺は何度だって這い上がってやる。今までだってそうしてきたんだ。今度は前よりもっと上手くやる。
俺が勝つまで絶対に終わらせてたまるか。
全ての敵をいつか必ず殺し尽くし、王に返り咲いてやる!
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