夜の終わりー6ー

 マケドニコーバシオで拠点としていたテッサロニケーに戻ると、港湾都市イコラオスに残してきたはずの連中が港で出迎えてきた。問題続きだったこともあり、理由を問い詰めようかと最初は思ってしまったんだが、……表情を見てその気が失せた。

 良い報告と悪い報告のふたつがありそうな顔だ。

 港湾都市イコラオスで問題が起きたか――統制が取れずに問題を起こしてしまったのか、逆に、テッサロニケーに集合しないと拙いなにかがこの国で起きているか、か。

「どうした?」

 巧者を残してこなかったのは失敗だったか、と、少し反省しつつ……しかし、その巧者を乗せたはずの船団でもこの体たらくなので、いずれにしても起こるべくして起こった事態か、と、自嘲する。

 ……いや、ダメだな。

 どうしても思考が対策の側に向いていかない。このままで良い筈は無く、なんとして――俺自身の目的のためにも、立て直す必要があるってのに。幕僚に策をまとめるように命じてはいるが、正直、当てにはしていない。

 俺が、なんとかしなくては。


「麦角菌汚染がアテーナイヱ近郊で発生しました」

 ええと、コイツは……そうだ、ファニスだ。今回の船団に同乗させなかったが、いつだったか俺の補佐としてやってきたこともあったし、俺達がいない間に自然と発言力が増していったんだろう。

 しかし――。

「いつの話だ?」

 俺達の商売では、穀物は売れ残っている。多分に意図したところもあったんだとは思うが、それでも過剰が出る程に売り惜しむとも思えなかったので、北東エーゲ諸島にはまだその情報が来ていないんだろう。

「ほんの五日前です」

 北東エーゲ諸島には、俺達と入れ違いで情報が入ったってとこか。まあ、運が良かったと言うか、悪かったと言うか。

 そのまま、港湾都市イコラオスから移動した理由を訊こうとしたところ――。

「やはり麦角菌でしたか」

 ここ最近遠ざけていたキルクスが、したり顔で俺の側によって来た。と言うか、他の幹部連中が、普段よりも俺から距離を取っているので、いつもの距離に来ただけとも見れるが。

 盛大な溜息で迎えてやるが、キルクスはやや困ったような顔で離し続けた。

「ティアさん達は、どうも、最近の気候から、麦角菌汚染を予測し調査する為に動いていたらしいですよ。尤も、彼女の専門は天体のようですので、他の方に付いて行っただけのようですが」

 そうか、と、答える代わりに手を振って追い払おうとするが――。

「そう邪険にすることも無いでしょう」

 と、むしろ逆に愛想笑いで近寄られてしまい、俺は盛大に顔を顰めた。

「お前は、敵だろう」

「違います。僕上手く統制出来なかったんですよ。ひとり買い取れば、二人三人と増えてしまって……、島を移動したのを切っ掛けに買うのを止めようとしても、昨日は出来たのになぜ今日は? と、いう流れになってしまいますし……。名簿や、各個人の支出金額、しっかりとまとめられていたでしょう?」

 弁舌に自信があった割には、随分なことだ。言い訳のひとつふたつ考えられないタイプでもないだろうに……。

「陸に着いたら話そうってみんなで決めていたんですよ」

 俺の態度にやや表情を硬くしたキルクスがそう言って他の幹部を見た。キルクスの視線にあわせて、表情を確認するが、今さっき申し合わせたと言う感じではない。陸に着いたら話すってのは、本当の事なんだろう。

 しかし、それは、むしろ当然の事だろう。

 船なら隠れるスペースも多いし、俺は、周囲の警戒と戦闘を指揮するのが最大の仕事なので、輸送艦までは中々確認に行けない。ただ、陸に上がった後は、放任じゃなく、各部署を巡回・監督しているので――治安維持や問題点の確認も含めて――、その際に気付くのは当然のことだ。

 陸に着いた後、既に乗っていることを知らされても、対策もなにもあったもんじゃない。喧嘩を売っているようにしか見えないんだがな!


 言い返そうとするが、事情を良く把握できていないファニスが困った顔をしていたので、ひとまず留守番組に関しての聞き取りを再会した。

 船に載せていた連中に背中を向けると――単につめていた息を吐いただけなのかもしれないが――、溜息を吐く音が聞こえた。誰の溜息なのかまでは分からなかった。

「穀倉地帯であるテレスアリアは、難民の流入の阻止、アテーナイヱによる略奪の防衛の為に入国制限を発令し、我々も国外退去を命じられ、商売の縁もありましたのでテッサロニケーへと移動を行いました」

 そうか、としか言えないな。良くやったと言うほどの内容でもないし、事情から判断するに仕方が無い話ではある。

 この都市は、エーゲ海のかなりの北側なので、交易に向いているとはいえない――そして、ラケルデモンからはかなり遠ざかってしまった――が、まあ、春までにこの最悪の財政状況をなんとかするのを第一目標とするなら、急速に発展を遂げようとしているこの国で仕事を受けさせれば、あるいは……。

 しかし、ファニスの報告はそれだけではなかったらしく、今度はどこか弾んだ調子で付け加えて――。……ん? ファニスの後ろには、エレニとエネアスもいるのか? 人の後ろに隠れるようにしていたので、これまで気付かなかったが、まるで俺達の一員にでもなったかのような雰囲気で――。

「王太子からの申し出で、我々に都市をひとつ任せたいとのお話です!」

 満面の笑みで叫ぶように言ったファニス。

 背後が騒がしくなったが、俺は右手を上げて制し、詳しい経緯を……。

「ご安心下さい。自治は最大限認めるそうですよ。と、言いますか、完全にヘレネス式での都市経営をして頂きたいので」

「テレスアリアは入国制限中ですが、同じ農業国としてマケドニコ-バシオとの交易は――制限こそかかりますが継続して行います。街道沿いの宿場町を整備するに当たりまして、皆さんとの協力を促進していきたいとのことです」

 エレニとエネアスが、次々と疑問に答えるように口を開いていく。事前に入念な打ち合わせがあった証拠だろう。

 内容を要約すると、海路以外に陸路を整備中で、宿場町をヘレネス式に――ああ、他国からの商隊に対し文化水準を見せ付けるための示威効果も期待しているんだろうな――整備したいので、建造中――とはいえ、七割方完成している――の都市をまとめて欲しいという内容だ。

 住人はウチの人間が中心だが、戦災難民がマケドニコーバシオへと流れてきていて、文化の違いによる衝突もあるので、彼等も優先して――避難民に対する防衛都市としての機能も期待されているのか……。

 確かに俺達にとっては喉から手が出るほどの条件だが……。

「お前等がその……王太子? からの使者になるわけか?」

 二人に問い掛けると、あの嫌な感じ――裏がありそうな――の商人の笑みで、エレニが答えた。

「皆さんに使っていただく都市で、王太子がお待ちです。詳しい交渉は直に出来ますよ」

 直に交渉できるって言われてもな……。

 船から離される上に、人質と言う意味も込みで残留組を抑えられていて、対等な条件で交渉をしてくるとは到底思えないんだがな。マケドニコーバシオの現状から察するに、随分と抜け目無いのが国王のようだし、王太子も無能ではないだろう。

 甘い話には裏がある。人が二人いれば、対等ということはない。どちらかが支配者になる。それが政治だ。

 そしてなにより、この国に根をおろせば、俺の望みは……。

「戦わずに済むんだ!」

 あん?

 背後から響いた、我慢できなかったような喜びの声に首を傾げ、肩越しに振り返る。

 しかし、その首にドクシアディスがまとわりついてきた。

「大将さすがだ。俺達にあんなことを言いつつも、きちんと考えていてくれたんだな」

 おい、と、声を上げようとしたが、こういう場において、一個人の声なんてなんの意味も成さない。もう、俺以外の全員が、この国で――戦乱による怒りも苦痛も忘れて、ぬるま湯に浸かるように生きたがっている。


 ハン、と、いつも通りの挑戦的な笑みを短く吐き捨てれば、少し鼻の奥がツンとした。

 欲求不満も甚だしい。自軍を持ったのに、出来たのは他所の戦争の端役に、山賊狩り、遊撃隊との海戦一回、か。


 クソが!

 ふざけんな! やってらんねえ!


 この中の、誰かが悪いわけじゃない、と、思った。

 しかし、皆が熱狂している今、酷く冷めた……いや、憤っている自分がいることに気付いていた。

 あれだけ殺して辿り着いた場所が、ここなのか?

 ……そんなわけねえだろ⁉

 ふざけんじゃねえ、誰がこんなみみっちい集団を維持してやることを夢に見るんだ? 俺は違う! 俺は……。そう、多分、俺だけが見ている場所が違う……。

 あの国に戻りたい、と、これまでにないほど痛烈に思った。だって、ここにはなにも無い。対等の相手が、同じ視点を持っている人間が、理解し会える人間が……誰も。どこにも。ラケルデモンでは、殺し合うことさえも一種のコミュニケーションだったのだと痛感した。殺し殺されることの中に、本質があった。

 ここで腐るなら、なんのためにここまで生き延びてきた? 頭も身体も限界まで鍛えながら。


 コイツ等は敵だ。

 と、本能が告げる音を聞いた。

 しかし、俺は始めて敵を前にして剣を取らなかった。

 好きにすればいい。そんな、投げ遣りな気分だった。

 どうしたって、自分と違う……自分と同じ価値を持てない人間を知った。

 気持ちがどんどん冷めていく。

 上手く立ち回って急拡大したという経緯上、苦労して作り上げたとはいえないかもしれないが、それでも俺は出来る全てを尽くして、強く育てようとしていた。

 なのに、それは全て無駄だった。

 俺は、リーダーとして選ばれなかった。


 俺はここを離れる。

 そう決めた。

 もう、決めた。

 後は時期だけの問題だった。移住先の町で簡単な引継ぎを向こうの王太子にしてやれば、それでもう充分だろう。引き止める声も、きっと無い。

「アーベル?」

 エレオノーレが呼ぶ声が聞こえた。多分俺は、ああ、とか、おう、とか返事をしていたが、もうなにも聞いてはいなかった。聞くつもりは無かった。

 こんな女の我侭なんて……!

 奥歯をきつく噛み締める。

 鼻の奥が軽くツンとした。アギオス宗家としての全てを奪われて以来の、人生で二度目の手痛い敗北だ。

 結局、運命に選ばれたのはエレオノーレだったってことなんだろう。

 俺ではダメだった。

 俺は……。

 初めて、この女を心底憎いと感じた。あの始まりの夜に感じたのと比にならないぐらいの強い、負の思いが胸の内で暴れている。


 やっぱり、殺しておけばよかったな。

 と、誰にも聞こえない声で俺は告げ、日が落ちたすぐ後――敗北を象徴するかのような紫の空を仰いだ。



  ――Celestial sphere第三部【Argo】 了――

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