Miaplacidusー1ー

 瓶から出てきた女は、やはりアテーナイヱ系のように見えた。

 確かに服は難破船の他の連中と同じ、亜麻布のごく普通の物ではあったが、肩で留める際の結び目の形や、その位置が首筋に近いこと、そして、訛りの少ない言葉使いを鑑みると、他に思い浮かぶ国が無い。

「んで?」

 割られた瓶から出て、俺の船をしげしげと見ている女に向かって問い掛けると、露骨に怯えた声を上げられた。

「はひ⁉」

 恐る恐ると言った様子で、甲板の中央の女は、船首付近で座っている俺に向き直った。体型は……エレオノーレの対極にあるような感じだった。肉がついて、むっちりしてる。周囲の水夫の反応から見るに、女らしいといえなくも無いんだろうが、運動していなさそうで、俺にはどうもな。

 大きな胸をアポディスム――胸を下から支える帯――で支え、横の切れ込みから覗く足も、筋肉以外の要因で太い。髪は……。樽では隠れる際に髪留めが外れていただけのか、今は緩くサイドテールに結っていた。目も垂れ目。

 ただ、手を見るにあまり家事をしている感じもないし、神殿付きのなんかか?


 しかし、女は俺に向き直っただけで自分から喋ろうとしなかった。目が合い――、一呼吸待ってやっても、脇を締めて腕を胸の前で組み、肩を振るわせているだけで埒が明かない。

「ビクビクビクビクするな! 目障りだ。さっさと質問に答えろ!」

 怒鳴りつけると、船の進路調整や一番艦との連絡をしていたドクシアディスとキルクスが、肩をビクつかせて振り返ったので、なんでもない、と、手を振って視線を外させる。

 さっさと言え、と、目で圧力をかけると、ようやく女は話し始めた。

「ええと、あの、ウチ……あ、いや、ワタクシは、その――」

 が、もたついた話し方に、余計に腹立たしくなった。

「モノははっきり言え! 名前、国籍、職業!」

「ティオフィロス=ティアといいます! 国籍はその……なの、なんていうか」

 俺の喋り方に流されたのか、それとも単に逆上したのかは分からないが、名前だけは威勢よく言った女――ティオフィロスだったが、国籍で言い淀んだ。っていうか……。

「お前、男なのか?」

「お、女です」

「女でティオフィロスってな……死に別れた旦那の名前か?」

 ティオフィロスは男の名前だ。ティアは女の名前だが、それだと家族名もしくは都市名が無い。……俺と同じような理由で敢えて隠しているのか?

 ……それなら利用価値がありそうだ、と、右手で口元を隠してからほくそ笑んだところ、そんな俺の思惑をぶち壊すような一言が女から発せられた。

「いえ。その……ウチの教団では、都市名も家族名も無いんです。都市はヒトが作って、ヒトが名付けたので」

「はぁ?」

 女の素性が途端に怪しくなった。いや、まあ、ラケルデモンのアクロポリスにいた頃に耳にした、オルフェウス教のイメージが強いからかもしれないが、教団という単語には怪しげな密議というイメージが付いて回っている。

「ピタゴラス教団って……知らないですよね?」

「ああ。本拠地はどこの国で、なにを信仰してるんだ?」

「ウチの学派では、神々への信仰は無いんですけど。もう片方は、自然そのものを信仰してるって言いますか、太陽を――」

「ピタゴラス教団って言いましたか?」

 キルクスが、珍しくやや険しい顔で話に混ざってきたので、女が話すのを手で止めてキルクスの話に耳を傾ける。

「知ってるのか?」

 多分、一番艦への指示出しは終わったんだろう。これからの尋問に混ざるつもりなのか、俺の右隣に陣取って耳打ちしてきた。

「アテーナイヱを追放された人が立ち上げた教団ですが……」

 眉間の皺が深くなる。いよいよ余計なのを助けちまったようだな。

「反乱の指導者とか、扇動者かなんかか?」

「ち、違います。ウチ等は、純粋に学問を……」

 キルクスに、こっそりと訊いたつもりだったんだが、どうもやっぱり俺の声は大き過ぎるようだな。こちらが訊く前に、女が弁明を始めた。――尤も、内容なんて有ってないようなモノだったが。

 しかし、声か。船や、戦場での指示だしの影響かもしれないが、注意しときたいところだ。


 キルクスが、モゴモゴ話し続ける女を他所に、すかさず補足してきた。

「元々は学者が興した研究機関だったんですが、弟子が二分されて以降は……」

「拙いのか?」

「そこまでは言いませんけど、独自の信仰と私財保有禁止の教義なんかで、政治機関と衝突することは多いですね。税の徴収に難が……。それに、神々ではなく自然現象を崇めているので、異教の信仰に近いですから」

「コレを捨てるのは……。今更遅いか」

 敵味方が不明ということで大人しくしているものの、エレオノーレやチビが船室の入り口からコチラを窺っていた。エレオノーレの目付けにとつけている遠慮の無さそうな中年女のニッツァもいるので、女衆の反発を考えれば、めんどくさいことこの上ない。

「水夫の慰み者にしては?」

 まあ、無難といえば無難な提案をしてきたキルクスに、苦笑いで船室の入り口を顎でしゃくってみせる。キルクスは、俺と同じような苦笑いで口を閉ざした。

 あんまり女衆を自由にさせとくのも考え物かもしれないな。

 まあ、今更締め付けを強めても、効果は無いだろうがな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る