Cujamー3ー

 王太子がペラへ行って、もう二十日になる。

 連絡はまだ無い。

 あまり、良い兆候ではないというのがヘタイロイ全体の共通認識だ。今回は、なにもトラキア征伐作戦の詳細を詰めることが本題ではない。いかに、王太子の異母兄の婚姻を阻止するかの交渉が本題だ。

 マケドニコーバシオにおいて、王の妻は近隣国の王家から娶るのが通例なので、この婚姻が成立してしまうと、王位継承順位が逆転してしまう。そして更には、このミエザの学園の存続にも関わる問題だ。


 ……王太子も他のヘタイロイも、内乱を起こすまでは考えてはいないようだが、楽観視は出来ない。

 俺はここへは途中参加なので、背景を詳しく知らないし、ミエザの学園そのものが王太子派なので、若干の脚色はあるかもしれないが……。

 事実として、現国王は、経済政策や対外政策の優秀さに反し、女がらみの醜聞には事欠かない男だった。

 ごく最近も、マケドニコーバシオの未亡人の貴族に惚れたとかで、新たに妻を娶るらしいが、自国貴族との婚姻は前例が無いので王宮もあたふたしているらしい。

「ふ――」

 溜息を夜空に向かって吐き出す。

 ミエザの学園は、要塞としても商工業の拠点としても賑わっている場所だ。夜でも煌々と焚かれた篝火で、見上げた空には、星が随分と少ない。

 流されている部分もある、が、それだけではなく、俺は自発的意思で、他のヘタイロイと行動を共にすると決めている。


 ただ……。


 そういえば、最近のプトレマイオスは、少年従者についてあれだけ拘っていたことをすっかり忘れたらしく、その代わりに、現国王のようにならないように、きちんとしておけとエレオノーレの事に口出しするようになってきた。

 ったく、アイツは本当に俺の親父にでもなったつもりかよ。

 まあ、他に浮ついた話題が無いのでそれもしょうがないのかもしれないが……。

 俺だって、色々と考えてはいるんだがな。


 と、今日は上がりが不明だったので、来ていないと思っていたんだが、家の前に着くと、中に人の気配があった。

 確かに俺はミエザの学園の生徒ではあるが、町の警備や軍務で給料は出ているので、灯りぐらいケチらずに点けろと言ってるんだがな。

 風邪を引くという気温ではないが、昼と夜での気温の差が大きくなってきていたし、家の外じゃなくて中で待っていたという点に関しては、進歩したのかもしれないが、変なところで奴隷根性が抜けていないんだよな。

 エレオノーレは。

 まあ、俺がミエザの学園に来る際に冷たくあしらったから、それに萎縮しているのかもしれないので、あまり強く言えなくなってしまっている俺も悪いのかもしれないが……。


「おい、居るなら、灯りを――」

 壁のオイルランプに、手に持った灯りから火を移しながら語りかけるが、椅子は二つとも空席だった。待ち疲れて寝たのか? と、息遣いの音を辿るようにして寝室の方へと足を向ければ……。

 なんか、随分と予想外の顔が、俺のベッドで寝てやがった

 ――ッチ。

 前にプトレマイオスから話は聞いてたが、学者枠でここに来たってのに、なんだコイツは? って、くそ、酒臭えな。この馬鹿。良く見れば、薄く化粧もしてあがるし――どちらかといえば、家柄が良い女性ほど、肌が荒れないので化粧を控えるのが一般的だし、それを踏まえ、というか、真似して、無産階級以外の市民は普通は化粧をしない。化粧をするのは、男を取る売春業の手合いだけだ――、いつのまにか、娼婦にでもなったってのか?


 水瓶から、木のコップでひとすくい水を汲み取り――。

 襟首掴んで引き摺り起こし、ベッドに掛からないように注意して、引き起こされても目を開けないその面目掛けて、水を思いっ切りぶっ掛けた。

「ブハッ⁉」

 途端、首を左右に勢い良く振るものだから、水飛沫が飛び、反射的に手を離してしまった。

 強かに尻餅をついたティア。

 呆然とした表情で、俺の爪先を見詰めていたが、――膝、腰、腹、肩と順繰りと視線が這い上がってきて……。

「……え?」

 恐る恐るといった感じに俺の顔を見て、引き攣った笑みを浮かべたので、その鼻先に叩きつけるように命じた。

「起きたか? 帰れ」

「え、だってここ」

 ティアは両手で顔を拭ってから、胸を下から支える帯のアポディスムを弄って――ああ、襟首だけじゃなく、胸まで濡れたのか――いたが、身支度が一応整っても床に座り込んだままだった。

 怪我したって感じではない。

 多分、単にまだ寝惚けてるだけだろう。

「俺の家だ」

 長い溜息を吐いてから答える。

 少し、失敗したかもしれない。

 薄手の服が湿ったせいでエレオノーレと比べれば、はるかに丸みのある身体のラインが露わになっている。

 いや、ティアが太っているというわけでなく、エレオノーレがいつまでたっても痩せ過ぎなだけだなんがな。まったく、いい年になったっていうのに、未だにこの女みたいにアポディスムを着ける必要が無いんだから――。って、そういう話じゃない。

 確かにこの都市の連中は、基本的に行儀が良いが、夜中に出歩いく柄の悪い連中も居ないわけではない。まあ、そのために宿直のヘタイロイが居るわけだが、こんなのが襲われた程度の事で出動させたら良い迷惑だ。

 それに、最大の懸念は、その行儀の悪い連中の中に少なからず俺の兵士が居る事なんだし。


 ティアは、ボーっとした顔のまま、垂れ目がちな細い眼を擦り――。

「ああ……そっか、暗くなったのに灯りも無かったし、ベッドも固かったから、ウチの家だとばっかり……」

 どの程度の自覚があるのかは不明だが、しなを作って言ったティア。

 どうも、まだ立ち上がるつもりは無いらしい。酒気が抜けていないせいかもしれない。擦った目も、どこか虚ろなままだ。

「お前な……。元から怠惰なヤツだとは思ったが、家を間違うほど飲むとは何様だ? どうせ、俺以外からも言われてるだろうから手短に済ますが、このままではこの町にいられなくなるぞ?」

 肩の力を抜いて――と言うと変な気がするが、プトレマイオスに言われた所の『ついで』が出来てしまったので、単に言ってみただけという気楽さで俺は注意した。

 どうせ、怒鳴ったところで改善なんてしないだろうし、無駄な所に労力を割くほど俺はお人好しでも暇でもない。

「わかっています」

 案の定、いじけたように壁の方へと顔を背けたティア。

「そうか」

 言うべき事は終わったし、後は勝手に帰るだろうと背を向け、食事は済ませてきたんだがこのバカが居る限り眠るわけにもいかず、居間の方で時間を潰そうと背を向けたところ――。

「わけも分からずに、こんなところまで来ちゃったんですからぁ。どうしようもないじゃないですか。もう、しょうがないじゃないですかぁ! ウチに、なにをしろって言うんですかぁ!」

 構って欲しかったのか、不意にティアが大声を上げた。


 ――ッチ。酔っ払いめ。

 酔ったヤツは、こういう気分の急変を起こすから嫌いだ。んで、明日になれば覚えてない、だ。……フン。


「酒を止めろ。新説を提唱するなら証明を行え。認められたければ、結果を出せ」

 明日は休みじゃないし、酔っ払いに付き合う気分でもなかったので要点を告げ、話を切り上げる。

 しかし、いや、やはりと言うべきか、正論に対してガキがぐずるような調子で、ティアが膝で擦り寄ってきた。

「もうダメなんです。無理ですよう。誰も分かってくれない! ……教団に戻りたい。なにもしなくても、周りに合わせていれば、ご飯に困ることだけは無かった。どうせ偉くなんてなれないんだから、そんな生活でよかったのに!」

 救助してやったのに、というのはこちらの見方であって、当人としては元いた場所よりも悪い環境に落とされたって認識なのかもな。

 命だけは助かった、ではなく、どうして自分だけがこんな不幸に会うんだろう、とかいう自己憐憫だ。

 過去の……少年隊へと捨てられた自分が一瞬フラッシュバックし、少し胸が痛んだ。が、ほんの少しだけだ。酔っ払い相手なら、余裕で隠し通せる。

 それに、むしろ、そんな甘ったれた事をいうコイツへの怒りの方が勝った。

 誰か、なんて助けに来ない。自分で自分を救う以外に、方法なんて無いだろうに。


「帰れば良いだろ?」

 昔なら蹴り飛ばしていたであろう伸ばされた手を冷たく見据え、一言で答える。

 俺は、一言もここに来いと言った覚えはない。王太子の誘いを受けたのは、この女自身だ。エレオノーレ達の元へ残るという選択肢も、無くは無かったのに。

「船が、沈んじゃったから……他の教団の人達がどこでどうしてるかなんて、ウチは分からないんですよ。ただ、皆に、ついて来ただけなんだもん。なにも、したくなかった! 誰か、助けてよ!」

 想像以上にろくでなしだな、この女。


 ラケルデモンを出て――この町に来るまでに色々な人間を見た。自分自身の能力と、人格と、役割がぴたりと合致ししているここのヘタイロイのような者は、滅多にいない、と、理解している。

 そして、ラケルデモンのように、それが一致しない人間を殺すような国政の国は少ない、とも。

 ……しかし、ちょっと頭を使えば、分かることなんだ。一人前の人間なら。どれだけ戦いに備えていても、負けることはある。順調に育った麦の穂が、一夜の嵐で吹き飛ばされるように。

 だが、それを嘆いていても、どうしようもないじゃないか。

 負けたなら、その原因を調べ、より強くならなくてはならないし、麦をなくしたなら、他の商売で食うものを確保しなければ、冬は越せない。

 恨み言をいっている暇なんてないのだ。本当に、自分自身の足で自分の人生を歩んでいる者には。

 子供でもないのに、他人に頼るだけの人間なんて、顧みられないのは当然だろう。


 無言のままの俺を、ティアが上目遣いで――なんだ? 視線が合うと、不意に心臓に冷たい手が差し込まれたような悪寒がした――縋るように……いや、なにもかも諦めきって、開き直るようなどこか、一抹の狂気を孕んだような目で見上げてきた。

「あなたは、いいですよね。才能があって、認められて、ちやほやされて……ここでの生活にもすぐに馴染んで――」

 ダン、と、壁に響いた音で、自分が右手で壁を叩いたことに初めて気付いた。


 そんなつもりじゃなかった。

 なのに、言葉が勝手に口から出てきた。

「手前は! この俺が、なんの苦労も苦悩も無く、こんな場所にいるとでも思ってんのか! あぁ!」

「ひっ? え? あ……」

 露骨に怯えた顔をされ……後ずさったティアを見て、深く深呼吸して、壁に背を預けた。

 そんなつもりじゃなかった。

 怒っているわけじゃないっていうか、上手く言えないけど、自分でもなぜ怒鳴ってしまったのかよく分からずに――いや、昔は、なにかあればいつも怒鳴ってばかりいた気がするが、そういうのじゃなくて、理解不能の動揺がこれ以上聞くなと胸を衝き動かしていた――、ぐるぐると眩暈のように渦巻く感情を、持て余していた。


「あの……大丈夫、ですか?」

 俺が動揺した分、冷静になったっていうか、酔いが覚めたのか、ティアが立ち上がり、近付いてきたので――。

「帰れ」

 と、それだけを命じた。

「は、はい」

 パタパタと足音が遠ざかっていく。


 変化は、決して悪いことではない。

 生きている限り、人は変わっていく。テセウスの船のように、知識や経験によって、少しずつ自分を構成するものが刷新され、成長していく。

 当たり前の事なんだ。

 事実、先生と話すようになり、エレオノーレと帰宅後に話すようになってから、明らかに周囲の態度が良い方に変わった。


 でも――。

 原点から遠ざかり続ける俺は、どこまでラケルデモンのアーベルであり続けられるのだろうか?

 先生は、ここまで懸念して俺に助言していたのではないだろうか。


 ……俺は、再びなにかを間違ってしまっているのではないだろうか。

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