夜の終わりー4ー

 撤退戦から、丁度一ヶ月が過ぎた。

 テレスアリア兵の帰還の手続きも済み、第一陣として全体の約四割が出港した日。正式に王太子に出ていた追放例が撤回された。残りのテレスアリア兵が帰還する第二陣と一緒に船団を組織し、護衛に俺を伴って再びマケドニコーバシオへと向かう予定だ。

 ミュティレアは、一次滞在のテレスアリア兵により宿屋から飲食店まで広く好景気に沸き――もっとも、テレスアリア兵の身代金……という言い方もアレだが、救出代は、マケドニコーバシオ王がテレスアリア統治者となったことで、随分と値切られたが――保有船はかつての倍近くまで増え、国庫にも充分な資金が貯蓄されている。

 あれだけの大敗北後もアテーナイヱが未だに降伏をしていないおかげで、島の海運業も好調、と、かなりの追い風が吹いていた。


 季節は、春から夏へと変わり始めている。

 嫌味なぐらいに晴れ渡った青空。気の早い蝉の声がどこかから響く、そんな初夏の昼下がり。

「無能将軍!」

「よっ、さすが本国の高官の息子ですな! あんな大敗北が出来るとは!」

 参政権を持たない若い少年達の囃し立てる声が、アゴラの外から響いていた。

 逃げ出さないようにとミュティレア兵に付き添われ、アテーナイヱ連合軍へと加担した容疑者が民衆裁判所へと連行されているのだ。

 そう、キルクス達の監視には、マケドニコーバシオ兵ではなくミュティレア人の兵士を使っている。俺の提案によって。

 人間は誰も彼もが清く正しいわけじゃない。他人と自分を比べて羨望を抱いたり、逆に優越感に浸ったりする。清廉な人物であっても、暗い感情のはけ口は必要だ。

 奴隷は端から言葉を話す家畜という認識なので、現在は装備を自弁できない無産階級の人間が最下層としてその役を担っている部分があるが、商業都市であるミュティレアにおいては無産階級の船の漕ぎ手はそれなりに重要な職業でもある。

 彼等の不満のはけ口として、没落した富裕層の姿は最適だろう。

 また、ミュティレアでは、自由市民――装備を自弁でき、奴隷労働によって自分自身は労働を行わない富裕層――から、無産階級――奴隷を保有するだけの財力が無く、自分自身の労働により賃金を得る最下層――まで、広く民会政治に参加している。

 自分自身の手によって、金持ちを絶望へと突き落とせるのだ。貧乏人にとっては、この上ない喜びだろう。

 また、アテーナイヱ本国の高官の息子という肩書きは、かつて島がラケルデモンへと擦り寄った際のアテーナイヱ海軍の侵略の記憶を呼び起こすため、富裕層から庇われる心配も無い。

 ……いや、そういった理屈を抜きにしても、単純に他人の不幸は面白いのだ。

 そういう風に、人間は出来ている。

 確かに戦場で鬱憤を晴らすことも出来るだろうが、それは自分自身の身も危険にさらすことになる。女や都市の富裕層にとっては、これぐらいの見世物の方が丁度良い。

 ちなみに、エレオノーレは、午前の民会においては見学させていたが、民衆裁判は欠席させた。……いや、元から、アイツはこういう見世物を好まず、顔を出していなかったらしいので、今回が特別と言うわけではないな。逆に、午前のめんどくさい政務に関する民会を欠席したアデアは、喜々とした顔で乗り込んできて、ちゃっかり俺の隣に座っていたりする。

 対極的な二人だ。


 島へと帰還したのはキルクス達アテーナイヱ人の、それも、金持ちばかりだったことも反感を強める要因となった。

 ドクシアディスは、戦死した。というか、遠征に参加したアヱギーナ人は全て死んだ。アテーナイヱ人も殆んど全て死に、島へ帰還したのは一割に満たない程度だ。その内、派兵の意思決定の立場にあった者を十名前後選び、裁判へと引き立てた。

「それでは、戦争に加担し、レスボス島を危機へと陥れようとしたアテーナイヱ人に対する裁判を開始する」

 キルクス達がアゴラの中央へと引き出された。

 アゴラの周囲を囲むように広がる半円状の席はミュティレア市民が埋めている。キルクス達の正面には、ミュティレア人の裁判官が陣取り、その横に俺達王太子と王の友ヘタイロイが待機していた。

「今回裁かれる罪は、以下の通りです。誤報の流布。それに基づき、かつてミュティレアを攻撃したアテーナイヱ本国に私兵を率いて加担したこと。それにより、レスボス島を戦争に巻き込ませようとした罪。そして、ミュティレア籍船の大量喪失に関する罪……」

 ミュティレア人の裁判官――固定の職ではなく、民会によって裁判の度に選び直される――が、やや裁判官の私見も入っているものの、予定通りの罪状を読み上げていく。

「アテーナイヱ側での参戦は、あの時点で島の利益になるとお話ししていた通りです」

「船の代金も、国庫に収めていたはず」

 我慢できなくなったのか、それともなにか符丁があったのか、キルクスではなくその背後の……あー、なんか、うっすらと記憶にある、アテーナイヱ人の老人が口々に反論した。

「静粛に」

 今回の裁判を取り仕切っているミュティレア人が厳かに、しかし、大きな声で場を制し「説明はしたが、全会一致ではこちらは納得してなかった。船に関しては、代金ではなく賃料であり、喪失に関する損害とはまるで釣り合わない。よもや忘れたわけではないな?」と、さっきまで罪状を読み上げた裁判官がキルクス達へと尋ねた。

 反論は収まったが、その流れそのままに「では、弁護を」と、別の裁判官がキルクス達を促している。

 ふふん、と、鼻で笑う俺。

 弁護を、なんて言いつつ、反論させる気はなさそうだ。

 いや、反論されては拙いのか。俺達の目の前では。

 確かに、あの時点では、キルクスに擦り寄る人間も居たんだとは思う。事実、サロ湾の海戦でアテーナイヱが勝てば、黒海航路が残り、アテーナイヱ本国への中継地点としてミュティレアは栄えたはずだ。

 ただ、ひとつ付け加えるなら、本心からの支持なのかどうなのかを見抜けなかったキルクスが間抜けなだけだと俺は思う。基本的にどんな場合でも、一番大きな勢力は日和見なのだ。誰にでも調子のいい事を口にしつつ、勝ち負けがはっきりするまでは決して自分からは動かない。


 裁判に引き出されたアテーナイヱ人たちは、動揺している。もう少しは味方がいるとでも思っていたのかもしれないが、周囲から向けられるのは嘲笑と蔑んだ視線だけだからだろう。

 しかし、この場で沈黙するのが一番拙いとの自覚はあるのか――。

「戦争においては、勝つこともあれば負けることもあります。むしろ、負けた後の対処こそが重要なのです」

 キルクスの弁明が始まったが、そんなことは解りきっている、とか、お前程度が戦闘の心得を口にするなという野次が次々と浴びせられている。

 キルクスは唇を噛んだ後、開き直るように顔を上げて、周囲を囲む市民を見渡し、俺を指差して声を張り上げた。

「市民の皆様! そちらに居られますマケドニコーバシオ軍の将軍達がなにをしたのかご存知ですか!? 我々を見捨てて自分達だけが逃走したのですよ⁉ 本来ならば、ここまでの損害は出なかったのです。弁済と言うのでしたら、これは、僕達だけの責任ではないのです。あの時、援護されれば、敗戦の傷はここまで深くなかった」

 泣き真似……いや、振りじゃなくて、本当に感極まって泣いているのかもしれないが、キルクスは鼻をすすって続けた。

「確かに、僕達は、失敗しました。ですが、それにより、未来ミュティレアに訪れるであろう危機を証明したのです。彼等は信頼に値しないと! よろしいのですか? 今回と同じように、島の危機に際し、早々にマケドニコーバシオへと逃げ帰られても」

 今回の民衆裁判を取り仕切らせているミュティレア人の裁判官が、お互いに顔を見合わせることさえせず、ごくあっさりと――まるで、バカなヤツに常識を聞かせているかのような口調で答えた。

「なにも、問題ない」

「問題ない!?」

「彼等は、出陣前に状況をしっかりと報告し、正しい情報を基に打ち合わせを行っている。テレスアリア兵の救援は民会における決定を得ている。全ては正当な手続きに則って行なわれた行為である」

 キルクスが、憎悪の籠もった視線を俺に向けてきた。

 ので、俺は涼しい顔で尋ねてやった。

「なんだ?」

「こんな裁判はインチキだ! 最初っから、その男の筋書き通りなんでしょう!? じゃあ、弁明なんて無駄じゃないですか!? なんで、僕達をここに引っ張ってきたんですかぁ! お前等はまともじゃない! もう、いやだ、止めろ!」

 静まれと裁判官に言われても、キルクスは滅茶苦茶に腕を振って喚いていた。まるで駄々をこねる子供だ。

 バカだな、と、思う。

 民衆裁判なので、テレスアリアの成人男子による裁判であり、俺達やマケドニコーバシオ人は参加していないが――現在島の支配者は俺達なので、参加させる気になれば出来た――、そもそもその必要さえないことなのだ。

 独断専行は確かに誉れではある。が、それは、成功すればであり、失敗したらそれはただの負け犬だ。

 ……俺や、かつての俺の軍団兵がそうであったように、誰からも顧みられることもなく、ゴミのように捨てられる。生きていようが死んでいようが、誰も何も思わない。敗残者とはそういうモノだ。


「では、判決を行なう。被告全員を有罪とし、市民権を停止し、その財貨で国庫の損失を補い、国外追放とすることに賛成の者は起立を」

 キルクスがミュティレア人の衛兵に取り押さえられたところで、最後の多数決が行なわれた。本来は、俺達は立ち上がる必要は無かったんだが――。

「……え?」

 アデアが颯爽と立ち上がってしまい、やや恥ずかしそうに俺を見たので、苦笑いで俺達王の友ヘタイロイも起立することになった。

 アデアのおかげでどこか微笑ましい空気が漂ってしまったものの、判決は全員の賛成で決定された。

 レスボス島においては、死刑と言う刑罰は存在しない。エレオノーレの意向もあったし、そもそもレスボス島がかつて属していたアテーナイヱ圏においては、現在は死刑の風習は無いのだ。

 私財を全て没収した上で国外追放処分とする。

 その決定にアテーナイヱ人キルクス達は不服そうな顔をしたものの、殺すのが大好きな俺の性格を熟知しているからか、あっさりと判決を受け入れた。

 これも、以前の――俺と共に行動していた時の――経験によるものだろうが、生きてさえいればまた再起できる、とでも考えたんだろう。


 ちなみに、キルクス達の追放の決定に伴い、ファニスとイオの結婚式を極めて小規模に、かつ、おざなりに行い、二つの民族の戦災難民による組織は、弱小の運送会社と言った体で存続させることとなった。

 潰してしまえという意見はミュティレア人に特に多かったが、敢てそうしなかったのは、他の真っ当な商社に頼めない仕事を押し付けるため。そして、はっきりとした差別階級を内部に設けることで、それ以外の階級の団結力を高めるためでもある。

 商業都市であるミュティレアにおいては、競争も激しくなる。その際、潰し合いをされては困るのだ。不満をぶつける階級があるのなら、競争は正の方向で進む。

 それに、もし島の情勢が一変し苦境に立たされた際には、その責任を――例え、どんな言い掛かりであったとしても、日常的に差別された階層ならば――擦り付けることも出来る。


 俺がほぼ独断で進めたこの計画に、良い顔をしない王の友ヘタイロイもいるにはいたが、総合的な利益を説いて納得してもらっている。

 ……いや、王の友ヘタイロイは、それでいいのだと思う。

 こうした謀には、必要性を理解しつつも、顔をしかめるぐらいが丁度良い。


 俺は――、自分自身が何を成すべきなのか、今、きちんと理解しているのだから。

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