夜の始まりー3ー

「おい、俺の部隊を呼び寄せてくれ。こちらと合流させるんだ」

 と、休む前にやるべき事があることを思い出し、外の衛兵に大声で呼びかける。俺達の天幕を警護しているのは最精鋭だからか、天幕に入ってくることもせずに「はっ」と、一言答えてすぐに伝令を呼んで指示を伝えたようだった。

 アデアは、今更不思議そうな顔をして、俺の太股の上で横を向いて寝転がっていた体勢から仰向けへと姿勢を変え、真下から不思議そうな目で俺の顔を見上げてきた。

「そういえば、さっきの戦場には連れてこなかったようだが、なにをさせていたんだ?」

 ん? 着陣する前に説明したと思ったんだが……まあ、アデアは、こう、興味があることに一直線につっこんでいく性質の人間なので、別の事に気を取られて聞いていなかったのかもしれない。

 ピン、と、アデアの眉間を指で弾いてから俺は答えた。

「付近の山道や獣道、およそ人が通れる可能性がある場所に薄く広く配していたんだ」

「なぜ?」

「なぜって……、こちらの調停を受け入れなかった場合に、皆殺しにするためだろ」

 軽く肩を竦め王太子を見るが、王太子はアデアの視線に対して軽く笑っただけだった。

「住人は財産だぞ?」

 と、アデアが俺に不思議そうな顔を向けた。そう、不満そうな顔ではなく、不思議そうな顔。

 この辺がエレオノーレとの最大の違いだよな、と、思う。

 状況的に必要だと理解すれば、人の命を損得できちんと割り切って考えられる。皆に優しく、ではなく、大切な人にだけ優しくするということが出来ている。

「いいか? テレスアリアがマケドニコーバシオの統治下になって三年。まだ、とも、もうとも言えるが、この時点で指導力不足なんて思われるわけにはいかんだろ? ようやく街道の整備が済み、新都ペラからの行政官も派遣されて政治体制がようやく一本化されつつあるんだからな」

「一本化されつつあるからこそ、多少の事は放っておいてもよいのではないか?」

 言外に、地方の戦域へと遠征に出るのが面倒とも匂わせつつ、アデアが訊ねてきた。

 まあ、アデアのいう事も間違いってわけではないが――。

「逆だ。制度が優れていようとも、その施行は支配者の武威次第。そういう点においては、まだテレスアリアの全てを食ったとは言い難い」

 特に、兵士の動員の面において、権力者の威光が大きく反映される。

 ギリシアヘレネスの国家において、都市の防衛や他都市への侵攻は重要な政策だ。市民が全員参加する民会にて議論が持たれ、都市間による割合の差異はあるものの、概ね過半数以上の賛同を以て実行される。

 そのため、市民軍による士気は高い傾向にある。

 だが、その制度ゆえに、自らの都市の利害に関わらない戦場へは兵士を出したがらない、という弊害が生じる。

 勝手に敵国と和睦する都市や、国境防衛を放棄して故郷へと戻って篭城する市民軍。王による統治と言っても、所詮はその程度なのだ。誰しも我が身の方が可愛い。

 だからこそ、重要な場所には親族や信頼の置ける重臣を配備して監視の目を置き、また、平時には善政によって支持を固める。

 そして――。

 裏切りを抑えるためには、恐怖を用いることもある。

 こうすれば絶対に成功する、なんて手順があるはずもない。圧力と報酬の綱引き。

 小さな村争いとはいえ、介入に依り指導力を示し、従わない場合には見せしめに皆殺しにした上で、都市の浮民や無産階級を配して新たな殖民都市を建造する。


 王太子が光の化身とするなら、俺はその影の化身。テレスアリアがマケドニコーバシオに対して抱く恐怖の全てを実行してきた。

 本当の意味で王太子を兄弟と感じたあの日以降、それで全てが上手くいっている。


 しかしアデアは、途中で難しい話に飽きたのか「ま、威力調停が成功したのだし、よいだろう」と、勝手にまとめあがったので、嘆息し、仰向けで俺を見上げるその頭――後頭部に手を差し込み、軽く上体を起こさせて……ゴン、と、軽く額をぶつけて説教した。

「『よいだろう』じゃねえよ、戦場までついてきてちょろちょろするなら、大局的な見地も持て」

 だが、アデアは思いっきり膨れっ面をして言い返してきた。

「逆だ、我が夫よ。戦場に付いて来なければ、話すこともままならないとは何事だ」

 ……めんどくせえ。

 この目は、本気で怒ってる時の顔だ。つか、仕事だってわかってんのに、なんで怒るんだよコイツは。

 王太子や王の友ヘタイロイはともかく、現国王派からの俺への評価は非常に微妙なんだし、新都ペラにいるよりもあちこちの戦場に出てた方が、今は良い時期だって分かってるだろうに。


 睨み合う……というほどではないが、目を細めて不満そうな視線を俺に向けるアデアと、一歩もひかずに見詰め返す俺を見かねたのか――。

「ここが済めば、城塞都市セレトルムですこしゆっくり――ン、ゴホン」

 ――と、王太子が言いかけて、慌てて咳払いで誤魔化した。

 が、微妙な沈黙が余計に気まずくさせたので、ああ、もう! と、心の中だけで愚痴ってから……。

 堂々と言おうとしたが、やっぱりなんか、色々と怖気づいてしまい頭を掻きながら俺はアデアに向けてというよりは、独り言のように口にした。

「ああ、まあ、その、なんだ……港から、ミュティレアへ向かい、まだ追放されたままの王の友ヘタイロイと、島の防衛に関して話し合いつつ、冬の間に交易で出た利益の一部移送をしないとな」

 どこか言い訳のようにも聞こえる……というか、言い訳にしか聞こえない俺の台詞にも、アデアは特に表情を変えはしなかった。

 むしろ、そんな態度に俺と王太子が弱ってしまう。


 いや、単なる言い訳ではなく、トラキア西部や北西部の防衛に、レスボス島における支配は――帰属が非常に曖昧で、アテーナイヱ傀儡政権と、アカイネメシス、それにマケドニコーバシオによる微妙な綱引きが続く緊張状態でありながら、直接対決を緩和するための緩衝地帯としての役割も担っている――非常に難しい状態が続いている。

 また、王太子は過去に追放処分として一度マケドニコーバシオ外に出されていたため、外聞を意識して今は、属国化したテレスアリアはともかくとして、国外へと頻繁に出向くことは出来ない。そのため、主に俺がミュティレアとペラを行き来しているんだが……。


 会う度にエレオノーレは弱っていくように思えた。なにが悪い、なにか不足があるってわけでもない生活をさせてるのにな。

 どうにかしたい、とは思うものの、どうすれば良いのかが分からない。

 先生には『男女の心に関する薬はないですし、あっても使うべきではない』と、諭され……付かず離れず、当たり障りのない話を繰り返すだけ。だが、近頃は会話に詰まることが増えてしまい、エレオノーレに会った後、溜息をついてしまうことが増えてきていた。

 俺が会いに行かなくても、向こうにはネアルコスがいるので、そう変なことにはならないはずなんだけど、な。

 ただ、そうした現状、こっちが言いたい言葉はいつも飲み込まざるを得ない。


 アデアは、王太子の追放令が撤回された日以降、エレオノーレに関して口にすることは無くなった。

 いや、むしろ、エレオノーレという人間が存在していないかのように振舞っている。


 二人の間になにかあったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

 逆に、いつまでも婚約のままで結婚しない俺に対して、エレオノーレの名を口にしないことで圧力をかけるという駆け引きなのかもしれない。事実、ミュティレアから持ち帰る、絹やコメとかいう穀物、それに、様々な珍奇な品は喜んでいるし。


 国際情勢もそうなんだが、どうにも女の心の中というものも複雑で難解なモノらしい。

 戦いのように、もっと、こう、スパッと両断できるような問題ばかりなら良いんだけどな。

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