Aspidiskeー3ー
「大将」
背中から呼ばれて、ドクシアディスとの雑談を打ち切る。
まあ、コイツも多少は分かっている人間だから、もし、奴隷を買うとかで食い扶持を増やした場合はきちんと報告してくるだろうし、エレオノーレと違い、ほっといでも大丈夫だと考え、競りを任せていた仲間の方に合流する。
「予定した量は揃えられたんだが……のう」
購入費用も確認するが、充分満足の行く結果だった。少しは余裕が出たな。
ふむ。
ドクシアディスが本気で奴隷を買うようなら、貸し付けてやろうとして向き直ろうとしたところ――。不意に視界に入った原料皮の値段に視線が止まった。
「アレはなんだ? 質も悪いってわけじゃなさそうだが」
牛革だが、傷みが確認できない。にも拘らず、これまでの競りの相場の半額以下の値で推移している。
「うん? ……ああ、アイツ等はマケドニコーバシオの御用商人だよ」
好々爺然としたご意見番が、特に表情も変えずに、やや服装が俺達やここいらの連中とも違う一団に視線を向ける。
ふうん。あれが、マケドニコーバシオのお抱え商人、か。
お、落とされたな。
結局、相場の五分の三って所で落ち着いている。随分安く買い叩かれてる、とは思うんだが、まあ、分からない話でもない。同じ言葉、そして、同じ神話と文化があるもののかつては異邦人と結んで、
マケドニコーバシオをヘレネスの一員とすることに、彼の国とかつて戦った都市国家の一部は強硬に反対している現状があるんだし、質は別としても輸入国を知られれば敬遠する人間も少なく無い。
まあ、確かに東方の大国アカイネメシスと国境を接していたという地理的な要因は大きかったが、それを考慮しても、ヘレネス社会に牙をむいた、という事実が重くのしかかっている。
現国王も、一時期ヴィオティアに人質とされていたんじゃなかったっけ? まあ、ラケルデモンの、しかも田舎の少年隊の野営地に入る情報は少し遅いので、もう代替わりしているかもしれないが。
「大将、どうするんで?」
俺の顔を見ていたご意見番が――内心を悟られたとは思わないが、いや、まあ、まじまじと見ていたので、なにかしらの行動を起こすものだと推察したのか、そう訊いてきた。
「妥当な値まで吊り上げて買ってやれ」
今日の予算の余った分を計算し、あの連中が持ち込んだ残りの商品の量をざっと目測で把握してそう命令した。
「買うにしても、他の二割増し程度に抑えて利益を確保した方がいいのでは?」
「これは、投資だ」
ピクッとご意見番の眉が動いた。
商売においては、俺はまだ初心者だ。どちらかといえば、こちらの意見に誤りがある場合には訂正してもらうつもりで俺は説明を始める。
「俺等は、内部で加工できる。相場の標準的な値でも、戦時中の今は革製品の需要は多いし、充分利益が出る。しかも、今後のアイツ等からの取引をも独占出来るなら、逆に儲けは大きくなるだろ? ここの市場でのマケドニコーバシオ産の物品の取引量は、少なくないようだしな。それに今の俺達は、縁を結ぶ国は多いにこしたことは無い」
「成程」
満足の行く答えだったのか、ご意見番はそう答えて競りに参加を――。
「あ! まて……」
俺に呼び止められ、足を止めたご意見番。
マケドニコーバシオの商人の様子を窺う。船を持っているという感じではないな。多分、山路を荷を引いて来たんだろう。モノも少ないしな。
「ふむ」
ここから更に北の国、か。
「やっぱり止めますかい?」
少し焦れたように訊かれ、俺は首を横に振った。
「いや、違う。むしろ逆だ。高く買ってやる恩をだしに、マケドニコーバシオの港の場所と、経由のための口利きを頼めないか? 向こうが誘いに乗ってくるようなら、俺達の船か借り上げた宿へ呼ぶ」
「はぁ?」
素っ頓狂な声を上げられ、視線をそちらに向かせる。
いつの間にかドクシアディスがこちらに合流していた。奴隷は連れていない。結局買うのは見送ったんだろう。
ご意見番にはそのまま競りに参加してもらい、ドクシアディスの方に向き直って少し離すことにした。
「お前、前に俺に言っただろ。エーゲ海の東の島嶼部を狙ってはどうか、とな。都合のいいことに、アテーナイヱ人も手駒になった。試してみない手は無いだろ?」
ん? と、口元を隠し、かすかに首を傾げたドクシアディス。
「悪巧みの図面が仕上がったのかい?」
「仕上げるための下調べ、だ」
そう、マケドニコーバシオは、版図は広く人口も少なくはないが、牧畜を中心とした国で、技術も文化もどちらかといえばヘレネスの下層域だと聞いている。しかも、交易ではここでも見られるように、利益を充分に上げられていない。
付け入る隙は、充分にあるような気がする。
利益をちらつかせて、兵隊を引っ張ってこれるかも。どの道、どこかの島を盗ったとして、早めにどこかと同盟は結ばなければならなかったんだし、俺達が捻出できる金額でも、マケドニコーバシオ相手なら相対的に充分な価値となるんじゃないか?
「期待してるよ、大将」
本気で期待しているのか疑わしくなるぐらいの軽さでドクシアディスがそう告げた。
フン、と、いつも通り俺は鼻を鳴らして答える。
「任せとけ」
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