夜の終わりー4ー
政務でプトレマイオスが忙しいと分かっているから、敢えて呟くように俺はひとりごちた。
「……俺は鈍いんだろうか」
「なんだ、急に?」
顔をこちらに向けないプトレマイオスは、あくまで片手間に聞いている。が、その方が話しやすい。重く受け止められ過ぎても、それはそれで面倒だから。
ただ、ここでいきなり、アデアに対する思いの変化や、自分自身の心情の深い部分を口にする事は出来ず、俺が言っても自然な事例を思い浮かべて――。
「……いや、今回ラケルデモンと共闘したわけだが、その際にレオから郷愁の念や、
それで? と、口には出さずにプトレマイオスがテーブルに肘を衝いて雑務の手を止め、こちらへと視線を向ける。
仕事の話だと思われたのかもしれない。
現在の亡命ラケルデモン人は、戦後のどさくさでラケルデモンに帰国し親マケドニコーバシオ派となっている者や、俺の部下として残っているもの、異母弟に仕える者、単なる傭兵や市民と、いくつかの小集団に別れ、既に統合された集団としては機能していない。
もっとも、それらの人の動きの観察記録は、いずれ来るであろうラケルデモンとの戦後を想定し、こちらにあの連中を組み込むための演習でもあるんだろうが。
「その時は、考えもせずに突き放した。考えるべき事だとも思わなかった」
予想通りというのが半分で、お前は、と、呆れている顔がもう半分のプトレマイオス。
だがしかし、一拍後には言葉の裏の意味に気付いたのか、貌を引き締めて続きを促してきた。
「再考に至った切っ掛けがあったんだな?」
尋ねる口調ではあるものの、断言していることが表情や声色から解る。だから、俺は頷いて続きを口にした。
「今回の戦いで、自分でも気付かない内にだが、エスパメイノンダスにどこか共感していた部分があった。国家の力関係がはっきりし、いかんともし難い戦力差を自覚しながらも、戦いを選んだ戦士、とな」
状況は違うかもしれないが、ラケルデモンの国家内部で敵視されながらも凌ぎきったことや、その後、激変する世界の中をさまよった経験が親近感の元になった。エスパメイノンダスが全てを知ったとして、俺を同じ様に見るのかは分からないが、少なくとも俺はそう思った。
「アイツは敵だった。そして、こちらに引き入れる可能性はなかった。しかし、似ていた」
閉塞的な状況から必死で足掻く姿勢が。そして、単純に一人の男が時代を急にひっくり返したという英雄譚に、感動と興奮さえも覚える。
そんな敵と戦える事は、嬉しかった。気に食わない連中との共闘や、不十分な戦士を率いることに不満があったとしても。
いや、軍としての戦いに、そんなケチがついていたからこそ――。
「ただ……。戦いの終盤、逃散する兵をまとめて敵側面を強襲した時、エスパメイノンダスは逃げたんだ。無論それは将として間違った判断ではなかった。だが、あの時点で彼程の男ならこの戦後を予見できたはずだ。ラケルデモンを追い詰めるも、増えていく損害。建て直しにかかる時間。ほぼ無傷で残ったマケドニコーバシオ、秘密協定から離れ自国の利益を優先しだしたアカイネメシスとアテーナイヱ」
変な言い方になるかもしれないが、エスパメイノンダスはいくらでも良い思いが出来たはずなのだ。国家を消滅させるのは容易ではない。大人しくラケルデモンとマケドニコーバシオが戦うのを待ち、その後、勝った方の陣営に与し、ヴィオティアの支配権の保持を認めさせ、国を保ってゆく。それは、そう難しい事でもない。
だが、それをしなかったのはやはり、戦略を思いついてしまい、それを自分ならできると確信したからに他ならないのだ。強烈な自負心、そして、自らが何者であるのか、全て――自分の命だけでなく、国家や国民まで――を賭けてでも知りたいと、独善的に願ったからこそ、起こった戦争だったはずなのだ。
そんな相手だからこそ、最後に残るのは闘争だと信じていた。
己の命だけを手に、なんのしがらみもなく、殺しあえる気がしていた。
「あの時点で逃げても、恨みを買い過ぎていて、普通の生活を取り戻す余地はない。年齢的にも、次の――今回以上の戦場を手に入れられなかったはずなのに、なぜ俺と戦わなかったのか。それがずっと引っ掛かっていた」
「どういうことだ? 報告ではお前の投槍が致命傷となったとあったが」
静かに話を聞いていたプトレマイオスが、慌てたように口をはさんできた。
どんな誤解をしてるのかは想像に難しくない。俺自身、勝手が過ぎる傾向は自覚しているが……アレを飼うほど酔狂でもないぞ?
予想以上の信頼の無さに、目を細めつつも自嘲めいた笑みを浮かべ、足を組んでその上に肘を乗せ、頬杖衝く。
いいから続けろとでも言うように、プトレマイオスが顔の前で手を横に振れば、笑みを張り付けたままで俺は続けた。
「ああ、確かに、俺はエスパメイノンダスを殺した。ただ、それは俺の望んだ戦い方じゃなかったんだ。アイツは、最後の最後に俺と正面からぶつからなかった。どこか裏切られたような……」
裏切られた……? あの男に? それは間違いじゃない。だが、そもそもがあの戦場での鬱憤の始まりは……。
「うん?」
不意に笑みが消えて言葉に詰まっている俺に、プトレマイオスは首を傾げ、しかし、俺自身の言葉を促すように促してきた。
顔を上げる。
いや、天井を仰ぐ、か。
気で補強され、砂を元に作られえたレスボス島の白いセメントの天井の複雑な模様が目の前でうねる。
「いや、裏切られたと感じたのはラケルデモンに関しても、なんだよな。この場所でラケルデモンの敗北を聞いても実感はなかったんだが、ああして戦場で並び立つと、その凋落ぶりを肌で感じた」
戦場の王の戦死は、おそらくかつてのアカイネメシスとの大戦争以来の事じゃないかと思う。そして、大戦争では王を失いながらも最後まで戦い抜いたラケルデモン陸軍は、今や王の死で混乱して敗退寸前になった、と。
「期待があったわけじゃないんだ。しかし、最盛期を過ぎた国家とはこんなものかと思うと、やはりどこか」
エスパメイノンダスもそう、ラケルデモン兵もそう。
最後の最後は逃げ出すのだ。
……いや、俺自身も勝てない戦いからは逃げる。
だが、上手く言えないが、逃げたら終わりの戦いだってあるはずなのだ。なぜそれが分からないんだろうか。ただ死んでないだけで、命の意味なんて分かるのか?
「……少しの寂しさを感じた」
うん、寂しさだったと思う。
同じ望みで戦場に立ち、敗者が勝者の糧となればいい。そうでなければ、辿り着けない場所がある。そのために、俺も死体を積み重ねてここまで登りつめてきたんだ。
そうでなければ、全部無駄になってしまう。最後に得た教訓が、自分は間違っていた、なんて納得できるものか。
「…………? ああ。違う。誤解してほしくはないが、向こうに戻りたいわけじゃないんだ。その気持ちが自分の中に無いから、つい言い忘れるだけで」
ふと、視線の妙な湿度に気付いてプトレマイオスの方へと顔を向ければ、不安たっぷりの表情を見せられてつい苦笑いを浮かべてしまった。
これも忘れてはならないことだが、どうも俺は放っておくとどっか遠くへいなくなってしまうと思われているらしい。
「当然だ。お前には、これからも、もっともっと働いてもらわねばならん。来るべき世界政府樹立のための世界との戦いは、お前抜きに考えられてはいない」
然り、と、どこか不機嫌そうながらも真面目ぶった顔で淡々と告げるプトレマイオス。
こういう時、プトレマイオスは安心できる。
いや、安心ではなく信頼か。
情に訴えるでもなく、しなければならない事とするべきことを冷静に口にされるのは、解り易くて良い。
俺は足を組みなおして、さっきよりもざっくばらんに語りだす。
「自分自身の感情に驚いたんだ。特に意識してたわけじゃなかったんだが、俺の中にも故郷としての……いや、魂のアクロポリスとしてのラケルデモンがまだあったんだな、と。もはや古い体制だと理解はしている。のに、どこかそれを他人に求めていた」
他人の感情を読むのは苦手だ。
だが、それと同じぐらい自分の感情も解っていなかったとは。
「……良い機会だな」
「なにがだよ?」
こちらとしては困っているのに、そんな風に返されれば、機嫌が悪くなるのは当然で、即座に食って掛かる俺。
しかしプトレマイオスは、その反応さえも織り込み済みだといった態度で、楽しそうに続けた。
「じっくり悩め。お前は、今までそうした事を置き去りに出来てしまっていたんだ。他の能力で補うことでな。エレオノーレ殿をそばに置いたのも、無意識ながら自分と違うそうした部分を欲しての事だったんだろう。……もっとも、それを掴み損ねたせいで拗れ、今になって悩んでいるんだから」
褒められてるんだか、貶されてるんだか分からなくて、表情を作り損ねた唇がひん曲がる。八割がたは文句だと思うが、二割ぐらいはそれでなんとなか出来た事実を褒めてるような?
「これまで、私や他の仲間からの忠告を聞き逃しているからそんなことになるんだ」
困っている俺を、清々したような笑顔でプトレマイオスが笑うものだから、つられて、はは、と、笑ってしまった。
「違いない」
が、そこで――というか、俺を評する際に出たエレオノーレの名前が、触れてほしくない傷口をえぐったせいで、ようやく訊きたかった一言が口から零れた。
「――しかし、プトレマイオスの言が正しいとすれば尚更。俺よりも、アイツの方が周囲と折り合いをつけるには、どうしなければならないのかは分かっているはずなんだ。なのに、なぜなんだろうな?」
互いの表情が引き締めまる。
視線がぶつかる。
プトレマイオスが真剣になったのが、そこから解ったが……。
「複雑な悩みや葛藤を持つのは、お前だけではない。その代償を判断する基準もな。理由は、お前自身がエレオノーレ殿の口から直接聞くべき事だ」
結局はそう突き放されて、俺は溜息を飲み込む。
そして、付け加えるように、心からの笑顔で、これまでの意趣を全部お返ししてやるとでも言うように楽しそうな声で告げられた。
「鈍い男め」
椅子から立ち上がり――。
「結局、皆、それでまとめんじゃねーよ」
長剣を担ぎ頭の後ろで腕を組んで、背中を向けたままで言い返す。
エレオノーレの事は話せず仕舞いだったが、ともかくも、他人に頼れる問題ではない、ということは自覚できていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます