Alphekka Meridianaー26ー

「すまん。テレスアリア兵の掌握に失敗し、正直、かなり危うい状態だった」

 開口一番、最も気掛かりだった事を俺は口にした。対外的な演出と現実的な評価はきちんと分けて当然の事だったし、俺自身もここでなんのお咎め無しでは寝覚めが悪い。


 ここは陣所の最奥で、周囲を味方のマケドニコーバシオ兵のみで固めている。人目を気にする必要はない。

 しかし、王の友ヘタイロイや王太子側の反応もやや微妙なものだった。クレイトス辺りが、まず、軽口のひとつも叩いて来ると思っていたんだが……。幾人かは顔を見合わせやや言い難そうに、また幾人かは視線を泳がせつつ、顔を俯かせる者も少なくない。

「いや……悪いな。こちらも誤算が多かったのだ」

 誤算? と、王太子へと訊き返す。

「ここまで長引くとは思わなかった。まさか、占領した陣地を即座に放棄し、一直線に突破するわけでもなく、じわじわと戦力を削ぎに掛かるとは」

「ああ……、それは……そちらも大変な状況だったな」

 やけに国境線の再封鎖に時間が掛かっているとは思っていたが、それはマケドニコーバシオ本国の国論をまとめるためであったり、安全策――無理な城攻めをせず、包囲して兵糧攻めしているせいかと思っていた。

「ただ、敵の損害もかなりのモノじゃないのか?」

 防衛陣地を捨てて戦うなら、攻め手側となるしかない。防衛線の要塞間の移動時を狙って攻撃したとしても状況は五分がいいところだったはずで、城攻めした時よりは犠牲そのものは少なかったんじゃないかと思う。

 王太子は軽く嘆息して答えた。

「殲滅し、残党は駆逐した。だが、こちらの損害も、な。要塞の一部を敢て破壊していたのだ。手薄な地点ばかりを執拗に狙われ、迎撃体勢が整うまでの間、予想以上にお前の軍団兵を失った」

 忸怩たる思いなんだろう、王太子の表情は険しい。

 しかし、ヴィオティア軍……いや、その指揮をするエパメイノンダスも相当のやり手だな。占領地を放棄して嫌がらせに専念するなんて、最初から勝利を捨てた戦い方だ。それを兵士に実行させるには信頼だけではなく、もっと……こう、妄信や依存に近いような、そんな複雑な人身掌握を行う必要がある。そして、それだけの好意を集めながらも裏切る冷徹さ、が。

 無論、撤退条件や状況毎の細かな指示もあり、全滅は向こうとしても予想外の損害だった……のだと思う。


 王太子に続き、邀撃に当たっていたというクレイトスが言うには「速度に勝る騎兵が出れば山中に散会しあがったンだ。んで、狙われんのも築城中の補助兵や、輸送や補給隊ばっかりだ。クソ腰抜け共が」と、テーブルをひざで蹴り上げる。普段のフリではなく本気で苛ついている様子だった。

「結局、どうしたんだ?」

「山岳を薄く広く包囲して、敵を見つければ騎兵を終結させ、数で押し切った。それの繰り返しだ」

 まあ、それ以外に手段もないか。火をつければまとめて処分もできるだろうが、周囲への影響も大きく、風向きによってはかえってこちらが不利になる。

「……ま、敵だって生きてるんだし、こっちの思い通りって事も無いだろ。それに、テレスアリア兵の結束には乱れが出ている。それは、俺の失策だ」

 状況は分かったがので、これ以上の謝罪合戦も無益だと判断し、俺は議論を最初に戻した。少なくとも、このままここの指揮は続けたくない、という本音も少しは混じっているかもしれないが。

「まあ、それも含めてな」

「ん?」

 曖昧に笑う王太子に首を傾げて見せると、今だから言える、とでも付け加えたそうな顔で「どちらかの防衛線を敵は攻めると思っていた。というか、むしろ、後方遮断に出ている己達へ拠点の兵士が向かうと踏んでいたので、必ず背中を見せた敵を襲う兄弟に任せたんだがな」と、少し残念そうに呟いた。

 ああ、俺もその状況の方が好きだった。

 確かにテレスアリア軍は寄せ集めだが、数だけはそれなりに揃えていた。挟撃や迂回は兵の落伍や離脱を招いてしまうが、全力突撃ならば、まあ、可能ではあるだろう。完全な掌握は出来ていなくとも、尻を蹴っ飛ばして進軍させて戦端が開かれればそのまま乱戦に持ち込み、混乱を拡大させ――止めに、重装騎兵ヘタイロイの突撃の衝撃で粉砕する。

 まあ、俺達の戦い方はそうだな。

 ……だからこそ敵は、こうした戦術を選んでいたのかもしれないが。


「ともあれ、見せしめの意味でも処分はしとかなきゃなんネェだろ」

 少し考え込んでしまった俺をからかうように、クレイトスがようやくいつもの調子で絡んできて、リュシマコスがそれに続いた。

「ああ、丁度良いのがあるじゃあないか。アーベルにぴったりのがな」

 なんとなくなにが命じられるのかを察した、が、自分からそれを口にするのもなんだか面白くなくて、王太子が言い出すのを待つが、俺が心を決めるだけの猶予も無く王太子は言い放った。

「ラケルデモンへの援軍に向かってくれ。土地勘があり、連中の戦術・戦略にも精通し、協調戦闘も可能な兄弟こそが適任だ」

 最初に作戦を聞かされた段階でそうなるかもしれないとは思っていたが、正直、かつての母国に他国の軍隊を率いて援軍に向かうというのもなんだか複雑な気持ちではある。

 っていうか、かつてのラケルデモンなら、俺が援軍を率いてきたなら、まずは俺と一戦して殲滅するぐらいのことはしてくるだろう。というか、そうあって欲しくもある、未だに。

 即答せずに「ラケルデモンとの秘密同盟は?」と、本国側へと働きかけていたことがどうなったのかを――正直、同盟が成立しないまま援軍を出すはずが無いので、訊くまでも無いんだが、一応、訊ねてみる。

「成立した。条件は概ねこちらの思惑通りだ。メタセニア以東、または以南に攻め込まれたくはないんだろう。向こうも相当追い詰められてるな」

 パルメニオンに顔を向けるが、パルメニオンも今知った様子でゆるゆると首を横に振っていた。

「……目の前で篭城している兵士はどうする?」

「問題ない。降伏勧告を受け入れるそうだ。リュシマコスが条件を詰める」

 降伏? ここにきて?

 眉根を寄せてしまうが、同じ懸念は皆が抱いていたようで、何人かの王の友ヘタイロイと視線がぶつかり、そのまま頷かれてしまった。

 んん、と、軽く唸った後、王太子に訊ねてみた。

「救援がくる見込みがなくなったので、投降します……か。普通なら当然の反応なんだが……。しかし、これまでの敵の動きから察すれば、なんらかの罠の一部の可能性があるぞ?」

 身代金をアカイネメシスの出した金で払えるので、戦略が破綻した今、無駄な犠牲を避けたいのかもしれない。他にも、奴隷として売られた上で、後方や安全地帯マケドニコーバシオ国内で騒動を起こすつもりなのかもしれない。

 ぱっと今思いつくのはそのぐらいだが、今回の戦いでエパメイノンダスがかなりの食わせ者だと判明しているので、もっと複雑な戦略がある可能性がある。

「無論だ。だから、身代金は支払えない額を吹っかける」

 じゃあ、国内で監視下に置くことにするのか。しかしそれでも脱走の不安は尽きない。気の早い俺やクレイトスが口を開こうとしたが、それを手で制して王太子は策士の笑みを浮かべた。

「奴隷としての販売先は、アカイネメシスだ」

 幕僚もその話は今聞いたのか、少しざわついている。ヴィオティアはアカイネメシスと同盟している事実はすでに明らかにしているので、なぜアカイネメシスなのかを疑問に思っているんだろう。

 俺も訝しみはしたが、それも一瞬のことで軽く鼻で笑ってから確認するように呟いた。

「アカイネメシスの奴隷への待遇から、今後の出方を窺うのか」

 うむ、と、頷く王太子。

「本気でヴィオティアと組むつもりなら、必ず奴隷は返還されるだろう。ギリシアヘレネスの弱体化を狙うなら、奴隷は更に遠い異国へと売られていくはずだ。他にもいくつか可能性はあるが、レスボス島から動きを探らせつつ目的が分かった時点で捕虜が再び戦線復帰しないように手を打つ」

 ……まあ、プトレマイオス辺りは『まためんどくさい仕事を!』なんて怒りそうだが、結局は上手くなんとかしてくれるだろう。あの小さな島に相当数の王の友ヘタイロイが入り込んでいる。それだけでなく、既に住民に溶け込んでおり、裏工作にはうってつけだ。。

「しかし、兵士はどうするんだ? お前さんの軍団を再編する時間はなさそうじゃないか?」

 リュシマコスがそう指摘したので、俺は、一度王太子と視線を合わせた後、軽く笑ってから公然の秘密だったことをついに公にした。

「亡命メタセニア人を押さえている、それを投入する。ラケルデモンも、メタセニア復興を認めざるを得ない形で決着を付けさせよう」

 レオも、折角なので現役復帰させて副官として使うつもりだった。

 アルゴリダの一件で目覚めはしているようだが、未だにラケルデモンへの固執が強く、異母弟へ悪影響を与えることもあると聞いている。もう一度、今の視点からラケルデモンを見せておくべきだろう。


 他の王の友ヘタイロイもバカじゃない。そして、多少の秘密はそれぞれ抱えているものだ。俺が俺として振舞うように、クレイトスにはクレイトスの役割があり、同じように王の友ヘタイロイそれぞれがその得意分野で実力を発揮するための切り札を胸に控えている。

 周囲の驚きは少なかった。

 決着までの道筋は見えてきた以上、後はそれを実行できるだけの力量があるか否か。問われているのはそれだけだ。

 いや、実力だけではなく……。

「戦いにおいては、ラケルデモンの戦術に則って運用させる。かなりの犠牲は出るだろうが、それでいい」

 俺の言い草に、うん? と、何人かが首を傾げた。

「エレオノーレをマケドニコーバシオの王族と娶せ、間接支配する。それには、メタセニア人の武力は邪魔だ。初動において、軍事の主導権をこちらが握る」

 そう、実力だけではなく、そんな非道を実行できる王の友ヘタイロイは俺を置いて他にはない。それが汚れ仕事であるか否かは俺には関係ない。俺は俺の才能を発揮し、事を成す。

 最後に俺は軽く肩を竦め「今回のようなへまは、もうたくさんだ。各都市のまとまらない援軍で、掌握に時間を掛けるのではなく、指揮系統は最初からこちらが握り紐付けされた軍隊を作る。結局は、それがメタセニアの幸福にもつながるだろうよ」と、会議をまとめ、本土側の戦後処理を王太子に任せ、レスボス島へ向けてその日の内に出立した。

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