夜の始まりー9ー

 気持ちを切り替え、プトレマイオスに気持ちは分かると歩み寄るような表情を向けた上で、俺は答えた。

「知ってるよ。ここが東西交易の結節点であり、各国への窓口であり、ひいては未来における東征の起点となるんだろ?」

 まあ、これまでは、この流れで多少は溜飲が下がっていたはずなんだが、今日は機嫌が悪い日だったのか、珍しく乱暴な動作で近くの籠に入っていた木片――報告用に前線の部隊が使う簡素な物だな。まだ墨が乾ききっていない物もあるし、ごく新しい――を机の上に広げた。

「ラケルデモンが、エーゲ海東岸都市で頑張ってる。おかげで、ラケルデモン遠征軍とラケルデモン本国の兵站線の遮断を狙うアカイネメシスが圧力をかけてきてる」

 ラケルデモンとアカイネメシスとの全面衝突は起こっていない、と、思う。ミュテエィレアとアカイネメシスとの間にも。港の感じから察するに。

 つか、それが出来ない理由も把握しているし。

 だが、報告を見ると、中々に嫌なことが書かれている。

 軍船を寄せ、衝角攻撃と見せかけた威嚇や、航路の妨害。若干の海賊行為――荷を抜いて、船は返すという、戦争の口実となることを避けたいやらしいやり口だ。


 視線を再びプトレマイオスへと向ければ、形の良い眉を歪ませ、目も細めて睨むように俺を見た。

「逼迫している、と、考える。どちらが動いても不思議はない。陸軍国ラケルデモンに備えるため、テレスアリア防衛の強化を図ることもわかるが、ラケルデモンが陸上から侵攻した場合、その道中には帰属を明確にしていない多数の都市国家がある。それら全てが唐突にラケルデモンに傾く可能性は低いな?」

 頷かざるを得ない。

 任意の協力や同盟だけではなく、買収や恫喝も辞さずに緩衝地帯の構築と維持に本国側では努めている。万全とはまだ言えないが、いざ戦争になった際に充分な遅滞効果は期待できる程度にはなってきている。陸の方では……。

「現在ラケルデモンがアカイネメシスと対峙させている兵は相当だ。アカイネメシスとの和平もしくは休戦が再び成れば、次に危うい場所はどこだ?」

 かつての説教を思い起こさせるような、プトレマイオスの物言いに、俺までもが溜息を吐くわけにもいかず、仕方なく俺は圧力負けするような姿勢で返事をした。

「……ここだよ。マケドニコーバシオがトラキアをだいぶ奪ったからな」

 この件に関しては、秋にプトレマイオスから懸念を伝えられていた。しかし、本国側では、トラキア人の越境しての略奪を見過ごすわけにはいかず――それを放置すれば、市民感情が悪化する――恒例行事を強く止める事も難しかったのだ。

 アカイネメシスはトラキア支援の色を見せ始めているが、軍を派遣するってわけじゃないのも、領土拡大に傾く要因になったし。


 ラケルデモンにしても、アカイネメシスにしても、いつこちらに矛先を向けても不思議じゃない。

 だが、こちらも無作為に国土を拡大しているわけではなく、充分に事前情報を集めている。プトレマイオスから視線を外し、ラケルデモンが戦える状態に無いという情報源に向かって問い掛けた。

は、なんて言ってるんだ?」

 レオは無言で首を横に振り、言葉で答えたのはプトレマイオスだった。

「なにも知らせずに、各戦場で使い潰されているままだ。全てを鵜呑みには出来ん」

「だからだろ? ラケルデモンは、今、正規軍をほとんど国外に出していない。ちなみに、勧誘はどうなってる?」

 再度レオに問えば、珍しく難しい顔で答えを渋り――。

「何を以って順調と呼ぶのかにもよるのですが……」

「兵力は?」

 と、具体的な数字を求めてようやくレオははっきりとした状況を口にした。

「四百と少し、すでに秘密に出来る範囲を超えつつありますな」

 微妙と言えば微妙な数字だ。

 独立した部隊として運用する上では、少なすぎ、かといって俺の指揮下にある軍団と混ぜるにはやや数が多く、取り扱いにも難がある。


 ふむ、と、頷いてから、運用について少し考えて見る。

 千ほど集まれば、兵站線を自前で維持できる独立行動可能な軍団として前線投入を視野に運用を始める予定だが、冬の間の増員はいまひとつだったらしいな、というのが本音だ。状況が状況だし、手広くと言うよりはこっそりと勧誘している以上、数に関して不満は言わないが、脱走や訓練中の死者を勘案しても五百はいってて欲しかった。

 軽く唸る俺に、プトレマイオスがどこか不安そうな顔で念を押すように確認してきた。

「と、いうか、お前はそれを本気で報告しないのか?」

「本国側も、なにがあるか分からないからな。敵は他国にいるだけじゃない」

 この部分に関しては、俺は全く妥協せずに強く言い切った。

 と、いうか、王太子も本当は概略程度なら知っている。俺がこの島で準備している秘密部隊については。ただ、大変なので、そういうことにしているだけだ。

 に忠誠心は求めていない、マケドニコーバシオ国内のいずれの勢力にも属さないことを、運用している俺が重視しているから。主義的には完全に反ラケルデモンであり、ギリシアヘレネスの文化を持ちつつも自前の国家と文化の全てを失った連中。

 亡国の民、メタセニア人による軍勢。

「この島が戦場になる場合にも、そうした実態を他国につかまれていない部隊は有効だろ? 分かりきっている大軍と覚悟した上で対峙するよりも、予想外の小勢による奇襲が敵の意志を挫く場合もある」

 それもそうだが、と、語尾を弱めてプトレマイオスは引き下がったが、納得していないことは表情を見れば明らかだった。

 そう……。

 ラケルデモンは、アテーナイヱとの戦争の時点で既に相当に追い詰められていたらしい。俺だけではなく、レオも、はっきりとした証拠を掴むまでは確証がもてなかったが、ラケルデモン軍は自国の市民の人口の減少を補うために、農奴であるメタセニア人の中から本来は処刑部隊が消していた健康で野心のある成人男子を集めた、奴隷ヘロット隊を組織し、戦後の論考により奴隷から解放すると言いくるめて各戦場へと送っていたのだ。

 そう、俺達が、サロ湾の闘いのあとの戦いで剣を交えたのも、おそらくは……。


 そして、これも分かりきっていることだが、奴隷解放の約束は守られることはなく、戦闘で生き残ったメタセニア人は秘密裏に殺され――一部が、俺達の場所まで逃れてきた。

 勧誘はエーゲ海東岸都市での小規模な軍事衝突の際に、最前線で行なわれている。俺やレオ、そして、亡命ラケルデモン人だからこそ、ラケルデモン軍に紛れ込むことも、脱走を手引きすることも出来るのだ。

 国に関する一切の記録の残っていないメタセニア人は、逃れついたこの島の発展の前に圧倒され、エレノーレの存在と偽りの歴史を涙ながらに受け入れる。

 ウソで塗り固めはしたが、誰も不幸に成ってはいない。

 最大限に大多数を幸福にしてやっているんだから、俺と王太子、ひいては王の友ヘタイロイの仲間のために利用する程度の事で非難されるいわれはない。

 それに、最近は、無産階級より下の人間は、むしろ積極的に騙され、支配されたがっているんじゃないかと思ってしまうことも増えた。

 自分の人生を自分自身の足で歩むことは、人であるのなら当たり前にできなければならないことなのに。……いや、だからこそそれを見失ったら、他者に依存してしまうのかもしれないけどな。


「島の王の友ヘタイロイ部隊による防衛強化案は、お前が再び離島するまでには提案する。その間に、お前自身の目で最前線の視察も行なえ。それと――」

 プトレマイオスが指し示そうとして迷った指先から、なんとなく察し「ああ」と、返事をして、この後は神殿の方に先に向かうことにする。

 後回しにすれば、どんどんそのまま延ばしてしまいそうで。

 もしかしたら、今日のプトレマイオスの機嫌が悪く、しかし、文句そのものは短かったのは、エレオノーレの我侭の影響もあったのかな、なんて邪推してしまいそうだ。


 ふと、視線に気付き、肩越しに振り返れば、まだなにか言いたそうな顔をするプトレマイオスと視線が合い――、溜息のような笑みで、俺から話しかけた。

「脱走農奴ヘロット隊……まあ、ここでの正式呼称はメタセニア救国軍だが、あいつらをまとめる上でも、必要なんだろ?」

「気の使い方にも色々ある。いっそ一息に、立場や距離をはっきりさせてしまうのも正義だぞ?」

 今や汚れ仕事を一手に引き受ける最凶の王の友ヘタイロイである俺に正義がどの程度あるのかは疑問だが、かつて俺の教育係でも会ったプトレマイオスに右腕を上げて応え、今度こそ俺は部屋から出た。



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