―Πολιτικα’―
座学のためにプトレマイオスの部屋を訪ねる。
貴族らしい部屋だと俺は思うんだが、これでもどちらかといえば慎ましやかな方とのことだ。うっすらと青みがかっている灰色石灰石の床に、熊の毛皮の敷物が二つ。その上にはオークの椅子が向かい合わせに置かれている。
部屋の奥の椅子にはプトレマイオスが座っている。
入口の横には、等身大のネメアーの獅子を絞め殺すヘーラクレースの青銅の像が置かれていて――。プトレマイオスの椅子の横の石のテーブルには赤紫の外套が敷かれ、その上に兜と盾、そして、俺の剣とは違い、切るための丸みの無い両刃の直剣が鞘に納まったまま並べられている。他にも、香油の入った陶器のアラバストロンが吊り掛けられ、独特の香りを部屋に漂わせている。
ああ、これは、月桂樹だ。もう春だからな、黄色の花が咲いている季節だ。
プトレマイオスは座ったまま、掌で椅子に座るよう促してきた。
俺は、適当な柱に剣を立て掛け椅子に座り、やや前景姿勢で手置きに肘を乗せて、頬杖をついた。
記録係を買って出たプトレマイオスの少年従者が、羊皮紙への筆記を始めている。
【プトレマイオス曰く】
それでは、最初に基本である政治学から学んでもらう。
まず、最初に行われていた政治は、王が民衆をまとめ、個人の才能により国策を決定する王制だ。ここ、マケドニコーバシオはやや特殊なので別で語るが、王制に関しては、王制を維持しているラケルデモンの人間であるお前にとっては、お馴染みのものだろう?
まあ、ラケルデモンはセタセニアの併呑で国土が広大となり、最強の陸軍国ともなったことで、内政の王、外政の王、中央監督官の三つの統治機関が並立してはいるが、市民の政治参加は他国と比べれば限定的だ。民会では……。
【アーベルは答えた】
ラケルデモンの場合、監督官の任命および、子供の選別が主な議題だ。
裁判に市民の意見は反映されない。基本的には中央の決めた法で裁き、それ以外の場合にはその都市の監督官、奴隷の村では村長に任される。
ちなみに監督官は、功績によって中央監督官ともなるが、いずれも一期制だ。恒久的な権力は、アギオス家とエリュポーン家だけだ。
……もっとも、両家の均衡を保つため、劣り過ぎたり優秀過ぎた人間は中央監督官が暗殺するので、王とはいえ不可侵の存在ではない。
【プトレマイオス曰く】
……ラケルデモンは、こことは別の方向に少々特殊な事例なのかもな。まあ、それ以外の王制の国は、王が自由に差配し、民会は開かれても村の労働などによる功労者の表彰や、犯罪者の裁判、治水や交通網の整備に関する陳情程度で、外交はおろか立法の権利さえも持たない。
ちなみに、王制に派生する形で現れるのが、神話時代に至る正統な血統を持たない個人が台頭する僭主制だ。広い土地を所有し、経済基盤を強め、私兵を雇い……王権を奪う。一般的には、あまり賞賛はされないが、実力のある人物が僭主となるため、初期には統治に問題をきたさないことが多い。正統な血統と言っても、国民を飢えさせては意味がないからな。
しかし、僭主の統治においては、その個人的な軍事力を背景とした圧制へと変わりやすいという欠点がある。
アテーナイヱはこれで大分痛い目を見たようだ。それによって、陶片追放という、優秀な人間を国外に放り出すための変わった制度まで導入したからな。
その後、圧制への抑止として、ある程度の権力の分散を図ることになった。正統な血統を有する家、そして、経済基盤の強化によって成り上がってきた新興勢力等、各集団の代表者の会議で国の意思を決定する寡頭制だ。古い血脈は、権力は減るが断絶の危機も減る。新興勢力にとっても、場合によっては内乱となるような危険を冒さずに権力に潜り込める。
しかし、この制度にも問題は多かった。政治中枢が、自らの利権を守ることに走るあまり、民心の離反を招き――最終的に、二十歳、国によっては十八歳以上の都市市民権を有する成人男子が全員参加する多頭制へと変っていった。民会が立法権などを持ち、議案の作成、国の代表の選出などを行う。
【アーベルは訊ねた】
代表を選ぶなら、寡頭制も多頭制も変わらないのではないか?
【プトレマイオス曰く】
いや、多頭制の場合、その時その時の優秀な人間が役職につくことで国の勢力を強い状態で維持しつつ、また、代表者会議においても、議論される議題は民会から上がってきたものに限定される。代表者の討論の結果に不満がある場合には、再度民会から要望が上がる場合もあるしな。それに、軍事や外交に関しては、細かい部分を全て開示できないだろう?
【アーベルは答えあぐねた】
…………。
【プトレマイオス曰く】
話を戻そう。つまり、政治とは、王制、寡頭制、多頭制の三種類に分類出来る。ただし、さっきのラケルデモンもそうだったように、其々が混ざり合ったような形をとる国も多い。
我等がマケドニコーバシオに関しても同じで、基本的には王制を敷いているが、国王の選択権は民会が持っているし、立法に関しても、各都市独自の裁量がある程度認められている。
【アーベルは訊ねた】
結局、どの政治形態が優れるんだ?
【プトレマイオス曰く】
どれも一長一短ではあるが、国の政治には、その国の経済が密接に関係しているため、国のあり方によって柔軟に変化させていく必要がある、と言える。
王制を敷くのは、農業国に多く、逆に商業国では多頭制を敷く国家が大半だ。
話を簡単にするなら、農業国では得られる収入は農作物の生産量だけで決まる。豊作不作はあるが、ある一箇所だけ不作という状況は少ないので、勢力の変動は少ない。富の分配が変化しないのであれば、いくら市民が変革を望んでも、そのための力――軍需物資の調達が出来ず、頓挫する。その安定的な内情は、権力者の支配を強め、統率に優れた軍を成すことになる。
一方、商業国は、……お前は、商隊を指揮していたから分かると思うが、富は流動的なものだ。ある品物が余っている国があって、その品物を欲する国がある。その間の物流を取り仕切ることで、貨幣を得る。しかしながら、品物を仕入れても、仕入れた値段以上で売れない場合もある。
農産物は、保管中に傷んでしまえば売れなくなるだろう?
逆に、戦争当事国に武器を流せば、かなりの儲けに化ける可能性がある。
極論を言うなら、昨日の富豪が、明日は乞食になっている可能性もある。そんな下地では、恒久的な権力は育たないだろう?
そういうことだ。どれが優れているという話ではない。
しかも現実的には、革や精鉄を中心とした工業国や、農業国だが物流を制限する国等もあって、どの国家にどの政治形態が合うとも言い切れない。
……そういえば、先生が新しく考えている分類を知っているか?
【アーベルは訊ねた】
先生?
【プトレマイオス曰く】
この学園都市を設立した人だ。
【アーベルは確認した】
他の皆と議論しながら歩いていたりするか?
その人なら、挨拶はしたが、俺はまだ議論に加われるほどの知識が無いからな……。
見たことはある、程度だ。
【プトレマイオス曰く】
謙遜は美徳だが、臆病にはなるなよ。
それで、先生は、国家体制を六つに分類しようとしているんだ。まず、先程話した政治形態を、単独支配、少数支配、多数支配で大きく三つに別ける。そこから更に、単独支配の場合は、国家国民のための単独支配――個人の国家への奉仕態勢を王制、私利のための単独支配は僭主制と呼称し、同じように少数支配の場合は、国家への奉仕を貴族制、私利による支配を寡頭制に分類する。多数支配に関しては、自国のために国民全てが奉仕する態勢を国政、私利のために扇動者が横行する政治を民主制としている。
まあ、これに関しては、まだ議論中の内容だがな。いずれ書物にまとめるそうだ。
【アーベルは訊ねた】
……王太子は、世界国家の樹立を目指しているんだろう?
【プトレマイオス曰く】
そう。
我々が苦労してお前に接触した理由のひとつ。覚えているか?
【アーベルは答えた】
ラケルデモンの統治権。
【プトレマイオス曰く】
その通り。しかし……、ああ、いや、変に気構え無くて良いんだが、お前は我々の傀儡にはならないだろう?
そう、それで構わない。お前はお前の判断で国を治めれば良い。
つまり、マケドニコーバシオによるヘレネス統一においては、各都市国家はその国体を維持しつつ、外交のみをマケドニコーバシオに専任する形を考えている。外国との交渉や、戦争に関する権利全般だな。
まあ、兵権を握られるのは不安かもしれないが、戦争で得た富の再分配や、なんらかの自衛制度の策定で不満を低減する予定だ。
と言うより、お前も政治に関する議論や法律の素案作成など、軍事以外の事にも参加してもらうんだからな? 関係ない、と、聞き逃すなよ。
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