ーΠερ`ι φυτω″νー

 座学のためにプトレマイオスの部屋を訪ねる。

 ギリシアヘレネスの夏は陽光と乾燥の季節で、それはこの北部の都市国家でも同様のようだった。まだ初夏だというのに、吹き抜ける風は暑く乾いている。

 部屋の窓は開け放たれており、風が吹き抜けるが、その分、外の喧騒も入ってきていた。

 部屋の奥の椅子には、いつも通りプトレマイオスが座っている。

 入口の横には、等身大のネメアーの獅子を絞め殺すヘーラクレースの青銅の像が置かれていて――。プトレマイオスの椅子の横の石のテーブルには赤紫の外套が敷かれ、その上に兜と盾、そして、俺の剣とは違い、切るための丸みの無い両刃の直剣が鞘に納まったまま並べられている。

 部屋のどこかからオレガノが強く香っている。確かに、ちょうど収穫期だもんな。練りこんだチーズかなんかを隠し持ってるようなら、あとで強請ってやるとしよう。

 プトレマイオスはそんな俺の考えを知ってか知らずか、掌で椅子に座るよう促してきた。

 俺は、適当な柱に剣を立て掛け椅子に座り、やや前景姿勢で手置きに肘を乗せて、頬杖をついた。

 記録係を買って出たプトレマイオスの少年従者が、羊皮紙への筆記を始めている。


【プトレマイオス曰く】

 元々が戦士としての教育を受けている以上、医学や薬学に関しては知識があると思うが、一応、改めてマケドニコーバシオで使われている薬草や処置についても説明しておく。

 まず、人間の体液には、食物の消化によって得られる熱を根源とする血液と、熱の不足によって生じる粘液、過剰の熱の産物である胆汁があり、胆汁はその性質から、血液に近いものを黄胆汁と言い、黒胆汁は腐敗作用のある液体である。基本的に、身体はこの四つの液体のバランスで健康を維持しているため、どれが過剰になっても不足してもいけない。これを整えるのが医学の基本知識となる。そのため、過剰な血液を出すための瀉血や、胆汁の排出を促す下剤等、疾患に応じ排出を促すことで病状を改善させる。また、不足している液体に関しては、それに応じた薬草を煎じて飲むことで本来のバランスを取り戻させる。

 ……まあ、原因の深い部分に関しては医者の仕事になってしまうので、ここでは、基本的な薬草と治療方法について話しておく。

 一般的に、比較的軽度の怪我や火傷で使われるのはアロエだ。


【アーベルは訊ねた】

 このあたりでも育つのか?


【プトレマイオス曰く】

 基本的には、原産国であるアカイネメシス支配下の古代王国からの輸入に頼っているが、少しは自生しているし……ヘレネスの南側諸国では比較的簡単に育つからな。常備するのも難しくない。使い方も簡単で、葉の皮を剥いて汁を幹部に塗る。葉肉は食べることが出来、健胃の効果もあるが、長期間摂取すると逆に内臓を痛めることもあるので、注意が必要だ。

 次いで、一般にも普及しているものがカモミール。

 こちらは水で煮出したり、ワインと混ぜて飲むことで、鎮痛や炎症を抑える作用がある。健胃作用もあるので、アロエで患部を処置した後、カモミールの抽出物を飲むことで軽い怪我は治る。

 次いで、より深い傷や火傷の治療に関してだが、患部にはオリーブ油や蜂蜜を塗って保護し、サフランを内服する。ただし、サフランは多量に取ることは禁忌なので、花ひとつ分を噛んで飲み下すようにな。


【アーベルは反論した】

 サフランは高過ぎる。縫わない傷なら、カモミールやラベンダーで充分だ。


【プトレマイオス曰く】

 なにを服用するかは、怪我に慣れているいないという問題とも絡み合いそうだが……。

 次に行くぞ。重度の切り傷の場合は、まずは止血が優先だ。パッションフラワーや、セイヨウオトギリソウ、アルケミラクサントクロラ等の薬草を飲み、血の流れを弱める。傷口をよく確認してから縫合し、軟膏を塗った上で布できつく固定する。

 また、怪我の痛みや熱で睡眠に障害がある場合には、セイヨウカノコソウの茎をよく噛んでから飲むと、寝つきが良くなる。不眠は、怪我を悪化させるからな。


【アーベルは同意した】

 ああ、大怪我した時に、熱で朦朧としつつも痛みが酷くて寝付けないことがあったな。次からは、持ち歩くようにする。


【プトレマイオス曰く】

 他に、打撲にはアカンサスの葉や根をすりつぶして塗る。まあ、これは一般的過ぎるか。あとは……そうだな、眼病にはクラリセージの種を服用し、毒虫の解毒にはオレガノを使う。

 ん? ああ、オレガノはこの部屋にもあるぞ。お前は、鼻が利くな。丁度花が蕾になっていたから、今朝がた収穫させたものだ。

 他にもタイムの葉は、戦場に赴く前、入浴時に葉を浸すか、もしくは香を吸う事で恐怖を薄れさせる。

 常備薬としては、こんなところか。


【アーベルは訊ねた】

 調合済みの怪我用の軟膏についてだが、ここではなにを混ぜ込んでいるんだ? オリーブオイルをベースとしているものが多いとは思うんだが……。エリキャンペーンの根や、セイヨウフキか? 香りから言うと、もっと他にも入っていそうなんだが。


【プトレマイオス曰く】

 すまない。ちょっと分からないな。確認してみる。

 他に、なにかあるか?


【アーベルは答えた】

 ヒソップは知っているか? 清涼感のあるラベンダーのような香りの薬草で、痩せた保水力が弱く日当たりの良い土地に生えるんだが、風邪や喉の痛みに、花のついた茎を陰干ししたものを、湯で煮出すか、粉に挽いて服用する。

 他に、麦畑なんかでよく見るヤグルマギクは、葉を煮た液で目を洗うと眼病の予防になる。あと、ラケルデモンでは、タイムよりもルリジサをワインに漬け込んだものが、強壮剤として飲まれているな。

 イヌハッカは、食あたりでよく使われる薬草だし……。


【プトレマイオス曰く】

 す、すまん。後で、先生にも報告したいので、……。いや、そうだな。アゴラにて他の仲間も呼んでくるので、そこで話してくれ。

 薬学は、どうもお前の方が詳しそうだ。ああ、いや、先生は知っていることもあるのかもしれないが、ま、まあ、一応な。


【アーベルは答えた】

 分かった。今は教わる身分なんだが、まあ、大丈夫だろう。

 単純に、ペロポネソス半島とここの気候や植生の違いから、使える薬草が違っているだけかもしれないが……。

 確かに、薬草園なんかは一度見た方がいいかもしれない。勝手に入っていいのか?


【プトレマイオス曰く】

 入って観察するだけならな。

 勝手に食うなよ! あくまで研究用だ。


【アーベルは答えた】

 解ってる。し、弁えてもいる。

 俺をなんだと思ってんだよ。必要なことはきちんとしてるだろ。


【プトレマイオス曰く】

 ……不真面目な時のがさつな印象のせいだ。我慢も覚えろ。

 そういえば、古代王国のナイル流域のヨザキスイレンは知っているか?


【アーベルは訊ねた】

 いや、初耳だ。

 どんな植物だ? どんな効果がある? 高値なのか?


【プトレマイオス曰く】

 水草だ。

 葉はややギザギザした円形で水面に浮き、花は純白なんだが……。この花が中々面白い効果があるらしく、特殊な処理をすると催淫性の惚れ薬に……。

 すまん、そんなに怒るな。冗談だ。

 ……しかし、お前という男は、ここに来て大分経ったというのに、世話役の少年従者とも関係を持たなければ、戦闘訓練後に国営の公共娼家に誘われても断るし、変な目で見られてもいるんだぞ? 特に少年従者は、お前の闘技訓練を見て、志願者がひっきりなしだってのに。

 誰かに義理立てしてるのかもしれないが、少しは周囲の風聞というのもだな……って、話の途中で退席しようとするな。

 まったく……。

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