Canopusー13ー

 接近して繰り出される浅く短い突きを、左右へのステップを中心にかわす。短剣は、必要最低限しか使わない。……いや、そもそも使う必要がほとんど無い。

 繰り出された三段突きを、右斜め後ろに二歩分バックステップして避ける。顕著に後ろには下がらない。誘われていることに気付かれる。

 間合いは……、もう少しか。

 もう少しだけ、他の二人より追ってくるひとりを引き離したい。


 狭い甲板で、三対一。数的にも、位置的にも――本来は挟み撃ちしている俺達が有利なんだが、所詮アテーナイヱ兵は壁なので、背後に海を背負っている俺の方が不利だと判断する――敵が有利だが……。

 海の上での経験の差かな、と、思う。

 敵が使っている槍は、重装歩兵用の長いものじゃないが、それでも大人二人分程度の長さがある。狭い甲板で使うには、味方や帆柱、船の両舷の盾なんかが邪魔になって薙ぐ動きが出来ていない。正面にさえ立たなければ、たいして危険でもなんでもない。

 剣を抜いて三人同時に斬り掛かられたり、得物を捨てて肉弾戦を挑まれる方が行動の予測がし難くて嫌なんだが、背後の盾兵が気になるのか、敵は槍を手放さなかった。

 フン、いい鴨だ。


 充分に他の敵との間合いを確保してから、一撃目の突きを避けると同時に柄を掴み、敵の手元付近の柄を短剣で斬って槍の穂先を奪い取る。得物を失ってつんのめった敵が、手元の棒っ切れで戦うか、剣を抜くか迷った瞬間に飛び掛って組み付く。

 体格は……俺とそう変わらないように見える。新兵? いや、得物の扱いも雰囲気も慣れていない感じではないな。……ああ、まあ、俺も半年に渡る旅で成長しているんだし、成人とそう変わらない体格になってきているのか。

 敵は、短剣を握る俺の左腕を右手で掴み、槍の穂先を持っている右手には、左手の三日月盾を押し付けるようにして肘を合わせてきている。

「ふっ、つ、あぁああ!」

 敵は、威嚇のつもりか、叫び声を上げて俺の腕を押し上げようとしている。兜の隙間から、上気した顔が見えた。

 瞳に――恐怖の色は少ない。

 戦死を見続けてきた、俺と同じ目だ。

 強さという篩にかけ続けられてきた男の、諦めていない視線。自分ならなんとか出来ると過信している顔。

 フン、と、鼻で笑った俺は、右肘を脇を締める要領で三日月盾で防ぎに掛かっていた敵の左腕の力を受け流した。

 拮抗していた敵の腕が外れた反動もあって、胸鎧でも兜でも守られていない急所、首に深々と穂先だけの槍が突き刺さった。

 今度の相手には、首の急所にきちん入ったのだろう。一撃で敵からの圧力が消えていた。

 首に突き刺さっている槍の穂先はそのままに、短剣だけをとって姿勢を正そうとしたところ――真横から体当たりされて、俺は今度はさっきとは逆に甲板に寝転がされるように押し倒された。

 どうやら、三人殺ったことで、敵を本気にさせたみたいだな。腹を決めたのか、敵の一人が盾も槍も捨てて、俺と同じく短剣一本で突っ込んできたらしい。

 戦いの勘に従って、反射的に顎の下を守りつつ振り上げる形で短剣を振れば、首を斜めに切り下ろそうとしてきた敵の短剣と、刃が十字にぶつかった。

 ギチギチとがっちりと噛み合った短剣が、俺と敵の腕力に耐え切れずに歪んでいく。下に敷かれている俺が不利、だな。

 判断を下すと同時に俺の腹の上に馬乗りになっている敵の脇腹に膝を入れる。と、お返しのつもりなのか、兜つきの頭で頭突きされた。

 額が少し割れたのかもしれない。頭突きの衝撃以上の痛みは無かったが、顔をなにか液体が伝う感触と――。左目が僅かにしみた後、視界が赤く染まった。

「キサマ! ラケルデモンの者が、なぜ敵に加担する!」

 顔つきで気付いたのか、敵の剣圧が一瞬緩み、次の瞬間、より強く圧し掛かられた。

「ハン! 寝言は寝て言え、僭王の下僕風情が! !」

 熱くなった敵の頭を、小さな丸盾付きの左腕で思いっきりぶん殴ると、敵は――俺の発言に意表を衝かれた点もあったのかもしれないが、大きくよろけた。その隙に不利な体勢から、左腕で甲板を殴りつけるようにして身体を浮かせ、敵の股の間を抜る。二~三回甲板を転がった後、四つん這いの体勢のままで背中を蹴って敵も這い蹲らせる。

 俺が立ち上がり低い姿勢で跳躍したのと、敵が振り返りながら立ち上がったのはほぼ同時。

 お互いに歪んだのを気にせずに短剣を突き立て合うが、俺も相手も短剣を持つ腕を軽く裂いて、数歩の間合いが空いただけ。

 まあ、ここまでは予想通りだ。一撃で決まると思っていない。が、もうひとり残っているのに打ち合うのも割りに合わない。

 その後更に横に転がって逃れた敵は、短剣を捨て腰の剣を抜こうとした。俺は、その腕目掛けて突っ込み、腕に抱きつくようにして取り付き、船縁に背中を預け右足を強く踏ん張って海へと投げ落としにかかる。

 抵抗は、されなかった。多分、船上という環境への認識が――陸で投げられても、地面にぶつかるだけだし、受身を取ればたいしたことにはならない――追いついていなかったんだと思う。

 四人目の敵が派手な水しぶきに変わり、最後の敵に向き合おうと振り返る。

 しかし、その瞬間、異質な衝撃が甲板を伝わって、俺そして対峙している敵兵を揺らした。アテーナイヱ兵は、盾に完全に身を隠しているので様子は分からないが……。

 反射的に顔を艦首に向ける。いつの間にか、敵の船の船尾が目の前にあった。

 こっちの船から衝角攻撃を行った?

 ……いや、違う!

 続いている振動に、咄嗟に船の縁の木材にしがみつく。

 衝角を敵の右の船尾に引っ掛けたまま、右側の漕ぎ手だけが船を漕いでいた。船の重さが同じくらいなのか、目の前の敵とこの船の両方に激しい横揺れが襲う。揺れが収まった……ように感じた瞬間、一際大きく船の右舷が盛り上がり――。

 一呼吸の間も無く、底から突き上げてくるような強烈な上下の揺れが襲った。

 水に何かを打ち付けるって感じじゃない、固くて重いもの同士をぶつけたような、上手く言い表せられない轟音が腹の奥にまで響いている。

 揺れが落ち着いてから立ち上がれば、乗り込んできた敵は、皆、海へと転げ落ちていた。目の前の敵船の甲板も、がらんとしていることから察するに、敵の兵力の四分の一程度はは始末できたんじゃないだろうか?


「ヤるなら、ヤるっつえよ!」

 船にしがみついている間に息は整っていたので――、それと、苦戦を見られた恥ずかしさのようなものもあったので、ぶっきらぼうに盾の列に向かって叫んだ。

「無茶言わないで下さいよ。それに、アーベル様なら、なんとか出来るでしょう?」

 列が割れ、キルクスが前に出てくる。護衛のひとりは、俺の剣を持っていた。きちんと回収してくれていたんだろう。

 ふん、と、鼻で笑い剣を受け取り、一……二度振って血を落としつつ感じを確かめてから、キルクスに問い掛けた。

「で? ここからは?」

「見えますか?」

 さっきの衝撃で、平行にすれ違うように動いている敵船へと視線を向ければ、動きがおかしかった。回頭中? いや、そういう感じでもないが……。

「左舷の櫂を圧し折ったんですよ」

 言われて、ああ、と、納得した。櫂はかなり長い木材で出来ている。そんなすんなりと右の物を左に持って来れないのだろう。それでもなんとか立て直そうと試行錯誤しているのか。

「船尾に傷も入れてありますし、もう一度、真後ろからの突撃で決着をつけます」

 キリッとした顔で宣言するキルクスに、からかうような笑みで俺は船首に陣取って構えた。

「正面は俺か」

「他に、出来る方はいませんよ」

 向けられた苦笑いは、頼られている証拠なんだかどうなんだか。

「構わんさ、行けぇ!」


 律儀に俺の号令に合わせたのか、船足が早まる。

 視界の中の敵艦がどんどん大きくなる。速度が増していく。

 風の音に、水飛沫。


 膝を折って左腕を着き衝撃に備えつつも、視線は上を向かせ飛び移る敵を警戒する。

 しかし、さっきの一撃が効いていたのか、今度の衝角攻撃は完璧な精度で成功し――俺達の船が逆進するのと同時に、敵艦は船尾から傾いていった。

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