Spicaー6ー

 一区切りついて、一度会話が途切れ、其々が飯を食う音がしていたが、ひょっこりとその隙間を埋めるように話し始めたのはネアルコスだった。

「そもそも、港の監視には良い場所かもしれませんが、アテーナイヱの連中は、補給、どうしているんでしょうね」

 俺の焼いたパンが固くてみっしりとしているからか、細かく千切ってスープに降りかけて混ぜているネアルコス。

 どっか遊んでいるようなその姿に、軽く、ふふん、と笑い――。

「ああ、それなら、俺等に糧秣卸してる商人から訊いた。アカイネメシスの商人が売りに行けば買うらしいが、基本的には、黒海内部のラケルデモンに落とされていない殖民都市から買ってるらしい」

 ざざっと、器に口をつけてパンでスープを一気に腹へと押し込み、地図を俺の目の前のテーブルに広げる。

 プトレマイオスに軽く後頭部を叩かれたが、気にせずに地図の上に指を乗せ、其々の拠点の位置、そして今話に上がった都市となぞってみせる。

 黒海の北、クリミア半島南部にあるその殖民都市は、異民族バルハロイの国の穀倉地帯とも近い。供給量は多いらしいが、野営地からの距離はかなり遠い。

 そもそもラケルデモンが居座っている港を掠めて進んだ先にあるんだし、分断されたり、輸送隊を撃破される危険が高いんだが……。そこのところ、アテーナイヱの将軍は何を考えた指示なんだろうな。

 量が欲しいので、それ以外には目を瞑るってことか?

「トラキア方面は考えていないんでしょうか?」

「まあ、向こうのアテーナイヱ殖民都市からも買ってはいるようだが、見た感じ陣を移動させる気はなさそうだな」

 しっかりした野戦築城を行ってるわけでもないのに、と、肩を竦めて見せれば、昼飯は食い終えたのか、俺より少し遠くに座っていたリュシマコスが、座ったままの俺の肩に手を乗せながら地図を覗き込んだ。

「兵を休ませるにも、糧秣を調達するにも、どっかの都市か港を使えば良いのになあ」

 リュシマコスの、熊みたいな大きな右手が俺の肩から離れ、地図上の都市をいくつかなぞる。

 アカイネメシスは現在ラケルデモンと組んでいるので、アカイネメシスの都市で補給するわけには行かないアテーナイヱが停泊出来る港は限られる。そして、そのどれもがラケルデモン艦隊の動向を探る上では距離があり過ぎるとは感じた。

「ん~、これまで海戦では勝ち越しているようですし、今回も楽な相手ぐらいに考えているのでは?」

 そう、だな、今はネアルコスのその意見が正しいのかもしれない。

 現状、アテーナイヱは、少なくとも海戦においてラケルデモンを恐れてはいない。

「まあ、ラケルデモン艦隊の出撃の情報を得ても、トラキア方面の港から出航した場合、逃げられる可能性もあるからなあ」

 そう、それだ。

 陸戦では負ける以上、海戦で削って降伏条件をマシなものにするしかない。気を抜いてはいても負けはしないので、不利な場所でも、戦いを挑みやすい位置に停泊しているんだろう。

 事実、これまでの海戦では、戦略で負けても戦術で挽回したアテーナイヱが勝利するような異例な場面が多々あった。


「むしろ、ラケルデモンは戦わネえつもりじゃないのカ?」

 ふと、思い出したように呟いたのはクレイトスだったが、場が一瞬しんと静まり……すぐに全員が意味を察した。

「いずれにしましても、アテーナイヱへの主要都市への物資供給は完全に断たれているわけですから、艦隊をいつまでも北に張り付けては置けないでしょうし、アテーナイヱ軍が撤退したら、また再び手薄な場所を攻める作戦ですか? もしくは、東方殖民都市の奪還の動きを見せた場合に、後背を衝くつもりとか」

「仮に港に攻め込んできたとしても、お得意の陸戦で殲滅、か」

「消極策だが、現実的だな」

 ううん。

 全体の流れとしては、黒のクレイトスの意見に賛同している。それは分かるんだが……。

 確かに、艦隊は存在しているだけで脅威となり、黒海からアテーナイヱに至る穀物輸送を脅かすことが出来る。ラケルデモン艦隊との戦闘の可能性がある以上、アテーナイヱは船を全て輸送用には出来ないし、兵站を圧迫することが出来る。

 ただ……。

「納得いかないか?」

 王太子に訊ねられ、俺は曖昧に頷いた。

「なんとなく、らしくないと思うな」

 そう、ラケルデモン艦隊は、戦わなかったところでアテーナイヱの東方植民地を制圧視するという戦略目標は達している以上、負けることは無い。むしろ、下手に損害を出すぐらいなら、戦わないことが正解だろう。

 しかし、そこまでは分かっていること、でもある。

 どちらが勝ったとも言い難い曖昧な戦闘の帰結が、果たしてこの戦争を終わらせるだけの決定打となるだろうか? 艦隊が残っている限り、アテーナイヱ側もそう簡単には降伏しないだろう。

 確かに両陣営共に継戦能力の限界が見えてきている今だが、だからこそ、完全敗北を避けるためにアテーナイヱが粘る可能性だってある。

「ですが、そのらしくない行動を取っているんですよね? 現在のラケルデモン艦隊は」

 痛い部分を衝いてくるネアルコス。

 そう、確かに、以前の報告で現在のラケルデモン艦隊の指揮官が、慎重で一戦の結果よりも戦局を優先する、あまりラケルデモンにはいない性質の人物だとは伝わってきている。

 むしろ、海では劣勢だからこそ、そういう人間が起用されたのかもしれない。

 状況的には、このまま戦闘が起こらず、緊張が緩和する可能性が高い要因が多いと理解できているんだが、ずっと戦いの最中にあった俺自身の勘がそうは言っていなかった。

 状況証拠と勘、説得する上でどちらが有利なのかは比べるべくも無い。

 だが、戦場では常識的ではないことも往々にして起こりうる。

 その隙間を埋めるためには――。

「明日、アテーナイヱ陣地の偵察に、俺も出て良いか?」

 自分の足で情報を稼ぐしかない。


 周囲の王の友ヘタイロイの視線も自然と王太子へと向けられた。一応、今回は罰ということで炊事を俺が行っているが、一言もらえれば軍団兵に任せても問題ない仕事だ。

 ふ、と、王太子の口元が緩むのがはっきりと見えた。

「許可する。明日はネアルコスが向かう予定だったな? 一緒に向かえ」

 ネアルコスの方へと視線を向けると、いつもの人好きのする笑みを向けられ、小さく手を振って応えられた。

 再び王太子の方へと顔を向ける。


 王太子は、会議の最中は余り口を開かない。どちらかと言えば聞き役に徹し、最後にひとつ判断を下すような役割だ。

 もっとも、会議の方向性が王太子の意志と大きく離れれば、口出しすることが多くなる事にも最近気付いてきているが。

 今回、王太子は聞き役に徹していたが、最後の俺の意見も通した。

 用心のためかもしれないが、王太子もなにか引っ掛かりを感じているのかもしれない。


 王太子と目が合う。空の色と大地の色をした、左右で違う瞳が俺の顔を映した後、俺の考えを肯定するかのように小さく頷かれた。

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