Menkhibー15ー

 半ば強制的にではあったが、それが、血筋に依って囚われていた安全な檻から外に出された俺の目の前に広がっていた現実で――。

 生きるために、殺す事を選んだのは他ならぬ俺自身だった。

 そして、人を殺すたびに俺は強くなっていった。

 まずは、謀略で。

 成長期に入り、暴力で殺すことを覚え……そして、いつの間にか、敵も味方もいなくなった。小さな小さな訓練所の中だけの……いや、訓練所でも誰も表立って逆らわなかっただけで、なにも支配出来ていない、そんな、無意味なたっただった。


 弱くは……無かったんだと思う。

 エレオノーレを……守って……戦い抜き、マケドニコーバシオまで、流れ着くことが出来た。

 しかし、そこで、これまでの自分の強さだけではどうしようもない壁を知った。

 王太子と対峙した時、あの瞬間には気付けなかったが、模擬戦の結果だけでなく、全てにおいて敗北していた。

 いや……負け惜しみを言うなら、単純な、個の暴力なら俺が勝つ。が、王太子以外にも、俺よりも指揮が上手いヤツに、俺よりも上手い戦略を立てるヤツもいれば、交渉事に長けているヤツもいて――。

 少年隊の訓練所が、ミエザの学園だったらよかったのにな、なんて――。そうだな……。今まで口に出したり、はっきりとそう言葉にしたことは無かったけど、そんな風に、俺は思うようになっていた。

 多分、辿り着いてから、ずっと。

 それに、気付いてしまうと、なんだか、少し肩の力が抜けた。


 誰かに言える話でもないが、俺とレオとの関係性とは臍の緒のようなものではないのかな、と、思う。幼少期の俺は、確かにその繋がりで生かされていたが、独り立ちする今、それを断たねばならない。

 そう、それは、単に今の強さをレオに見せるだけであってはならない。いずれ訪れる、支配者の交代だけであってはいけない。

 俺の中のラケルデモン人としての性質が今のラケルデモンという体制に由来するのなら、単純に俺を王に据えたとしても、中身が今と変わらない国家になるだろう。

 ただ、事実として、アカイネメシスとの大戦争の時には、ラケルデモンの武力が……個の強さが勝利に貢献した。そして、今ラケルデモンで教育を受けている少年隊や青年隊の連中が、商業経済についてすぐに理解し適応出来るとも思えない。

 単に、マケドニコーバシオで見聞きし、体験したことを持ってくるだけでは上手くいくはずがない。

 文化を否定するわけではなく、現在の世界情勢を鑑み、取捨選択し、新しい形でのラケルデモンの規範を作ること。

 それが……。

 師弟の決着、なのかもな。

 いや、その意思を伝え、レオがどうするかが、か。また戦うことになるのかどうか……微妙だな。あのジジイ、頑固だし。

 おっと、その前に、レオが確保したとか言う切り札がなんなのかを確認するのが先決か。



 藪の雪が凍みた葉を掻き分け、尾根を抜けると、眼下には港湾都市アンプラキアの城壁が広がっていた。冬ではあるが、港には船も――冬は丘に上げている船も多い、というか、使っていない船は丘に上げて修繕するのが普通だ――確認出来る。

 あと少し、か。

 冬山越えだったので、凍傷も心配だったが、身体を検めるに、どうやら無事に抜けられたようだ。


 最後の下り道を慎重に歩き始める。固まっていない雪を踏んで滑落なんて笑えないにもほどがあるしな。

 昼を過ぎた太陽は、雪に日差しが反射してかなり眩しい。

 薄い布二枚を、程好く隙間が空くようにして目の上を覆う。


 山を下りながら、結局、最後に俺が信じるものはなんなのだろうかと考える。

 自分自身?

 確かにそれはそうだ。

 でも……、それだけじゃなく、王の友ヘタイロイの皆を、プトレマイオスを、王太子を信じ……たいと思う。

 うん。

 信じている、ではない。

 利害が対立することもある以上、友情だけではいられない。それが男だ。

 最終的に、ラケルデモンを取るのか、マケドニコーバシオを取るのか、まだ、分からない。少なくとも、マケドニコーバシオがヘレネスを統一するまでは行動を共にするが、その後、ラケルデモンに留まるのか、王太子と共に外征に乗り出すのか、決めかねている部分は、確かにある。

 気持ちで迷うのなんて……いつ、以来、だろうな。


 ……ふん。

 この迷いは、エレオノーレに対する迷いとは全く別種の、自分自身が何かという問いだ。エレオノーレに対する迷いは……自己に対するものではなく、相互的っていうか、置かれている状況の違いがあり、単純に多くの隔たりがあるから、思い通りに行かないだけで――。


 いや、違う、か。

 俺がエレオノーレに関することで、一番最初に自分自身に課したのは、守り抜くこと、安全な場所へと据えることだ。俺がそういう場所を目的地としていない以上、本当は、もうとっくに結論を出せていなければならないことなのにな。

 生まれて初めて、……なんというか、旅を通して、お互いの事を少しは知っていって、仲が良くなった相手だから、色々と整理しきれない部分もある、かぁ。うん、多分、そう。


 もっとも、それも全部ひっくるめて突き詰めれば、ただひとつなのかもしれない。

 足りない強さをがむしゃらに追うだけの時間は、終わった。

 次に向き合うのは、心の在り方の問題。

 誰と戦うのか? なにと戦うのか?

 時代に合わせた変革か? 歴史と伝統の維持か?

 民族のためか、故郷のためか。

 これまでも自分で選んできたとはいえ、今までの選択が受動的な変化だったことは否めない。

 だから――。

 今度は、自らの意志で決めなければならない。

 能動的に、自分自身の人生を歩み始める。

 俺は今、そんな場面に差し掛かっているのかもしれない。


 ふと、テッサロニケーでの先生の言葉『春に戻られたら、哲学の授業を再開しましょう。統治者には、正しく人を導くための知識と人格が必要ですから』が思い起こされ――。

 案外、未だに、先人の手の内ではあるのかな、なんて苦笑いが浮かんでしまっていた。

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